世界一の寿司職人 人生を語る! | N.Y.に恋して☆

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大学時代から恋焦がれたNYへ30代を目前にして移住。
NYを愛する読者へ向けて、ニューヨーカーの暮らし、
仕事、価値観や、NYの楽しみ方からビザまで、
現地で暮らしてこそ分かる等身大のNY生活を
綴っています。

NYには他のアメリカの都市に比べて日本食レストランは多くありますが、それでも、日本にあるようなおいしい居酒屋や和食屋さんに出会うのはごくまれです。

和食=ヘルシーといった概念が広がっていて、和食という看板を出せば人が集まるため、"Japanese"の名を付けて、日本では見たこともないような創作寿司や怪しげな和食を、中国人や韓国人が提供していることが多いのが実態です

しかし、熱い夢を持って渡米し、実力ある人が世界最高水準のレベルで切磋琢磨する街ニューヨークでは、日本でも出会えないような「和の職人」さんに出会えることに、渡米してしばらくして気づきました

今まで訪れた数あるレストランの中で、その味に純粋に感動し、そんな味を提供してくれる職人さんの素顔を知りたいと思い、そして定期的に足を運ぶお店はどれぐらいあるでしょうか。

今日は、NY在住の日本人、アメリカ人のみならず、世界中からその味を食べにお客さんが来店し、寿司通の間でも、あのすきやばし次郎を超えるとも言われているお寿司を握っている職人、hひでさんのお話です

ひでさんは、ウェストビレッジに構える牛若丸というお寿司屋さんの創業者そして経営者であり、大将。「牛若丸=ひでさん」は、NY在住の日本人で知らない人はいないぐらいの有名人です

入り口入ってすぐの定位置の寿司カウンターにどっしりと構え、黙々とお寿司を握るひでさんが、身の上話を始めたのは、少しだけ顔見知りになったかならないかという3度目ぐらいの来店のことでした。

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写真は、よみタイムHPより。いつお会いしても、エネルギーいっぱいのひでさん。

都内のお寿司屋さんで修行時代、不器用な手先で誰よりも包丁使いが下手で、指にできた当時の切り傷が未だに残っていると話すひでさんですが、ふわっとしたシャリとネタの絶妙なコンビネーション、素材の良さを最大限に引き出した切り方、味付けは、まさにひでさんにしかできない最高級の技術

マンハッタンの西側を流れるハドソン川を渡った向かい、旧ヤオハンが経営する全米最大の日系スーパー、ミツワの敷地の隣には、日本がバブル景気に沸いていた時代に、椿山荘の親会社、藤田観光が経営する料亭がありました

お寿司が大好きと目を細めて語るひでさん。東京での修行を経て、世界一の寿司職人になるという熱い夢を胸に渡米後、この料亭の寿司カウンターで腕を地道に経験を積んでいったそうです。

25歳でお店を出すはずが少し遅くなってしまった、と話していましたが、わずか30歳で現在のウェストビレッジの場所に初めての自分のお店を構えて早22年。
街だけでなく、流行や嗜好の移り変わりも激しいマンハッタンの地で、一貫して正統派江戸前寿司を提供し続けていますお客さんも、ニュージャージーの料亭時代からのファンだったというアメリカ人、そして成人したその息子や、一旦日本に帰国したものの、二度目の駐在で戻ってきて、また定期的に通い始めた日本人、噂を聞きつけてロシアからやって来る人や、バーレーンの大富豪と、人種も国籍も様々でも、彼らに一貫しているのは、ひでさんのお寿司は世界一という共通認識

次回はそんな最高のお寿司を握るひでさんの魅力、ひでさんはどうやって世界一と言われるまでになったのか、ひでさんの人生とお店の裏話に迫ります