イナミさんとアンリ・ルソー
みなさん、もう一度よく考えていただきたい。イナミさんはヘアサロンなのです。
ここに映るは、月夜の砂漠の中、ラクダとコブラと一人の人、そしてヤシと二つのピラミッド。生あるものは三つとも鼻提灯を掲げ、煌々と照らされながら眠りについている。月とヤシとピラミッドは悠々とそれを見守るーー
この一体どこに、どこにヘアの要素があるのでしょうか。唯一髪をもつ人間でさえ、ナイトキャップを被ってしまっているのです。
もはや商売云々とは次元の違うところから、このポスターは何かを訴えています。
さて僕がいつも感心するのは、イナミさんのポスターが必ず過去の名画を踏襲していることです。以前も余白の残し方などにセザンヌとの関連を示唆しましたが、この絵は言うまでもなく、アンリ・ルソーの「眠るジプシー女」を髣髴とさせます。
大地に溶け込むように眠るジプシーの女、それを喰らいもせずじっと佇むライオン…ルソーはこの絵の後、有名な「蛇遣いの女」などに代表される【森の夢シリーズ】に移行するわけですが、そこに描かれるモチーフは「弱肉強食」をベースにした生きることへの賛美であります。
しかしこの絵では食べるものも食べられるものもなく、ただ月の明かりの下に、すべてのものは等しく音なく佇むという、非常に美しい平静さが描かれています。
イナミさんの絵に戻りますと、人と、それを運んで来たであろうラクダ、そして本来であれば毒牙で死に至らせるであろうコブラ、また同じ物言わぬものでありながら有機物と無機物を表すヤシとピラミッド、そしてそれらをすべて包み照らす月ーー
ルソーのテーマをもう一つ大きく包括した世界観をこの絵で描ききっているのです。
さらに、驚くべき細やかさがこの絵には隠されているのです、まさに細部に髪は宿るーーそんな恐るべし点に次回は踏み込みたいと思います。