今日9月23日はサウジアラビアの84回目の建国記念日である。実はサウジアラビアにおいてグレゴリオ暦上固定された祝日は1年に1回この建国記念日のみである。イード・アル・フィトル(4日間)イード・アル・アドハー(5日間)はヒジュラ暦に基づくため毎年変わる。イード・アル・フィトルはラマダン明けの休暇で、イード・アル・アドハーはハッジ(巡礼月)の休暇であるからどちらもイスラム教上の「祭日」としての色合いが強い。

サウジアラビアは君主国、それも絶対君主国でありながら国王の誕生日は祝日とされていない。イスラム教の預言者であるムハンマドの誕生日も祝日とされていない。サウジアラビアにおいて国王とは"The Custodian of the Two Holy Mosques"(二聖地の守護者)であり、ムハンマドはあくまで一人の預言者にすぎない。国王やムハンマドを称えることはイスラム教で禁止される「偶像崇拝」につながるおそれがあるのだ。

建国記念日はイスラム教に起源を持たない、まさに「国民国家」的な祝日(「政治的な祝日」と言い換えても良いだろう)である。日本だと「国民国家」的な祝日は数多く存在するけれども(例えば建国記念日や憲法記念日、海の日)、サウジアラビアではほぼ存在しない。同じ国民国家、君主国であっても日本のように今上帝の誕生日のみならず、先帝の誕生日(4月29日、昭和の日)、明治帝の誕生日(11月3日、文化の日)まで祝う日本とは随分と勝手が異なる。

中東情勢というものを考える時にいつも疑問に思ってきたのは、なぜ同じ民族(大多数はいわゆる「アラブ人」)、同じ宗教(イスラム教)、同じ言語(アラビア語)の人々が一つの国家を形成していないのかということであった。実際には同じ民族であっても様々な部族が存在し、同じ宗教であっても様々な宗派が存在する(大きく分けてスンナ派とシーア派、さらに細分化可能)からであろう。(言語的に差異があるのかについては不明)。西欧的な「大きな括り」においては同じであっても、「小さな差異」というものが中東では重要であり、その「小さな差異」の積み重ねこそが「一つの国家」(≒主権国家、国民国家)の形成を難しくしてきたのだろう。そしてその「小さな差異」の積み重ねに諸外国を含む様々なアクターの「思惑」が絡んでいるというのが中東情勢の現実だろう。

結局のところ、現在のイラクやシリアをめぐる問題というのもその「小さな差異」の積み重ねと諸外国の「思惑」の産物に他ならない。イラクやシリアの混乱は目に見える非常にわかりやすいものであるが(だからといって解決が簡単なわけではないが)、一見平穏に見える湾岸諸国(サウジアラビア、クウェート、バーレーン、カタール、UAE、オマーン)の間にも「小さな差異」と「思惑」があり、決して一枚岩であるとは言えない。

それでも、上に列挙した湾岸諸国は少なくとも現在の国家を築き、一応は平穏に維持することができている。「主権国家」や「国民国家」という政治システムの是非はともかくとして、これらの政治システムが湾岸諸国において機能し、成果を上げているということである。とすれば、サウジアラビアの84回目の建国記念日は実に「めでたいこと」なのであると思う。

皮肉にもその「めでたい」はずの建国記念日に、サウジアラビアは「主権国家」および「国民国家」という政治システムに挑戦する「イスラム国」(Islamic State, IS)への攻撃に踏み切った。それに先立って、イランというもう一つのイスラム国家の雄との協調に踏み切った。このことは、サウジアラビアという国が、またサウード家という王家が、「主権国家」および「国民国家」という政治システムを堅持するという明確なメッセージであろう。

「アラブに生まれたということは辛い思いをしろということだ」とは、映画『アラビアのロレンス』のアラブ国民会議後にアウダ(ハウェイタット族)がアリ(ハリト族)に吐き捨てた言葉だ。先立つアラブ国民会議のシーンでは各部族が自らのエゴをぶつけ合い、会議は紛糾する。そしてダマスカスの街は各部族の犠牲となって荒廃してゆく…。結局のところ中東をめぐる状況は約100年前とあまり変わっていない。そのことに心を痛めつつも、傍観し、何ら解決策を考えることができない自分の小ささを知った初めての建国記念日であった。