・この長いプロフは2009年に一番最初に自力で作ったHPに貼り付けているもので、今も残っています。
そちらをこちらへ転載したものです
 
 
 
 
恥ずかしながら、自己紹介です!(2014年1月更新)
 
・1975年、風薫る5月。
今ではすっかり豪雪地帯として有名になった岩見沢市に長女として誕生。(3つ上の兄が一人)
兄とは真逆の性格で、自由奔放・天真爛漫に、すくすくと育つ。
迷子にならせたら天下一品の奔放ぶり。
 

・6歳のクリスマスイブ。
奔放過ぎて自宅の真ん前で派手に車にひかれ、右大腿骨骨折の重傷。
二ヶ月強の入院後、松葉杖をつきながらの登校。体育の授業も三ヶ月ほど見学の日々。
その時の傷跡が見える短パンになる体育の授業が大嫌いになる。(トラウマ)
 
・12~18歳。体育が大嫌いなことも手伝い、帰宅部と称しては買い食いに走る。
もちろん体型はぶくぶくのまんまるに。
しかしイジメに合うこともなく友達たくさん、幸せな学生生活を送る。(学校大好き勉強キライ)
 
・18~20歳。どうしても就職したくなくて、親の負担もろくに考えず札幌の専門学校に入学。
ちっとも勉強せずさぼってばかり。バイト生活に明け暮れる。
20歳の時に老けすぎて30代に見られ、「本当の年齢を確認したいから免許証を見せろ」と言われる。
 
 

・20歳~25歳。~私の暗黒時代(涙)~

そんな老け顔の20代前半のわたし。
専門学校をなんの思い入れもなくあっさり卒業後、夢も希望もなく、就職先もしっかりと決まらず、だらだらとバイト生活。
さらには両親と真っ向から対立、反抗期以上の反抗期に突入。(なんでいまさら)
喧嘩に喧嘩を重ね、ついにうちを出る決心をし、アパートを借りて念願のひとり暮らし。

喜びもつかの間、生活するのに収入を確保しなければならない現実に、朝から深夜まで掛け持ちのバイトに精を出す。
偏った食生活、慢性的な睡眠不足、当たり前にお肌はボロボロ、体もボロボロ。毎日眠くてだるくて、バイトも遅刻常習犯。(最低)
一ヶ月に一度は風邪をひき、ひどい時には近所の友人に車で病院に担ぎ込まれることも。(この時代はよく心配した友人から玄関に差し入れが届いてました…みかんとか)

仕事ももちろん定まらず(彼氏ももちろん定まらず)、慣れてきては次の仕事に果敢にチャレンジ!が、まったく自分のやりたいことが見えず、さらに荒れる生活に拍車をかける。
付き合っていた彼氏が引き起こしたセンセーショナルな事件のおかげで、幸か不幸か一ヶ月に8キロも痩せ、一気に普通?体型に。
(軽くうつっぽくなってました)
「男なんて本気で付き合うもんじゃない」といっそうひねくれ、バイト生活かけもちに精を出す。
ひたすら仕事をし、ひたすら遊んだ、そしてもっとも親不孝だった20代前半。
 

・26~30歳。実家の祖母(父方)が近所の病院に入院することに。
母が毎日のように通院し、祖母の世話を始める。この時の母がかなりしんどそうで、実家に戻り母の手伝いをする決心をする。
バイトも全て辞め、実家に戻る。少しづつ自分の中の「ちゃんとしなきゃ…」の気持ちが膨らみ、なんとか「ちゃんとした会社」に就職したいと初めて思う。(遅い)

おそらくこの時初めて真剣に就職活動をしたわたし。
本当にまぐれで「ちゃんとした会社」に就職。(奇跡です)
「ちゃんとした会社」に就職し、その現実にまた打ちのめされる。
できない敬語、できないパソコン、何からに何までがバイトと違う分野。
自分の甘さ、無知さを本気で感じ、情けなくなる。ここから少しづつ自分が変わり始める。
そして夫と知り合ったのもこの時期。
祖母が他界。その四十九日の当日、母の実母も他界。その二ヶ月後、父が突然仕事を辞める。
母が崩壊しだしたのもこの時期。
 
・30歳。なんと結婚。まさかの結婚。夫、ありがとうございます。
 
・31歳。「ちゃんとした会社」で惜しまれつつ退社。惜しんでもらえるなんて、入社当時は考えもできなかった。
怒鳴られ、なじなれ、鼻で笑われたわたし。悔しくて眠れなくて、原因不明の皮膚病になったり鼻血が止まらなくなったり。
それでも最後は惜しんでもらえるまで頑張った自分、初めて自分を偉いと褒めた瞬間。
専業主婦に憧れを抱き悠々と退職。しかし…
 
・32歳。夫が仕事を突然辞める。本当に突然。
びっくりしたけど、なんかの病気にならないだけましだ!と思い、納得。しかし収入がない…焦るわたしたち。
半年後、なんとこんな時期に妊娠。しかし、流産。わたくし、相当落ち込む。その3ヶ月後、夫、苫小牧に再就職が決まる。いろんなことが動き出す。
 
・33歳。夫婦揃って生まれ育った土地を離れ苫小牧に。右も左もわかりません。迷子に二回ほどなる。(極度の方向音痴です)
 
