チクタク チクタク
日の出に時刻を合わせよう
チクタク チクタク
止まっていた時を進めよう
始まりもせずに終わった時は
記憶の片隅にも残らない
遅れてもいい 進んでもいい
錆び付いた針 折れるまで
我が身に刻まれし道標よ
いざ暁に 旅立たん
チクタク チクタク チクタク チクタク…
今日は久しぶりに祖父母のお墓参りに行ってきた。
福生名物、伊勢屋の酒まんじゅうを手土産に…
やっぱりここの酒まんじゅうは美味しい♪
久しぶりの叔父叔母、従兄弟家族との再会も嬉しかったな♪
福生駅から西多摩霊園へ向かう道中の空に、目指す大岳山がそびえていたのも印象的だった。
先週ね、お祖母ちゃんが夢に現れたんだ…
場所は何故か砧公園だったんだけど、相変わらずちょこまかしてたな(笑)
昔からちょこまかしてて、ちっちゃくて、笑顔が地顔のような可愛らしいお祖母ちゃんだった。
夢の中の砧公園で、お祖母ちゃんがちょこまかしていた場所へ行ってみたらさ…ポツンと
砧公園にはあまり自生してないヤブランが一輪咲いていた
ヤブランを守るように立っているのはサワラかな
これもこの辺りにはあまり生えていない珍しい樹…
こっそり…じいちゃんも来てたのか(笑)
お祖母ちゃん達の夢なんて、亡くなってからほとんど見たことが無くて…
嬉しくて、懐かしくて、逢いたくて、逢いたくて…
お墓参りに行ってきました。
ガキの頃、夏休み、お祖母ちゃんちに泊まりにゆくと、いつも暴飲暴食してお腹壊しちゃってたんだよね(笑)
そんな時お祖母ちゃんは、ずーっとお腹を撫でててくれた…
おれはあれで「手当て」を覚えたんだ。
どこかにぶつけたりした時、とっさに手を当てるでしょ、ほんの少しだけど…痛みが治まるよね。
治療のことを「手当て」と言うのはホントにそういう意味なんだよ。
人には、科学では説明出来ない力がある。
気が見えるようになるとよくわかります。
人が悲しんだり、辛い思いして苦しんでる時にかける言葉って難しい…
悲しみや苦しみなんて公式があるわけじゃなし、人それぞれ…人の内なるものなのだから「わかるよー」とかさ、どんだけ空虚で上から目線な言葉なんだろうと思う。
だから自分は、大事な人が悲しんだり苦しんでる時は、ただ、ただ、その人に手を添える…
ほんのちょっぴりでも、悲しみや苦しみが和らぐように想いを込めて…
自分には、そんなことくらいしか出来ないから…
冒頭の詩は、先々月、悲痛の思いでやむなくケジメをつけた時にツイッターに投稿した詩と写真…
実はこの時計、お祖母ちゃんのなんだ
お祖母ちゃんが生前にね、時計欲しいな欲しいなーって駄々こねてた自分に、これもう使ってないからあげるよとくれた時計なの。
当時はまだ動いてて、いつもポケットに入れて持ち歩いてたんだけど、もう今は壊れて動かなくなっちゃった…
今となっては、お祖母ちゃんの大事な形見…
この写真を撮った時はさ、そんなこと全然意識してなくて、ただ古ぼけた時計の写真を詩に添えたかっただけだったんだけど…
お祖母ちゃんはちゃんと応えてくれたんだな…
手も身体も無くなってしまっても…
ちゃんと「手当て」して 応えてくれた