その撮影は本当に
数秒のうちに終わったかの
ように思えるほど
短かった。

実際には多分数分。

彼がカメラを持ってから
下ろすまでの時間は
それくらいだったと思う。

とにかくこれまでに
なく短かったのだった。

当時まだ
パソコンやモニターで
確認するなんて技がない時代

何かで確認した
スチャダラパー3人の写真を見て
写真を見て私は
心底驚愕した。

そんなに短い時間しか
かけなかったのに

とにかく彼ら3人が同時に
これまでにないくらいに
イケメンに写っていたからだ。

まじか!

それが私の偽りない
その時の反応だった。

写真に撮られることなんて
苦痛でしかない
ミュージシャン3人が

同時にいい顔で
写真に収まるなんて
いかに大変なことなのかは

当時一回につき
何百枚も撮影された
ポジ(デジタルでなかった時代)を

一枚ずつルーペで
見つめて
奇跡の一枚を見つけるのも
仕事の一つだった私は
よく知っていた。

1995年。

デビューからすでに6年。

スチャダラパー程度の
売れ方でも

多分100を超える撮影現場に
立ち会い(多分ずっともっと)

有名な人から
そうでもない人まで
何十人ものフォトグラファーに
出会って来た。

それぞれ様々な
性格のクセもあれば
撮影のスタイルもあった。

そこへ持って来て当時
日本一有名なフォトグラファーの
登場である。

挨拶をしたと思ったら
二言、三言で終わった

その短いセッションの中で
なぜ彼がそうなったのかの
理由を知ったような気がした。

多分篠山紀信氏が撮った
この写真は

決してスチャダラパーが
撮られたい彼らでは
なかったと思う。

イケメンで綺麗に
撮られるなんて言うのは
彼らの趣味では
ないと思うからだ。

だが紀信氏は
そんなことはお構いなしに
とにかくスチャダラパー
一人一人の

ビジュアル的ポテンシャルと
3人の関係性の良いところを
一瞬のうちにベストまで引き出し
それをカメラに納めた。

そこには調和があった。

これは雑誌の表紙の撮影であり
芸術作品ではない。

大衆向けたものだ。

だが、私はそこに
芸術作品全般にも通じる
何かを感じ取ったことを
覚えている。

わ〜、これは説明するのに
時間かからるぞ〜。

でもできるだけ
ざっくり簡単に言葉にすると、

何か作品を創ると言うことは

創り手が
無自覚のうちにも
何に焦点を当てているか

と言うことが
現れると言うことである。

また同時にその焦点を
当てているものを
作品として残せる
技術があるかどうか
と言うことだ。

それはその「瞬間」
と言う魔法のときを
切り取る技術があるかどうか
とも言える。

だが同時に写真は
瞬間にシャッターを
切れば良い、

なんて単純な話ではない。

それがどこであっても
その環境と光と影を
操作し、味方につける
と言うことであり

その技術を
持つことである。

それはカメラを持つ前に
なされていることたちである。

篠山紀信氏が
亡くなった。

昭和の大衆文化に
大きく貢献したであろう人との
さよならである。

彼とのたった一度の
仕事で私が受け取ったものは

30年近く経った今も
こうして思い起こせるほどの
インパクトをくれた。

感謝したい。

どうぞやすらかに
おやすみください。



写真は1995年

今夜はブギーバックがヒットした
翌年。

月間カドカワの表紙に
なった3人組。

彼らのおかげで
たくさんの貴重な体験を
させてもらった。

今更ながらときどき
感謝が湧く。