給食後も休み時間も下校も。
少し私も鈍かったので、ボールを持って連中のところに駆け寄り「ドッジしようや~!」と自分から駆け寄った事もあります。
そしたら走って逃げるわけですよ。
「何かの遊びか?」
と私も追いかけていたのですが、何回も続くとさすがに気付きます。
小学生のこの手の「いじめ」はきついですよぉ。
体育の時間やら、図工の時間やら、とにかくグループ分けを学校はさせたがります。
そのたびに私は一人残されるわけです。
強制的にどこかのグループに入れられる訳ですが、基本静かなグループとか
大人しいグループに入れさせられてました。
元々の大人しいグループの連中には迷惑な話ですよね。
元々、私は五月蝿いほうだったので(当時はですよ)静かに過ごしたい上記の同級生は
はた迷惑だったと思います。
そんなこんなで数ヶ月この状態が続きました。
この頃、一度だけ武闘派の母に相談した事があります。
「学校に行きたくない」と。
一蹴されましたけどね(笑)
私なら、子供が学校に行きたくないと言えば行きたくなるまで行かなければいいと言いますが、
まぁ価値観の違いでしょう。
正直、そこからは荒れました。
母親は恐怖の対象でしたので、学校で(笑)。
喧嘩、喧嘩の毎日でした。
一番仲の良かった首謀者は逃げまくっていたので、周りの連中をとことんまで喧嘩しました。
一人は金○を蹴り上げてしまい、入院させてしまいました。
立派な傷害罪成立です。
一人は本気で殴ってしまい、顔の形が変わってしまいました。
私も先生からボコボコにされました。
勿論、反省しています。
ただ、当時は問題解決策が分からなかったんだと思います。
肯定するつもりはありませんが、私はある意味ラッキーでした。
通常、いじめの対象は大人しい子、人と変わってる子が対象となります。
自分がいじめられているという悲鳴を上げることも出来ません。
ただただ、耐え忍ぶだけです。
私は体も大きく、力も強かったので暴力という最低の手段で悲鳴を上げていました。
だから、周りが気付くのも早かったのかもしれません。
(先の私がボコボコにされた先生は、これが契機で気付いたと言ってました)
この状況は卒業式まで変わりませんでした。
卒業アルバムを見ると私の右手には包帯が巻かれています。
人を殴って自分の手の甲が折れてしまった跡です。
いじめはされる方にも問題がある。そういう議論を聞いた事があります。
でも、絶対にされる方を責めちゃだめです。
私の場合は、たまたま反撃できただけです。
普通は出来ません。又、してはいけません。特に暴力は。
いじめの劣悪さは身をもって経験しています。
この経験は、私の人生で1つ目の大きなターニングポイントとなりました。
だから、私は今でも陰口を叩くのが大嫌いです。
叩く人間は嫌悪感すら覚えます。
私も後輩や同僚に厳しい事は言います。
でも、いじめ的な事は一切しません。面と向かって話をします。
人は意外といじめ的な事をやっています。
あなたも陰湿だなと思う、陰口を聞いた事がありませんか?
これは私が経験したいじめと大差ないんです。本質は。
同じことを人にはしない。本当に大きなターニングポイントでした。