茨城県牛久市で、瞑想の為のヨガ「スンニャターヨガ」を主宰しております、茂木敦子です。

茂木敦子のヨガ遍歴シリーズパート4です。
パート1(ヨガとの出会い)はこちら。
パート2(色とりどりの流派)はこちら。
パート3(ニーマル先生との出会い)はこちら。

ニーマルヨガの指導者養成講座第二期が2008年1月にスタートする頃。

私は大学卒業を控え、ちょっとした壁にぶち当たっていました。
「よっし!ニーマル先生のところで学ぶぞ!!」と気合いがみなぎっていたものの、「費用」と「時間」の問題を解決する必要があったのです。

大学を卒業したら、在学時にお世話になっていた自然公園の解説員の仕事を続けようと考えていました。
ニーマル先生の講座は週末にあり、解説員の仕事は週末がメインで休むことはできない。
仕事か講座のどちらかを選ばなければなりませんでした。

解説員の仕事は、しばらくアルバイト要因としての扱いのため、講座の費用をまかなうことも難しそうでした。

それ以前に、養成講座に参加する為の支払いも当時学生だった私には高額でした。


「第二期の参加は諦めて、まずは週末に休める会社に入ろう。
まとまったお金ができて、またタイミングに恵まれることがあれば、その時にニーマル先生に会いに行こう。」

そう決めて、解説員の仕事を辞退し、就職活動をはじめました。
当時いわゆる「買い手市場」だったからか、業種にこだわりがなければ二次募集で一人一社は内定がもらえる状況にありました。
エントリーシートはなく、面接は必ず受けられ、多くても2回の面接で内定が決まりました。

卒業論文の締め切りや大学の講義・試験とにらめっこしながら、1ヶ月かけて何社か面接しに行きました。
(今思うと、あの頃本当に一日が24時間だったのか信じられません。やることが多すぎました。)

そして、都内にあるIT系の会社に内定をもらいました。
プログラミングの知識ゼロで、不安しかありませんでしたが、これでニーマル先生のもとで学べる可能性が増えました。
「時間」と「費用」の問題は、不器用なりにクリアできたのです。


そして大学卒業後、会社に勤める生活をはじめました。
森や田畑など、自然公園で仕事をしていたころとは打って変わり、毎日パソコンの前に座ってデスクワークめいたことをしていました。
ぎゅうぎゅう詰めの常磐線に乗り、ぎゅうぎゅう詰めの山手線に乗り換え、通っていました。
緊張と不安で、挨拶や何気ない会話がぎこちなくなりました。
何時間かけてもわからない部分を、何度も先輩に教えてもらいました。
簡単なことも出来ない自分に、不甲斐なさを感じていました。

ヨガを始めたころの、あの体調の悪さとは違う、別の違和感がありました。
腰痛、頭痛、肩こり、ふくらはぎや顔のむくみ。。。
これは、会社に勤めてみないとわからない部分だったと感じています。


これで、合っていただろうか。
本当に、チャンスはまたやって来るだろうか?


そんな想いがふとよぎっても、時間はどんどん流れていきました。

そして入社1年目の冬、初めてボーナスを頂きました。
そして、ニーマルヨガ第三期の募集が始まったことを知り、ようやくニーマル先生のもとで学べる機会が巡ってきたのです。

つづきは、こちら。
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http://s.ameblo.jp/sunnata-yoga/entry-11680079240.html

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