大分一家6人殺傷事件 | 少年犯罪事件史

少年犯罪事件史

2013年11月からスタートしました。少しずつ記事を書いていきます。

少年犯罪が多発した2000年、大分の静かな田園地帯でも事件が起きた。
15歳の少年が、同じ集落に住む一家の家に忍び込んた。深夜だったため、全員が家にいたことが災いとなり、ひとり残らずサバイバルナイフで刺された。3名が即死、2名が重体、1名が軽症という大惨事となる。この事件は、風呂の覗きと下着泥棒をその一家の主が少年の親に報告したことからはじまる。しかし、少年の殺意はこの一家に対しての恨みではなく、それが事実であることが親と近所にばれることを恐れ、証拠隠滅のために一家を殺そうと計画したものだった。表面的に見ると普通の家庭であり、少年も特に人目を引くような変わった行動を見せていなかった。しかしながら、その内面に持っているものを隠していただけであって、少年の中には表から分からないサディズム的傾向があった。


~~概要~~

「平成の八墓村」と言われた事件。
大分県の静かな田園地帯。2両編成の電車が走っている、ゆっくりとした時間が流れる地域で、ある日事件が発生した。通報したのは、襲われた一家の16歳の長女。一番被害が軽かった長女が携帯電話から連絡した。風呂場の窓を割って侵入した少年は、サバイバルナイフを振り回して全員をメッタ刺ししようと襲い掛かった。亡くなったのは、主の母親と妻、長男。加害少年と長男、次男とは長い付き合いでよく遊んでいた。長女とは同じ高校に通っており、小さな集落と言うこともあり、気心知れた間柄であった。
少年は、以前からこの一家の風呂場を覗いており、そのことについて少年の父親に告げるが、少年は証拠となる脚立を川に捨てて、シラを通す。次第に一家の少年に対する態度は冷たくなり、挨拶をしても返さないようになっていった。のち、一家から2度目の注意を受け、少年は殺害を計画し、犯行に及んだ。ポイントは、動機が一家に対する恨みではなく、親(特に父親)と地域(世間体)に覗きと下着泥棒がばれないための口封じのための殺人だったということ。自宅にいるところを任意同行され、警察署に向かう車中で犯行を認め、逮捕となった。
少年法の改正前の事件だったため、少年は刑事裁判を受けることはなかった。


~~時系列~~

2000年4月
高校に入学して野球部に入部したが、1ヶ月未満で退部している。

05月
通っていた高校でトラブルが起きる。生意気だと言うことで同級生から殴られ、そのことを学校に報告したことから、同級生達から反感を買う。この時は両方の親が介入し、相手方の親が少年に謝罪をしている。

06月
通っていた高校を休みがちになり「辞めたい」意思を学校に伝える。
この頃から、地域で女性の下着が盗まれる事件が発生している。

07月
中学時の同級生宅(Iさんとは別)に侵入し、下着を物色し切り裂く行為をしている。この件で、家族は被害届を提出している。

08/02
夜、Iさん宅の敷地に侵入しているところを見つかってしまう。下着を盗むために細工をしようとしていたが、引き返す。

08月上旬
7月に侵入した、同級生宅で再び下着を物色する。同級生と同級生の母親の下着を、刃物で切り刻み、それを放置して逃げている。このあたりから、少年の下着泥棒がうわさになる。

08/06
一家の主(Iさん)が、少年宅に行き、少年が風呂場を覗いているようだと、報告する。少年は自分はしていないと親に言い切るが、実際はお風呂の覗きだけではなく、下着を盗んでもいた。母親はその場では話を流すも、少年と二人になった時に、強く叱責する。

08/13
再び、Iさんが少年宅へ赴き、母親に注意をする。
この日、レンタルビデオでホラー映画の「13日の金曜日」を借りている。
夕方、父親に頼まれて入った倉庫でサバイバルナイフを見つけ、この時に犯行を実行しようと決意する。夜になり、少年は「犯行計画」をノートにつづる。具体的な行動を記していく。

08/14
00:00 Iさん宅に向かい、農機具小屋で身を隠す。
01:00 1階風呂場の窓を割り、家の中へ侵入し「皆殺しだ!」と叫びながら犯行に及ぶ。
02:00 犯行後、電話線を引き抜いて発見を遅らせるための工作をし、逃走する。自宅に戻り、ガソリンのポリタンクを持ち、再びIさん宅に訪れる。玄関前にガソリンを撒き火をつけるが、一部が燃えただけで火はすぐに消えた。
02:50 軽症だった長女が110番通報する。
04:00 警官が少年宅を訪れる。任意同行中のパトカーの中で犯行を認めた。

09/04
地検は、少年を大分家裁へ送致した。その後、大分少年鑑別所へ収容される。

12/26
大分家裁にて保護処分が言い渡される。
「社会に適応させるためには、最初から育て直すようにして少年の未熟な自我の発達を促しつつ命の尊さを教えることが不可欠であること。少年には、重症の小児期発症型行為障害でがあることから、相当長期間にわたり、専門的な治療と教育を行う必要があること。そのため、少年を医療少年院に送致すること」

2003年07月
3年の月日を経て、和解となる。
1.加害者の少年が35歳になるまで、半年に1度、住所と職業を被害者側に伝える。
2.同時に、その時の反省状況を伝える。
3.毎月6万円の賠償金を、総額が2億4千万になるまで払い続ける。

現在、当時の少年は社会に出て生活をしているが、本人からの連絡は途絶えており、被害家族には、少年の両親から定期的に報告がいっている。しかし、それには現状の仕事先などは書かれておらず、約束は守られていない。


~~生い立ち~~

 >>こちら