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■マサ小浜とイグザヴィア~太平洋をまたぐ2人のソウル・メイトのクロスロード~(パート2)

【Fantastic Negrito Album Featuring Masa Kohama Is #4 On Billboard Blues Album Chart】

(昨日2016年6月26日付け、ブログの続き

■マサ小浜とイグザヴィア~太平洋をまたぐ2人のソウル・メイトのクロスロード~(パート1)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-12173783678.html

マサチューセッツに生まれ、オークランドに移住したイグザヴィア。ホームレスにもなった男は、ロスアンジェルスに行き、敏腕マネージャーに見いだされ、レコード・デビュー。大々的にプロモーションされたものの、なかなかブレイクしなかった。そんな彼に思いもよらぬ出来事が起こる。

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事故。

1999年。彼にまた大きな人生の転機が訪れる。なんと彼自身が重大な交通事故にあい、3週間ほど意識不明になったのだ。マサ小浜の友人から買った車を運転していたところ、無保険のメキシコ人が運転する車にぶつけられた。幸い、運ばれた病院がマウント・サイナイ病院という立派な大病院だったために、一命をとりとめた。しかし、腕が動かなくなり、体と精神的な苦難のリハビリを長期間敢行しなければならなかった。さらに、追い打ちをかけるようにインタースコープとの契約は打ち切られ、膨らむ治療費とミュージシャンとしての再起の可能性に絶望の日々が続いた。

「一度死んだようなものだったから、生きかえって、第二の人生を与えられたようなものだった」と彼は振り返る。

なんとか退院はしたが、生活は厳しく、LAで知り合いのミュージシャンとあらゆるグループを作っては日々ライヴをやっていた。この頃は、自分の楽曲をテレビや映画などにも提供、またイリーガルなナイトクラブなどもやり、文字通りなんでもやって日々の生活に追われた。

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再出発。

しかし、音楽に希望を見いだせなくなった彼は、2008年、楽器などすべてを売ってオークランドに戻る決意をする。オークランドに戻ってからは、音楽の世界から離れ、野菜を作ったり、家庭菜園のようなことを少しやりながら、マリファナを栽培して生活の糧としていた。「まあ、やばい仕事だったが、銃を持つ生活よりは安全だったな」と言う。エンタテインメントのハイでハイパーな生活とは対照的に、ゆっくりした文字通りスロー・ライフになっていた。

オークランドのダウンタウンに「ブラックボール・ユニヴァース」というアート・ギャラリーを開設。場所を貸したり、絵を買ったり、売ったりするようになった。

オークランドで家族を設け、落ち着いた日々を過ごしていたある日、まだベイビーだった子供が泣いたので、それを鎮めるためにふとギターを手に取り、弾いてなだめた。すると、子供が泣きやみ、機嫌がよくなったので、子供をあやすためにまた、ギターを弾くようになった。そして、自分の子供のために、音楽を少しずつやりだすようになった。

そしてその頃、彼はもし自分がまた音楽をやるなら、流行りの音楽ではない自分が真に好きな音楽をやりたいと思った。それが、アメリカン・ルーツ・ミュージックだった。彼はデルタ・ブルーズに傾注、ブルーズに根差した音楽をストリートでプレイするようになる。その頃、アーティスト名をファンタスティック・ネグリットとした。ネグリットは、直接的には「熱帯地方の人種」「フィリピンの少数民族の一つ」を意味するという。「素晴らしい熱帯地方の人種」というニュアンスだ。そのジャンルは、「コンテンポラリー・ブルーズ」だが、彼の中には、ロックもソウルもR&Bもファンクも、ある。新作収録の「ハンプ・スルー・ザ・ウィンター」という曲などは、まさにレッド・ゼッペリンだ。

この「ファンタスティック・ネグリット」のコンセプトは、あらゆる人種、人々に対する「ブラック・ルーツ・ミュージック」を見せることだ。

そして、彼の「ブラックボール・ユニヴァース」は、毎月第3金曜に、イグザヴィアがパーティーを催し、しばしば、ファンタスティック・ネグリットがライヴを見せる。言ってみればここが、オークランドの彼の音楽、パフォーマンス、絵画などアートの発信地になっているわけだ。

