2年ぶりに「四国八十八ヶ所寺巡り」に行きました。
記録を見ると、どうやら2008年から始めているようで…😅
なのにまだ半分くらいです。💦
当時は真言密教の修験者時代で、師匠らと一緒に始めたのです。
みんなは結願しましたが、私と夫は急がず、行ける時に行こうというスタンスでした。
なので、行かなかった時期が長いわけですね。
そうして、今回は徳島県の13番から20番までを参拝。
お天気も良く、新緑が美しい。
しかしながら、私は改めて気づいてしまった。
「空氣が重いんだよ!」
今回、お寺のすぐ隣りにある神社にも参拝すると…
まぁ全く空氣が違います。
とても軽いのです。
そもそも四国八十八ヶ所寺巡りをされる人は…
自分自身を見つめたかったり…
何か願掛けがあったり…
空海を感じたかったり…
自然との融合や仏様との交流など、なんらかの目的があるかもしれません。
念(思い)が強い感覚がしたのです。
以前は私自身が修行中であったりしたので、特に違和感はなく、お寺だからこんなもんだよねという感覚だったのです。
帰宅してふと、師匠から頂いた「理趣経」の経本のことを思い出し…
あったはずの所になく…
おかしなことにどこを探しても見つかりません。
捨てるはずがないのに…
でもあったからといって、もう私がそれを使うことはないのです。
ということは、不要な物質は既に目の前から消えているということになります。
なので、そこに執着する必要はなく、既に過去のものとなったということ。
もう私自身が変わってしまったのだなと改めて認識したのです。
お寺がダメで、神社はいいと言っているわけではありません。
もともと神仏習合なのですから。
どこにいても、神仏とは繋がれるから。
なので、残り42寺。
うーむ。😓
とはいえ、
途中でやめるのはスッキリしないので、何とかもう一気に行きたい氣分。
南海トラフ地震も氣になりますからね。
早めに結願したい!!
そういう体験を味わおう!✨