・34歳。夫、就職先の研修のため半年間愛知県に出向。わたし、知らない人・知らない土地に耐えられず、その間実家に戻る。
暇だからなにか勉強でもしようとまず始めたのが「アロマテラピー検定1級」。資格取得。
アロマの資格を取ったものの何に活かせばいいのかわからず悩んでいる時、地元のフリーペーパーに載っていた同級生のエステサロンを見つける。
軽い気持ちで連絡してみるとリンパマッサージの講師になったというので、即決で資格を取ることを決める。
わたしのセラピストとしての人生がスタート。
同年4月、ずっと様子がおかしかった実家の母がなんと「若年性認知症」と診断される。
家族のためだけに生きてきた母の病に、そしてこれからやっと親孝行が出来ると思ってた矢先の出来事に打ちひしがれ、どん底まで落ち込む。
しかし、これがきっかけとなり今後母の面倒を見る父のサポートも、自分の都合で休みが取れる「おうち(自宅)サロン」を開く決心をする。
「Spring」の名前は実母の「春子」の春、からいただきました。
 
・35歳。右も左もわからなかった苫小牧市で半ば勢いで始めた癒しサロンSpring、なんと一年も立たずしてまさかの軌道に乗り絶好調。お客様に恵まれ充実した毎日。
仕事の充実感を心から味合う。最高のお仕事に巡り会えたことに感謝の日々。どんどん自分が良い方向に変わっていってると実感していた矢先
二度目の妊娠。
そして二度目の流産。
自分の運命を半分呪いつつ、でも諦めずにわたしらしく前に進むことを固く固く決心したこの歳。
 
・36歳。ハードワークな仕事に通用する身体を手に入れたくて、ヨガを始める。そのヨガにどっぷりはまり、インストラクターの資格を取得。体が心底変化したことを実感。
お客様にヨガも伝えられるよう、幅を広げることができたこの一年。
 
・37~38歳。来てくださってるお客様の体をもっと良くしたい!と欲が出る。
もっとたくさん身体の隅々まで勉強したいと心から思い、度々講習に参加するように。筋肉、骨格について深く学ぶ。
師匠からのありがたいスカウトでリンパケアの育成講師になる。
同時に協会の理事に就任。リンパケアを通じ本格的にボランティア活動を始動。
「女性の一生涯を支えるセラピストになりたい」と考えるようになり、
妊婦さんにもリンパケアができるよう周産期解剖生理学の勉強。自分に子供がいないことをいつもどこかでハンデに思っていた部分を払拭できたこの一年。
講師をやらせてもらったことで、本当に自分が心から貢献したいと思えることを発見できた38歳。
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そして。
Springは開業して2014年で丸5年を迎えられることとなりました。
人に恵まれる運だけは、おそらく誰にも負けないであろうSpring、本当に生まれてから今まで支えてくれた周りの方々のおかげでここまでくることができました。
母からもらった名前に恥じないように、困った人がいたら必ず助け、人のことを悪く言わない、そんな母と同じように、今たくさんの人から愛してもらえるサロンになりました。
それを今ものすごく実感しております。
私がこのSpringを頑張れば頑張るだけ、楽しめば楽しんだだけ、両親に対しての唯一の親孝行になるのでないかと感じております。
 
ここから先はまた一年ごとに更新していくことになります!
書いてて情けなるなるくらいひどい20代でしたが 笑
今はほんっとーに、毎日が楽しいんです!
この先も
どんな素敵なお客様との出会いになるのか。(わくわく)
どんな自分になれるのか。(どきどき)
 
それはきっと
「自分次第」!!
 
ですね!
最初から読んでいただいてもおわかりのように、わたしはまったく秀でた子ではなく、本当に要領の悪い、落ちこぼれ組でした(笑)
そんなわたしでも、今はこうしてたくさんの素晴らしい愛するお客様、家族、仲間に出会い、最高に幸せな毎日を送らせていただいております!
苫小牧も大好きな街になりました!
このわたくしについて、は、できるだけ自分の言葉で話すよう、一生懸命に考えて書いた言葉たちです。読みにくかったらごめんなさい。
間違った表現も、読みにくい言葉使いも沢山あるかとは思いますが、これが「まんま」のわたしです。
これをご覧になってくださった画面向こうの皆様の
毎日の充実感を高めるサポート、そしてわたしと同じようにお客様をまごころ込めてサポートしたいと思っているセラピストの皆様を、
わたしの力の限り応援していきたいと思っておりますので、どうぞ今後とも癒しサロンSpringをよろしくお願いいたします!
 
 
 
 
ここまで読んでくださった皆様、お疲れ様でした(笑)
そして本当にありがとうございました。
 
 
わたしの今現在のプロフはこちらです。
随分と上記の長いプロフからは変化したと思いますが、
わたしのスタートのプロフはこんなにも稚拙で雑でした
 
恥ずかしいですがそのまま転載します。
 
 
稚拙で雑ではありましたが
このプロフから沢山の方がご来店くださいました
 
これを読んで「貴女に逢ってみたいと思った」と
お客様に何度も言われたプロフです。
 
 
きっとあの頃
何もわかならいわたしは必死に自分が「安全だということ」をお客様にどう伝えたらいいのかわからずに
とにかく正直に裏表がないことだけを読んでくださる方へお伝えしようと必死に書いたことを思い出します
 
 
かっこつけることも出来ず
不器用ではありましたが
そこから多くのお客様が来てくださり
多くの方が常連様になってくださり
 
今のわたしの至ります。
 
 
今日もこの日に
この長く雑で稚拙なわたしの「生きてきた過去」を読んでくださり
本当にありがとうございました。
 
 
 
 
 
自宅サロンアドバイザー・陽の音色 代表
たかさかみや