今日で東日本大震災から1年になります。
当時の事を振り返ると、僕はちょうど仕事中で、会社で機械操作をしていた。
一瞬、目眩がしたような気がして、回りを見渡すと作業者全員がフラついてた。
天井からぶら下げてあるパネルなんかが大きく揺れているのを見て、地震だと気づいた。
3分以上、結構大きく揺れた気がした。
一時、工場外へ全員避難し、揺れが完全におさまるのを待った。
休憩時間になってから震度を確認したら、愛知県の僕の住む地域は震度4だった。
ただ、そんな事より目を疑ったのが震源地。
宮城県だった。
これだけ離れた愛知で震度4。
じゃあ震源地は…
家に帰ってテレビを見たら愕然とした。
たぶん多くの方は同じ感覚だったかと思うのであえて細かくは書きませんが、泣くつもりはないのに気づいたらボロボロ泣いてた。
毎日毎日、津波の映像が流される度に同じ感覚になった。
しばらくは東北や関東の友人や釣り仲間と全く連絡がとれずに焦った。
最後の1人まで連絡がついたのが2週間後の事だった。
みんなと電話で話してたら罪悪感を感じた。
離れて暮らす僕には何を言ってあげればイイか分からなかったから。
皆さんご存知のように、すぐに募金活動や節電といった動きが出てきた。
もちろん個人的にも、会社でも募金をした。
食糧が買いにいけないと言っていた福島の仲間には食糧を送った。
ただ当時ほとんどの運送会社が東北への運送を凍結していて断られた。
東京の友人に聞いたらゆうパックだと板チョコや小さめのものなら送ってくれるらしいと言うので、箱に入る分だけひたすら購入して送った。
ストイックカーキとしては、募金を募るチャリティーTシャツを作った。
正直、自分にできるのはココまでだった。
毎年お盆には釣りで東北、関東を訪れるので昨年は釣りはメインにせず、被災地でお金を落とす目的でいつも以上にラーメンを食べ、風呂に入り、買い物をした。
岩手、宮城、福島についてはできるだけ被害の大きかった地域でと考えていたんだけど、旧ダイアリーにも書きましたが、沿岸部はテレビで見た景色より酷くて、ラーメン屋どころが店がなくなってた。
あっても当然のように営業していなかった。
この時初めて自分の考えの甘さに気づいた…
震災から5ヶ月経ってるしと思ってたのに。
結局、岩手の陸前高田市まで上がって行ったけれど全く同じ風景。
それでも海から近いとは言え、ひと山越えると普通に街がある地域もあったのでそちらで食事や風呂などを済ませた。
すごくやりきれない思いだった…
あれから半年程経ち、テレビでは津波の映像が流れなくなった(ココ数日は震災から1年になる為、思い出したかのように流れてますが)。
そのせいかニュースでは募金が減った、ボランティア激減、などの話をよく聞くようになった。
風化してる。
ただ、こんな文を書いてる僕も例外ではないと思う。
あれほど毎日考えてたのに日ごとに考えない時間が増えてきてるのは事実。
正直、募金はしてるけど、東北の仲間からは震災の話題は出なくなった事で少し安心していたのかもしれない。
先月、福島の釣り仲間の一言でそれを思い知らされた。
福島の桧原湖とゆう湖は冬、氷がはり、仲間は穴をあけてワカサギを釣るのが好きで、今年も行ってきたという。
電話がかかってきていろいろ土産話を聞いてたら
「いやぁ~あまりにも大漁だったもんだから、ほんとは半分送ってあげようかと思ったんだけど、桧原湖はセシウム反応出てっから~、迷惑かけるといけねぇから俺らで食っちまったぁ~アハハ」
返す言葉が見つからなかった…
表向きだけで安心しちゃいけないなと改めて感じ、震災から1年だから、とゆうよりは、仲間のその一言をきっかけにもう一度自分なりに出来る事していこうと感じた。
正直、何が出来るかなんて全く思い付かない…
何をする事が被災者にとってベストなのかがわかんないから。
でも何かやんなきゃ…
