壮絶な過去を持つ私ですが、今は幸せ(o´∀`)b | 3人の個性豊かな子供達と愉快な旦那と暮らす~笑いアリ涙アリ愚痴アリ!?何でもアリのブログ(笑)

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スカポンタンです(≧∀≦) 
旦那の事や子供の事、料理、映画、自分の過去、今日の出来事etc…
いろいろテーマ別に書いてあります(ゝω∂)
下ネタもアリ(笑)
よろしくお願いしやすっヾ(o´∀`o)ノ

私の父親はどうしようもない人です。


物心ついた頃から私は彼の事が大嫌いでした。


私がまだ5歳くらいの時、夕食後居間でテレビを見ていました。
私が大好きなアニメだったので夢中になって見ていたのに、風呂上がりの父親がのこのこ居間にやって来て何も言わずにチャンネルを変えました。
テレビを見たら、プロ野球がやってました。
私はまだ幼いので、チャンネルを勝手に変えられて悲しくなってその場で号泣しました。
父親「うるせぇんだよ、ピーピー泣きやがって!!邪魔だからどっか行け!!」
父親に怒鳴られ恐くなって母親のところまで走っていったのを覚えています。



私が小学生の頃、飲酒運転で知らない人の敷地の壁に軽トラで衝突事故を起こし、軽トラをその場に置いたまま血だらけで歩いて帰ってきた事がありました。



外で飲み歩き帰ってくる時はいつも軽トラのクラクションを何十回も鳴らしながら帰ってきました。


外で飲んできたのに、家でもビールや焼酎を飲みます。飲まない日はないです。



大きな声で怒鳴り、家族の誰からも相手にされないともっと怒鳴ります。
そしてラジオを大音量でかけたり、ブレーカーをわざと落としたりして人に迷惑をかけてました。


父親の帰りが遅くて父親抜きで焼き肉を食べたら、それに気付いた父親がキレてホットプレートを窓から外に放り投げた事もありました。



私はいつも夜酔っぱらっている父親が恐いので、母親と同じ寝室で寝ていたんですが
父親が急に寝室に入ってきて横になっている母親の上に跨がり私の目の前で襲おうとした事がありました。
私はその時まだ10歳くらいだったので、父親が母親を殺そうとしてると思い、泣きながらおばあちゃんの寝室まで行きました。
事情を聞いたおばあちゃんが母親達のいる寝室まで行き、父親の胸ぐらを掴んで怒っていました。
22年経った今も鮮明に覚えています。



私達の寝室の隣りはダイニングキッチンで、その間にガラス戸がありました。
私はガラス戸の近くに布団を敷いて寝ていたんですが、ある夜父親がダイニングで酔っ払って叫んでいた時母親も私も無視して寝たふりをしていました。
誰にも相手にされない事に腹を立てた父親が小銭をガラス戸目掛けて投げました。
何枚も投げました。
その衝撃でガラス戸のガラスが割れて私の枕元まで飛んできました。
ガラスの破片が髪の毛につきました。
目に入ったら失明していたかもしれないと思うと、恐くなってその日はなかなか寝れませんでした。


夜中に耕運機で畑を耕していた事もありました。大きな声で母親の名前を叫びながら…。


酔っ払って柿の皮を包丁で剥いて指を切り、血だらけになっていた事もありました。



酒を浴びるほど飲み、母親には生活費を1万円しか渡さない時もありました。


給食費を払えなくて、おばあちゃんからお金を借りている父親を見た事もありました。


大人になりきれてない人なんだと思いました。
酒と煙草さえあればいいという考えなんでしょう。


家族揃って旅行なんて1度も行った事なかったです。

親子で出掛けたのも5回あるかないかでした。



私は友達が羨ましかったです。



友達のお父さんの車でプールに連れて行ってくれたり、海に連れて行ってくれたり、一緒になってバスケしてくれたりしました。


私は友達のお父さんとふれあう度に自分の父親がますます嫌いになりました。


私が中学生になってからも相変わらず酒乱でした。



仕事中に梯子から転落して腰を痛めて、半年くらい働いてなかった時期がありました。
それでも毎日酒は飲んでました。



中3になり、推薦入試を狙っていた私は学校でも家でも勉強を頑張っていました。
特にテスト期間中は徹夜で勉強しました。
父親はそれを応援するわけもなく、無関心でした。
ブレーカーを落とされ、懐中電灯でノートを照らして勉強した事もありました。


