【甲斐国拡散希望】『正月の門松』は…武田信玄公を恐れる戦国武将達の祈願として「竹を斜めに切って飾った(武田の首を切るの意味)」ので御座いまする…ですから甲斐国の皆は武田流門松を飾ってくださいますようお願い申し上げますまする《武田松姫》

松姫に御座りまする♪
松姫だけに松のお話をしたいと思いまする
冬にも枯れず緑の松は…古来より神が宿ると云われ祀(まつる)という語の源とも言われており私の名前も父上が武田家勝利の守り神として名付けられたとても縁起がよい名前なので御座りまする♪

私どもの時代には正月には松を一本飾ってそこに神様が降りてくると云われており本来は新年に歳神様を迎える依代として館の門口に立てて飾るものに御座りました

ですが現代でのお正月の門松は少々訳が違う様子に御座りまする

ことは…我らがおった戦国時代1572年12月…三方ヶ原の戦いで德川家康(松平元康)どのは我が父上…武田信玄公に大敗致したことに始まりまする

その年の正月になると父上(武田信玄公)は家康どのに書状を届けます

「松枯れて 竹たぐひなき あしたかな」
意味:戦に勝利したからには松平家が衰退し我が武田家はこれより更に領土を拡大し更なる栄華を手にするであろう…

これを読んだ徳川家康どのはとてもお怒りになって竹を持ってこさせ武田信玄公の首を落とすように斜めに切りその竹を突き刺し松を高く茂るように飾り付けた『門松』を武田信玄公に送りつけさせたので御座りまする

「松枯れで たけだ首なき あしたかな」
意味:松は枯れない…必ずや武田(武田信玄)の首を落とし…そして松平はその屍を乗り越えて繁栄する

この時…徳川家康どのは我が父上にそして甲斐国に恐ろしき呪いをかけたので御座りまする

※恵林寺『武田流門松』

この後…我が武田家は織田の軍勢により文字の如く滅ぼされ…多くの武田家の家臣が徳川家に召し抱えられまするが…
江戸時代になり德川家は繁栄するのに従い日本の各地では現在のような竹を斜めに切って中央に飾り松を大きく飾る『門松』が広まりました


※恵林寺武田流門松

ですが…今でも甲斐国の繁栄と武田家復興を願う家臣の者は皆この武田流門松を飾るので御座りまする
《武田松姫》

お正月に山梨県内で武田流門松が見れる代表的な場所
⚪武田神社(躑躅ヶ崎館)
⚪恵林寺
⚪桔梗屋(笛吹市一宮、本社工場)