作家・土居豊の批評 その他の文章 -278ページ目
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ブログのなぞ

まだよくわからないのだが、ブログはURLがついているのに、なぜ一般のヤフー検索でヒットしないのか。
このブログに訪問してくれる方は、ヤフーブログの人だけなのか、それとも、どこか別の何かから検索してくるのか。
いったい人気ブログサイトは、なぜあんなに人気なのか。
コメントがたくさん投稿されているサイトは、どうやって宣伝しているのか。
いったい、ブログを読んでいる人はどのくらいいるのか。
はたしてブログでエッセイを書いて、どのくらいの期間保存されるのか。
ブログのなぞは深まるばかりである。
5月9日

矢野沙織ライブ(大阪ブルーノート)

18歳のサックスの女の子・矢野沙織を聴きに、新しくなった大阪ブルーノートへ行く。たしかに、広くきれいになっている。その分、ステージとの一体感という点では距離が出来たかもしれない。その女の子はなかなかよくがんばっていたが、お客の多くが、デートのためか、お食事のため、といったノリだったのは、花金ゆえ、しょうがないか。しかし、全国ツアーをこの夜、締めくくったというその子が、アンコールのときに感極まって泣いたときには、客席を埋めた大人たちの温かな拍手を浴びていた。願わくば、この上質のエンターテイメントの場所に、さらにホットなグルーブ感が加わってほしい。ついこのあいだ、ロイヤルホースで北村英治を聴いたばかりだったので、なおさらそう思った。

茨木市という町

生まれ育った町に行くと、ついあれこれ考えている。道すがら、「いばらき心斎橋」という商店街がある。もちろん、大阪の心斎橋を勝手に借りて名乗っているのだ。「なんとか銀座」というのと同じだ。こういうベタなことを平気でやれるのが、大阪人の性質だとしたら、この町も立派な大阪の一部だ。
もう一つ、最近、この町の大切な文化遺産ともいえる川端康成ゆかりの古い書店がなくなった。T書店という老舗で、本通りに面した明治からありそうな木造の本屋だった。旧制茨木中学に通っていた川端がよく利用したという。ところが、この本屋が、なんとディスカウントスーパーに変わっていた。
まあ、京都だったらそんなことありえないだろう。平気でそういうことをしてしまうのが、大阪の性格というものだ。あの美しい中ノ島のいくつもの石造りの橋の上に覆いかぶさるようなおそるべき不粋な阪神高速の姿。これが大阪の品性を現している。誰かが鴨川の三条大橋の上に高速道路を作るなんて言い出したら、どんな騒ぎになるだろうか。
つい、故郷の愚痴をこぼしているが、同じことを東京人に言われたら、むかつくに違いない。そういうものだ。
5月5日

ジャコビはどうして関西弁?

「ぐーちょこらんたん」というTV番組の着ぐるみショーに行ってきた。NHK教育の人気番組だ。小さい子供のいる家庭なら、たいていあの軽快でユーモラスなテーマソングが流れているだろう。
そのキャラクターの一人、ジャコビは、どういうわけだか、関西弁でしゃべる。他の3人は、普通に共通語なのに。もっとも、ズズという主役の一人は独特の癒し系のしゃべりなのだが。
このジャコビ、主役の姉妹の遊び友達でボケ役といったキャラなのだが、考えてもみよ。果たして、ジャコビが東北弁でしゃべったら、もしくは薩摩弁で、名古屋弁で、そんなのありえるだろうか。と考えると、ある重要な意味が浮かび上がってくる。
何しろ、この番組は、NHK教育TVが全国の幼い子供たちに発信する最大級のメッセージなのだ。子供たちは、この4人の友情と成長のお話を見て、胸ときめかして毎日を過ごすのだ。
だから、基本的には、あくまでこのキャラたちは、共通語を話さなくてはならない。そうでなければ、文部科学省的に正しい日本語でメッセージが伝えられない。
ところが、唯一の例外として、関西弁だけは、共通語に次ぐ方言として、ジャコビのボケキャラを表現しやすいために、認められるのに違いない。
関西弁の小説を模索している私にとって、このことは、なにやら突破口のようにも見えてしまう。今や、ヨシモトとタイガースとタコヤキしかないように東京人に思われている大阪のアイデンティティーを、関西弁小説で回復してやろう、との野望を抱いているのだが、考えてもみよ。全国の幼児たちは、ジャコビを通じて、関西弁を怪しげではあるが習得しているはずなのだ。だから、関西弁で小説を書いても、ジャコビを知っている子供たちなら、おそらくは、そう読みにくく感じないはずだ。
もっとも「ぐーちょこらんたん」がいつまで続くかにもよる。願わくば人気が落ちませんように。そう念じて受信料も払っているのだ。
5月4日

