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清瑩塾

清瑩(せいえい)とは、“清く輝くさま”を意味する。

コンピューターを介在させると芸術性が失われます。 いくら人間がデザインしたスケッチを元にしても、それをコンピューターに入力し、ソフトウェアを使って立体的な3次元データ(3Dデータ)を作るわけですから、それは、もはやコンピューターという機械が作り出した曲線や曲面になります。

まず下の写真、これはクルマのボディをデザインするソフトウェアの一つですが、こういうものを使って立体が描かれるわけです。

3D 

では、コンピューターが普及していない時代に作られた昔のクルマと、コンピューターを駆使して作られた現代のクルマを比較してみましょう。

次の写真はフォルクスワーゲンのビートルの、昔のモデル(上)と、現代のモデル(下)です。芸術性という視点で見ていただければ違いは歴然ですね。

VW 

 次の写真は日産のフェアレディZの昔のモデルと現代のモデルです。昔のモデルは芸術作品だと言えますし、現代のモデルはクルマという機械だと言えます。

Z 

もう一つ、イギリスのアストンマーティンを見ていただきましょう。昔のモデルは、やはりこれも優れた芸術作品だと言えますし、現代のモデルは機械に見えます。

aston 

多くの人間が現代のクルマに惹かれ難くなったのは当然だと言えます。魂を揺さぶる芸術性が消え失せ、単なる機械、或いは道具に成り下がってしまったからです。機械だからこそ、効率が優先され、燃費や室内の広さや使い勝手でしか評価されなくなったのです。


半年ほど前に、野村総合研究所が、10年~20年後に機械に置き換わってしまうと予想される職業に就いている人は、今の労働人口の49%だという調査報告を出されました。要するに、約半分の人が現在行っている仕事は機械に置き換えることが可能だというものです。機械には人工知能を搭載したコンピューターやロボットも含まれています。既にクルマのデザインに関わる多くの部分が機械化されてしまいました。その結果がこれです。

どれだけ進んだ人工知能を搭載したコンピューターやロボットが開発されても、それらは人間に成ることは出来ません。目の肥えた人であればあるほど、人間が丹誠込めて生みだした芸術作品と、機械が作った作品の違いはすぐに判ります。

人間の脳の機能や創造的活動はたいへん優れたものです。また、一人ひとり違っています。一人の人であっても、その時の心理状態によって生み出されるものは異なってきます。それを充分に活かすことが真に価値のある仕事になるわけですし、真に価値のある製品を生み出すことになるのではないでしょうか。