いろいろ考えてます。
当時の事を振り返ると、僕はちょうど仕事中で、会社で機械操作をしていた。
一瞬、目眩がしたような気がして、回りを見渡すと作業者全員がフラついてた。
天井からぶら下げてあるパネルなんかが大きく揺れているのを見て、地震だと気づいた。
3分以上、結構大きく揺れた気がした。
一時、工場外へ全員避難し、揺れが完全におさまるのを待った。
休憩時間になってから震度を確認したら、愛知県の僕の住む地域は震度4だった。
ただ、そんな事より目を疑ったのが震源地。
宮城県だった。
これだけ離れた愛知で震度4。
じゃあ震源地は…
家に帰ってテレビを見たら愕然とした。
たぶん多くの方は同じ感覚だったかと思うのであえて細かくは書きませんが、泣くつもりはないのに気づいたらボロボロ泣いてた。
毎日毎日、津波の映像が流される度に同じ感覚になった。
しばらくは東北や関東の友人や釣り仲間と全く連絡がとれずに焦った。
最後の1人まで連絡がついたのが2週間後の事だった。
みんなと電話で話してたら罪悪感を感じた。
離れて暮らす僕には何を言ってあげればイイか分からなかったから。
皆さんご存知のように、すぐに募金活動や節電といった動きが出てきた。
もちろん個人的にも、会社でも募金をした。
食糧が買いにいけないと言っていた福島の仲間には食糧を送った。
ただ当時ほとんどの運送会社が東北への運送を凍結していて断られた。
東京の友人に聞いたらゆうパックだと板チョコや小さめのものなら送ってくれるらしいと言うので、箱に入る分だけひたすら購入して送った。
ストイックカーキとしては、募金を募るチャリティーTシャツを作った。
正直、自分にできるのはココまでだった。
毎年お盆には釣りで東北、関東を訪れるので昨年は釣りはメインにせず、被災地でお金を落とす目的でいつも以上にラーメンを食べ、風呂に入り、買い物をした。
岩手、宮城、福島についてはできるだけ被害の大きかった地域でと考えていたんだけど、旧ダイアリーにも書きましたが、沿岸部はテレビで見た景色より酷くて、ラーメン屋どころが店がなくなってた。
あっても当然のように営業していなかった。
この時初めて自分の考えの甘さに気づいた…
震災から5ヶ月経ってるしと思ってたのに。
結局、岩手の陸前高田市まで上がって行ったけれど全く同じ風景。
それでも海から近いとは言え、ひと山越えると普通に街がある地域もあったのでそちらで食事や風呂などを済ませた。
すごくやりきれない思いだった…
あれから半年程経ち、テレビでは津波の映像が流れなくなった(ココ数日は震災から1年になる為、思い出したかのように流れてますが)。
そのせいかニュースでは募金が減った、ボランティア激減、などの話をよく聞くようになった。
風化してる。
ただ、こんな文を書いてる僕も例外ではないと思う。
あれほど毎日考えてたのに日ごとに考えない時間が増えてきてるのは事実。
正直、募金はしてるけど、東北の仲間からは震災の話題は出なくなった事で少し安心していたのかもしれない。
先月、福島の釣り仲間の一言でそれを思い知らされた。
福島の桧原湖とゆう湖は冬、氷がはり、仲間は穴をあけてワカサギを釣るのが好きで、今年も行ってきたという。
電話がかかってきていろいろ土産話を聞いてたら
「いやぁ~あまりにも大漁だったもんだから、ほんとは半分送ってあげようかと思ったんだけど、桧原湖はセシウム反応出てっから~、迷惑かけるといけねぇから俺らで食っちまったぁ~アハハ」
返す言葉が見つからなかった…
表向きだけで安心しちゃいけないなと改めて感じ、震災から1年だから、とゆうよりは、仲間のその一言をきっかけにもう一度自分なりに出来る事していこうと感じた。
正直、何が出来るかなんて全く思い付かない…
何をする事が被災者にとってベストなのかがわかんないから。
でも何かやんなきゃ…
いろいろ考えてます。