私が高校生になってからも父親は全く変わりませんでした。
私は一人っ子ですが、父親から大事にされてると思った事は1度もありません。


私が高1の時、小学生の時から友達のお父さんが病気で亡くなりました。
小学生の時、私をプールに連れて行ってくれたお父さんです。
すごく悲しかったです。
代わりに私の父親が死ねばよかったのにと思いました。



高校生になってからもテスト期間中に徹夜して勉強していました。
「電気代がもったいないからとっとと寝ろ」と罵声を浴びせられるのには慣れました。


でも苦手な教科を必死に勉強している最中に、罵声を浴びせられ、隣りの部屋でラジオを大音量でかけられた時には腹が立ってしょうがなかったです。

私の事を父親は何も知りません。
学校の成績も、担任からの評価も、通知表も1回も見た事がないです。


そんな父親に、
「お前はどうせバカだから何やったって無駄だ、諦めて寝ろ!!」と言われた時、

今まで小さい時から我慢して押さえ込んでいた感情が爆発しました。


気付いた時には包丁を手に持ち父親の寝室の前で立っていました。


寝室のドアを開けたら、ラジオが大音量で流れているのに父親はうたた寝をしていました。
父親の寝顔を見てますます腹が立ちました。

こいつさえいなければ、私は幸せになれるのに…


そう思っていたら、母親が後ろから私を羽交い締めにして包丁を取り上げました。

「こんな事したらあんたの人生台無しになるよ」


もうこいつのせいで既に人生台無しなんですけど…。




馬鹿馬鹿しくなり、気持ちを切り替えてテスト勉強をその日は朝までやりました。



おかげで苦手な世界史で100点とりました。





高2の2月、今でも自分の手の甲の傷を見ると思い出します。







私は休日、昼前に部活が終わり帰宅して、昼食を済ませてから居間で友達から貰った『年賀状』を見ていました。
全部の年賀状を見終わり、テーブルにひとまとめにして置いたまま席を離れ、自室で勉強を始めました。
3時過ぎくらいに父親が酔っ払って帰って来ました。
私は構わず勉強をしていたら、父親と母親が大ゲンカしている声が聞こえてきました。

何があったのか気になり、ケンカしている場所まで行ってみました。
ケンカしている場所は、玄関でした。

私は玄関のドアが開いた状態だったので、自然と庭に目がいきました。
庭には私が居間に置き忘れた『年賀状』がばら撒かれていました。
父親がテーブルに置いてあって邪魔だから外に投げ捨てたみたいだと母親が言っていましたが、私はそれを聞いて怒りが限界に達して思わず窓ガラスを握り拳で殴って割りました。
窓ガラスを割っても現状は変わらないのに…


手の甲からは次から次へと血が流れてきました。
貧血でフラフラになりながらもその場から立ち去りました。


母親がほうきでガラスの破片を掃いてかき集めている悲しそうな後ろ姿を見た時、申し訳ない気持ちになりました。





その1週間後、校内マラソン大会で女子の部1位入賞しました。
母親の喜ぶ顔が見れて嬉しかったです。




高3の時、担任や学年主任から進学を進められました。
私も進学してもっといろんな分野を学びたかったので、親に頼みましたが
「うちにはそんな金がない。奨学金制度も使うな!!」と父親に言われました。


担任と学年主任がわざわざ自宅に来て説得してくれましたが、首を横に振るばかりで全く聞く耳を持っていませんでした。



18年一緒に暮らしましたが、1度も父親らしい事はしてくれませんでした。









今私は結婚して子供が3人いてとても幸せです。

旦那はお酒をたまにしか飲まないし、煙草もやめました。
夫婦ゲンカもめったにないです。







私の子供の時のように親を恨みながら生活してる人が今もどこかにいるかもしれないと思っていろいろ書きました。


私はあの時父親を包丁で刺さなくて良かったと今は思っています。


学校を卒業して社会人になれば嫌いな親と一緒に住む必要はないです。
自由になれます。


私はその時が来るまでグレずに我慢して良かったと思ってます。


私は学校ではめちゃくちゃ明るく目立つ存在でした。
友達に「いつも明るいから悩みなんてなさそうだよね」と言われるくらい明るかったです。
家庭に問題があっても友達と学校でハシャいでいれば、学校にいる間は忘れられます。


今、昔の私のような状態の人がいたら
『嫌な事を忘れさせてくれる大切な友達』を作って欲しいなと思います。