2011年3月11日。

東日本大震災。

あの日から5年が過ぎました。

今年も気仙沼を歩き、安波山で黙祷してきました。
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実はあの日、我々が避難していた安波山のふもとの道を一本挟んだとこまで火災が来ていたそうです。

そこで消防隊の皆さんが山火事にしてはいけないと自分の家が燃えていたり、身内の方が行方不明になっているのに命がけで火災を食い止めてくれていたことを知りました。

そして実は震災前日の夜にロケの順番が変更になり、本来なら14時46分には岩井崎という気仙沼湾の最南端の海の目の前にいたかもしれなかった、ということ。

辺りには高校くらいしか高い建物がなく、17メートルの津波が来た場所です。

もしその辺りにいたらまわりに人もいなかったので、逃げるよりもロケを続けていたかもしれません。
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まだ知らないことも沢山あるに違いありません。

5年だから何かが終わるとか何かが始まるわけではないし、被災地を見ればまだまだ通過点に過ぎません。

まだ何万人も仮説住宅に住んでる方がいますし、人口流出という問題が出てきています。

今まで住んでいた場所が危険区域とされて住居を建てられずに高台に移らなくてはならない。

でも全国にいるその土地の所有者全員に会って承諾を獲なくてはならなかったり、土地の所有者が亡くなってしまっていたり、山を切り崩す岩盤が固くて想定より時間がかかってしまったり、さらに建設業の人手不足や資材不足による値上がりなどで復興住宅の建設も遅れ、仕方なく街を離れる人が増えています。

このままだと復興住宅は出来たものの、肝心の住む人がいない…ということになってしまうのではないか、という問題も浮上してきています。

一方で新しいスタートをきって歩き出している人や街もある。
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震災をきっかけに気仙沼をはじめ被災地となった地名を知ったり、ボランティアや旅行で訪れてくれた方、そこから人の繋がりができて何度も来てくれたり、さらには住んでしまった!という方もます。
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気仙沼の魚屋さんは言います。

『来てくれたら美味い魚もあるし必ず満足させる自信はある。聞かせろと言われれば震災の時の話もする。これからも色んなことを仕掛けてまずは来てもらえるようにしないとね!』

僕らもまだまだ伝えていかないと。



なかなか被災地に行けないという方やこれから行こうと思っている方もいると思います。

映画や本もあるので正しく知ってもらうことが大事です。

ぜひこちらも見てみて下さい。

■『大地を受け継ぐ』
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福島第一原発の事故後、福島で苦悩しながら農業を続ける家族と東京の若者たちとの対話を描いたドキュメンタリー映画。

2011年3月24日、原発事故を受け、農作物出荷停止のファックスが届いた翌朝、農家の男性が自ら命を絶った。

残された息子の樽川さんは、母と畑を耕し続けている。

東京からやって来た学生たちを前に、終わりが見えない現在進行形のさまざまな葛藤が語られていく。

「戦争と一人の女」(監督作)、「アジアの純真」(脚本作)などの井上淳一監督による初ドキュメンタリー作品。

■『知ろうとすること。』 (新潮文庫)
早野 龍五 (著), 糸井 重里 (著)
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「本屋で積んである雑誌を買うとき、つい、いちばん上にある本じゃなくて、何冊か下にある本を買ってしまうんです。いちばん上の本が汚れてなくても、下のほうから取ってしまう。これって、科学的じゃないですよね?でも、ぼくだけじゃなく、多くの人は、科学的じゃない判断をしてしまう。そういったことを、前提として理解しつつ、それでも、ぼくがこころから思うのは、ほんとうに大切な判断をしなければいけないときは、必ず科学的に正しい側に立ちたいということです」
と糸井重里さん。

科学的に正しいことのみを絶対的なものとして列挙するのではなく、かといって、科学的におかしいことを曖昧に肯定するのでもなく。
現在の早野さんの活動の原点になった「1973年の東京における放射性降下物測定の話」、そして、糸井さんの素朴な疑問からはじまり、予想外に早野さんが大きく展開させてしまった「138億年前の水素の話」などは、帯や紹介文などには書かれない、この本の隠れた読みどころとなっています。