以前から、わたしたちのタイムラインは
過去から未来というよりも。
未来から、今、過去へ。
ということは時々書いていましたが。
改めて、
「神様は、わたしにどんな状況を差し出されるのか」こんなメモをふとみると。
最近は本当に、未来から差し出されてくるんだなあと感じます。
どんな状況、状態も差し出されてきたもの。
病気も痛みも。
嬉しい現実も、辛い現実も。
それが差し出されてきたものならば、
嫌だな、辛いなと思うようなことの裏には必ず、気づきと共に愛とか喜びなどその反対側があるはずで。
わざわざ
嫌だなとか辛い現実の反対側を体験しやすくなるためにそうきたか?
何に気がついていくためにそうきたんだ?
と、考えることもできます。
嫌だ辛い苦しいは出来れば体験したくはないですが。
それを受け入れたくないと思うほど、
まずそれもOKしないとその反対側は得られず。
差し出されてきた現実は、
一人一人にとって最適なんだろうと思います。
結局、神様=自分自身といわれます。
自身の未来から現実が差し出されてくるとしたら。
差し出されてきた事を否定することは、自分を信頼しませんって言ってるのと同じで。
否定から現実を受け取りみるか、
信頼から現実を受け取りみるか
明らかにそこから分かれる未来は変わります。
そう考えると、未来から差し出されてくる現実を日々どう受け取るかが凄く大事なんだなあとわかります。
未来から差し出されてくる現実を
「感情ではなく、問いで受け取る」
そんな感覚。
今日神様は、わたしはわたしにどんな1日を用意してくれているのだろう?
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