先日岩波ホールにてサウジアラビア映画の『少女は自転車にのって』を観てきた。作品としては劇的に面白いという作品ではなかったのだが、映画館の設置自体が許されておらず、先進国と比べると女性の地位が軽んじられているサウジアラビアにおいて、女性監督が女性問題について扱った渾身の作品であるという点がこの作品の評価の源泉であると思う。

簡単にあらすじを紹介するとこうである。ワジドは、ロックを聴き、スニーカーを履く10歳の女の子。サウジアラビアの伝統的な価値観に疑問を呈して、いつも問題を起こしては校長先生に怒られている。ある日、男の子の友達のアブドラが自転車に乗っている姿を見て、「いつか自転車で競走する」という思いを抱く。ちょうどおもちゃやに入荷されてきた自転車に目をつけて、これを買うことを決意する。

自転車がほしいことを母親に告げるも、イスラムの教えを意識して母親は自転車に乗ることを認めてくれない。ミサンガを友達に販売したり、友人の逢引のための片棒を担ぐことで少しずつお金を貯めてゆくものの、自転車を買えるだけのお金を貯めるまでには至らない。ある日、学校の宗教クラブでコーランの暗唱大会が行われ、その賞金が1000レアルであることを知る。ワジドはこれまでの反抗的な態度を改め、コーランの暗唱に挑戦し、暗唱大会に臨む…。

ストーリーそのものは素朴なものであるが、制作されたのがサウジアラビアという「特殊な国」であることを考えると、描かれているものの多くが現実の比喩であるというのが私の認識である。主人公を10歳の女の子として自転車を題材としたというのは、単純に女性による自動車運転の禁止という問題をオブラートに包んで表現したかったと同時に、サウジアラビアという国が実は非常に若い国であり、これからさらに政治的、経済的、文化的に成長する余地があることを予感させる。

一方で、コーランの暗唱大会という設定や作品の節々でイスラム教的な描写が見られるのは、イスラム教の伝統の中にも素晴らしいものがあり、単純に西欧的価値観に憧れているわけではないという点を強調する効果がある。また、非常に厳しいイスラムの戒律の中でも、女性たちは仕事をして、ファッションや恋愛、おしゃべりを楽しんでいるという事実が描写されている。これ以外でも、結婚や母親の仕事上の待遇、外国人出稼労働者のドライバーの描写などを通じて、サウジアラビアという国に存在する様々な「現実」が描かれていると思った。

サウジアラビアという国の本当の「現実」が何であるかについては実際にこの目で確かめることとなるが、この国を考える上でよいきっかけとなった作品である。