古代出雲面影宿る・・ | 呑気な頼さん

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私の暮らす磐余の里は桜井市の南西部一帯の古き地名。日本書紀・古事記・万葉集などに数多く登場し十二代もの宮都が置かれた町です。大物主の鎮座する神山「三輪山」の麓には日本最古の市である「海柘榴市(つばいち)」や「仏教天来の地」、日本最古の道「山の辺の道」が通じてます。

 

十二柱神社は出雲集落のほぼ中央、旧初瀬街道沿いにある旧指定村社です。十二柱という名前の通り国常立神(くにとこたちのかみ)など天神七代の神々と天照大神など地神五代の神々、あわせて十二柱の神々を祀ります。

 

 

参道を通り石段を登ると、境内の鳥居の脇にある狛犬を四人の力士が支えています。狛犬を支える力士は、この神社だけではなく近隣の高龗神を祀る神社や音羽山観音寺、鏡作神社の手水舎なども力士が支えてます。境内には武烈天皇の皇居である泊瀬列城宮(はつせのなみきのみや)跡とされ、一帯には古代史、神話伝承に関わる名だたる地名が多く点在します。

 

 

武烈天皇をお祀りするお社です。

 

 

 

 


特徴として十二柱神社は拝殿を通して三輪山に鎮座する大物主(磐座)を逢拝する形式の三輪明神(大神神社)と同じように、昔は本殿が設けられず北方にあるダンノダイラの磐座を逢拝する形式でした。現在は本殿が設けられており、祭神は神代七代、地神五代の神を祀ります。ここ出雲集落では明治の初頭まで年に一度、村人総出でダンノダイラに登り、先祖を祀り偲ぶ習慣がありました。現在も出雲からダンノダイラに至る約2㎞の古道が残されており、ダンノダイラは出雲の皆さんにより管理されてます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


また出雲は当麻蹴速(たいまのけはや)と我が国初の天覧相撲で勝利した 野見宿禰(のみのすくね)を祖としており、この地は相撲ゆかりの穴師の相撲神社と同じく相撲発祥の地として知られています。

 

 

 

その事から鳥居の東側手前に立つ大きな五輪塔は、高さ2.85m鎌倉時代初期の五輪塔で、元々ここから約350m南東の狛川の畔、塔ノ本の野見宿禰塚(古墳)に建てられていたもので、明治16年の農地整理で塚がなくなった際、この地に移設されました。4側面に単独梵字仏を彫り、また地輪には一字一石経を納める、全国でも珍しい五輪塔と言われます。


 

 

この野見宿禰は埴輪作りの祖ともいわれ、出雲の水野家では後ろ前の凹形の型に粘土を詰め、後ろ前を合わせてて素焼きします。その後、彩色するという素朴ですが温かさが伝わる土人形が作られています。桜井市市役所入り口の待合室に飾られてます。余談ですが、私も数十年前、出雲人形先代の色づけに貢献してますw