昼寝のBGM

夕刻、すっかりへたばって、ぐっすり眠った。小一時間ほど寝て、目覚めたが、そのままうつらうつらしていた。
布団が敷いてあるのは二階の西の端で、網戸にしていると外の音が、枕元に集まってくる。
近くの空港から飛び立つジャンボ機の鋭いエンジン音。獣か怪鳥の叫び声に聞こえる。
なぜだか大勢の犬たちの盛んな吠え声が、折り重なるように耳に届く。いったい、どこで犬たちは集まっているのか。コンパでもあるのか。
自動車が一分おきぐらいに家の前の道を走り過ぎる音。車種まで、音で判別できそうなぐらい、様々なエンジンの響きが聞こえる。
子供たちが、大声で何かどなりあっている。
ウォーキングのおばさんのコンビが、げらげら笑って歩いていく。
ヘリコプターか、プロペラ機のローター音。
近くの大きな道路を疾走していく救急車かガスの緊急車両のサイレンの叫喚。
ふと目覚めたまま、音の渦の中心にじっと寝転がっていて、そのままいつしか次の夢が始まっている。
目蓋の向こうにまぶしいのは、西日の射し込みだ。
もうすぐ、夕飯が出来たことを知らせに、息子が階段をのっしのっし上がってくるに違いない。
5月3日

連休の谷間

確かに、まだまだ日本人はやる気十分だ。長い休みの谷間なのに、朝の電車の込み具合は、さして変わらないし、街を足早に歩くスーツ姿の男女もいつもと同じだ。
休め休めの掛け声も、バブル崩壊後にはいささか空しく響く。休んでいたら生活できないのだ。残業続きの人をワーカホリックなどと呼び、お父さんたちに仕事を休んで育児参加を呼びかける。そんな生活のベースには経済の余力が不可欠だ。何だかんだ言っても先進国の一員であり、比較的豊かな今の生活を支える経済力を築いたのは、休まず働いてきたスーツ姿たちなのだ。
そんなスーツの一人だったかつての自分。また、今もスーツで混み混みの電車に揺られる友の姿。それを忘れないで、今日も文士はじっと己の心の底をのぞきこみ、街をながめ、ジャンボ機の音に耳を傾ける。そうやって書き続ける。

連休は自宅付近にて

さて、考えてみたら、HPに最後に書いたエッセイも、近所を散歩する話だった。季節は確か、桜の頃だった。同じ道を歩いているのに、今日は足元を息子がおぼつかない足取りでちょろちょろしている。ねこを探したり、吠える犬に律儀に返事したり、彼は忙しい。
こちらは、適当にあいづちを打ちつつ、ゆるゆる歩く。人通りも、車どおりも少なく、やはりお休みの日は自宅近辺がよろしい。
天気予報どおりの雨に、しばし雨宿り。たいてい、雨の予報は当たるが、晴れの予報ははずれる。気のせいかもしれないが。
5月1日 

作家・土居豊がエッセイを連載開始

さしあたり、これは「パブロの魔法劇場」に連載したエッセイの続きだ。けれど、あれは浦澄彬が書いていたもので、今度は改めて作家・土居豊のエッセイだ。別に大した違いはない。
そうはいっても、浦澄には『トリオ・ソナタ』のような小説は書けなかったのだ。土居豊にしか、あれは書けない作だった。これからも、浦澄にはもっぱら評論でも書いていてもらって、土居は小説に専念する。
そんなことを言いながら、さっそくエッセイを試みたりして、我ながら手を広げすぎる癖は直らない。もっと、一つに集中するようにしなければ、大作を完成するのはおぼつかない。
しかし、シャッフルしたカードが少しずつ一つの塊にまとまっていくように、私の書くものも、徐々にではあるが、形をみせてくるだろう。
しばしのご猶予を。
2005、4、30
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