気が向いたら読むべし。
来るべし。
向かなければ、そのままでいるべし。

Anicy第6回公演「源八橋西詰」@オメガ東京
7/18(木)19:30
19(金)15:30
20(土)19:00
前売¥3000/当日¥3300/学割¥2800

後藤ひろひとさんの作品です!
チョー楽しみです!
私、クソミソにふざけ倒します(予定)ので、どうぞ皆様、ゆるりと遊びにおいでやっしー。


あらすじ

交差点で悪魔を待つ三人は・・・・・

死刑判決確実の殺人犯を精神疾患に仕立てて、無罪を勝ち取ろうとする弁護士、

売れないからと座長からお笑い女優に転向させられようとしている女優、

かつては売れっ子だったが今は落ち目の売れない童話作家、

それぞれが成功を手にしようと歩みを進めるその先は、

源八橋西詰と言う名の四辻だった・・・・・。




ABCチームありますが、私はCチームにのみ出演します。

宜しくお願い致します。

ご予約、ご質問はお近くの五ノ井宇本人、または五ノ井宇への電話、メール、各種SNSへのメッセージへどうぞ!わからない場合は私にもわからないので、Anicyさんにお問い合わせ下さい。

アクセス
荻窪駅西口北に出た場合
1)荻窪駅西口(三鷹方面)改札を出たら右手の階段を降りる。 
2)左手のマクドナルドを通り過ぎた突き当りの道を左(三鷹方面)へまっすぐ。 
3)突き当りにある光明寺(荻寺)の門から入って道なりに進み、“魚くま”のある突き当りまで直進。 
4)左折して“ときわランチのの角を右折。そこから看板がみえます。徒歩7分。 

荻窪駅西口南に出た場合
1)荻窪駅西口(三鷹方面)改札を出たら左へ。 
2)突き当り右手の階段を降りたら線路沿い(三鷹方面)へまっすぐ。 
3)途中突き当りますがすぐ左手にある細い道を同じく直進。 
4)ローソンが見えたら向かい側の高架下をくぐって“ときわランチ”を左折。そこから看板がみえます。徒歩8分。 
誤解のないようにお伝えしますが、嫌われたいとは思っていません。
なんなら、好かれたいと思っています。

でも、ここ最近、歳を重ねて老害真っしぐらの私は、なんかもう生理的にまで達する苦手、と言うより嫌い、なものが増えております。

ご存知の通り、私は俳優であり、パフォーマーシネマイミストであり、お笑い芸人でもあります。
それらに明確な線引きはせず、与えられた空間と時間で適宜可能かつベターな事をしていく、そんなスタンスで日々を生き抜いております。

そんな私が、最近と言いましたが、たぶん昔から自覚が無いだけできっとそうだったのであろう、嫌いな感じをここにぶちまけてやりたく思います。


まず、これからここに書くのは日常の話ではありません。ある特定シーンでの事です。

本当に、耐え難いというか、醜悪と言うか、もう絶対に関わりたくないのは、盲目的に活動している作家、演出家、役者の方々です。
お互いをベロベロ舐め合い補完し合う構図に見えて、ヤベーなこいつらと垣間見るたびに思います。
一種の宗教じみた、調和性、とにかく信じるというよく分からない状態の方々。
それが、その状態が、私は最も信じられない。

そして、それを押し付けてくる人はもう、本当に無理。気持ち悪い。

宗教の事を言ってるわけじゃないです。
例えとして伝わりやすいかと思って言っているだけなので。

そもそも、信じるって行為は、信じられないのとほぼ同義なんじゃないかと思います。意味わからない?大丈夫、感覚で言ってます。そう言うの無理な人は読まないほうが精神衛生上無難です。

いったい何を根拠に、何を拠り所にしているのか。それが盲目的であるのは、すごく良くない。いろんな見方があって、いろんな考え方があって、価値観もそう、それが複雑に絡まり合って現場があって…つまり、一つのものに縛られたらそれ以外ない、それでしかない、つまり始まりが無い、終わってるよ!って事が言いたいわけです。
もしかしたら終わらないで続くかもしれないけど、たぶんそれは同じ事が続く、終わり続ける予定調和、なんじゃないかと。つまんねえな、と。

そんな風には死んでもなりたくないので、そうなったら潔く辞めます。
でもならないと思います。嫌いなので。

以上です。

さて、皆さん、えらいことご無沙汰しております。
五ノ井宇です。宇と書いて、タカシと読みます。
先日エゴサしたら同姓同名の方がいまして、興味が湧いたので覗いてみたら、エロの人でした。おそらく業者です。
皆さん、私以外の五ノ井宇には気をつけましょう。

えー、先日まで本番でした。
刑事物語という字幕付きのお芝居で、私は英語を喋りました。
共演者はけっこうSNSで褒められたりしている一方、私に至っては元芸人さんからの演技派という言葉で締めくくられ、他には本当に誰からも1ミリも褒められていません。
綿密なエゴサの結果です。
変な角度からの変な気を遣った褒めすらも無い。ほぼ完全試合。

悲しい気持ちにはなりませんが、なんか腑に落ちました。そう、私の役は褒められたもんではないし、ほぼ誰も共感しないし、なんなら興味持たれない役だから当たり前だ。悪目立ちするのは簡単だ。でもそれはしたくなかった、だって作品の純度が減るから。悪目立ちしてました?…知らねえよ!
だからこそ、他の人が褒められちぎっている状況こそが自分の役の望むべきところで、保身しか考えなかったけど最後は部下に委ねて好きにやって思わず死ぬあたり、とても若い人には無理ですね。理解できないわ。おっさんおばさん、おじいさんおばあさん、中間管理職で芝居なんて見てる余裕ない人にはきっと楽しんでもらえたんじゃないかと。そしてそういう方々は、SNSを総じてやらない。そして別に伝えなくても構わない方々。めんどくせえから。
かく言う自分もそういう性格(人生そのものがめんどくさい)なので、腑に落ちた。

これに懲りずに、また英語なり別の言語に挑戦してみたくなりました。

あと、最近よく思うけど、セリフって邪魔なんすよね。いや、邪魔というのは語弊がある。余計。強すぎるんですよね、セリフは。
決まった人が決まったタイミングで発する、その連続性。それが持つ素晴らしさ、芸術性もあります。が、それに頼らず縛られず。
喋らずに伝える、それが究極だと。身体ですね。語る身体。それをどうにかこうにか、頑張っていきたいと思います。