Acoustic Guitar Sessions Presents Fantastic Negrito (最新作収録「Rant Rushmore」「Lost In A Crowd」「About A Bird」のアコースティック・ヴァージョン) Rant Rushmore
https://www.youtube.com/watch?v=49dZVqdTJdw



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ソウル・メイト。

マサ小浜とは前述のように1993年、彼がLAにいた頃、知り合い、いろいろなセッションをしたり、ライヴ・ツアーやレコーディングにも参加、親しくなった。もはや音楽的ソウル・メイトだ。

ソマリア移民の息子としてアメリカに生まれた一人の男と日本人のギタリストが、LAで出会い1990年代にデュエットを組み、活動をし、濃密な日々を過ごした。その後、1人は紆余曲折を経て一度音楽を諦め、新しい人生を始める。しかしその新たな人生で授かった子供をあやすために再度音楽を始め、自分の好きな音楽に目覚め、再挑戦する。一方、1人は故郷日本に錦を飾り、日本で売れっ子のギタリストになった。一度音楽を諦めた男が復活アルバムを作ろうとしたとき、どうしても彼のギターの音色が欲しかった。かつて苦難を共にギグを行い、旅をしてきたかつてのソウル・メイト、マサ小浜のギターだ。こうして、イグザヴィアはマサに連絡をし、ギターを弾いてもらうことになる。

マサは日本でこれをレコーディングし、音源ファイルを送り返した。

そうして、2015年4月、『ファンタスティック・ネグリット EP』をリリース、続いて『デラックスEP』を2015年7月にリリース。一部の音楽ファンから高く評価される。

そして、ついにフル・アルバムの新作『ザ・ラスト・デイズ・オブ・オークランド』が満を持して2016年6月にリリースされ、これが見事にビルボード・ブルーズ・アルバム・チャートで最高位4位を記録した。

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激動。

ソマリア移民のアメリカ生まれ→家出→ホームレス→大学に不法侵入して楽器練習→ストリートの厳しい生活に嫌気→LAに→メジャーとレコード契約→ツアー→音楽的に不満→交通事故→長期間のリハビリ→復活→音楽を辞める→家庭→子供のために音楽→再度音楽に→ストリートでブルーズなど→再度音楽をリリース。彼は、箇条書きにするだけでも大変な激動の人生を歩んでいる。

2人が知り合って23年。今、太平洋をまたいでそれぞれの人生を歩むソウル・メイトたちが、音盤上で交差し、2人が奏でるメロディーが1枚の音楽作品になって全米チャートを駆け上がり、話題を集め始めている。

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グラミー。

このアルバム『ザ・ラスト・デイズ・オブ・オークランド』はまさに彼の代表作となりそうな充実の作品に仕上がっているが、ソウル・サーチャーはこれが来年のグラミー賞「ブルーズ部門」あるいは「アメリカン・ルーツ・ミュージック」部門のどれかでノミネートされると予言する。そして、授賞式にマサ小浜とイグザヴィアの2人が出て欲しい。

幸いなことに、来年のグラミーでは、「アメリカン・ルーツ」カテゴリーのブルーズ部門で「トラディショナル・ブルーズ・アルバム」と「コンテンポラリー・ブルーズ・アルバム」が設けられることになっている。イグザヴィアのアルバムは、後者に該当するものとみられる。ノミネートの発表は、2016年12月6日、グラミー賞授賞式は、2017年2月12日(日)である。

イグザヴィア(ファンタスティック・ネグリット)も、今、またマサ小浜と20年ぶり以上に一緒にプレイしたいと言う。そして彼はマサのことを「一生涯のブラザー(兄弟)my brother for life」と呼ぶ。

2人のソウル・メイトが再会する場所は、ロスアンジェルスのグラミー会場、ステイプルズ・センターか、はたまた東京だろうか。本当に今から、楽しみだ。

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ザヴィエール(当時の表記はザビエル)時代のアルバム。当時日本盤も出た。

Xavier

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彼がNPRの『タイニー・デスク・コンサート』に出演したときの映像(2015年3月)

https://www.youtube.com/watch?v=ymYjwsFz8iM



日本盤は出そうもないが、注目のブルーズ・アーティストとしてチェックしておきたい。

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