私たちは、「無」や「空」であることが素晴らしいことだと知っているし、本や学びを通じ教わってもきています。
今日はそこについて、改めて考えてみましょう。
多くのセラピストを育成する中で、ただ単に「無や空であること」だけでは、あまり意味がないどころか、かえって危険というケースを見てきました。
そもそも、日頃、怒ったり攻撃性を持って生きている人が、ある瞬間だけ「無と空」というのは成立しないものです。
だからといって、完璧な無が実現できていないと自分を責める必要はなく、よりよい自分を目指すほうにベクトルを向けていけたら素敵ですね。
ニュートラルで在ることは大切です。
…と同時に、自分という存在の意志も大切なのです。
たとえば、
・楽器を演奏するとき
・カードリーディングをするとき
・ヒーリングをするとき
などで考えるとわかりやすいでしょう。
中庸でいることや、無で空でいることは大切なのですが、そもそもの意志がないまま空になっているならば、単に振動しているだけに過ぎません。
エゴを手放すことと、無であること。
無でありながら、根底に大きな祈りがあること。
スピリチュアルなあり方を指導していて、多くの方がここに難しさを感じるようです。
ただ何も考えないで無の心で楽器を演奏することと、日頃から人々の平和と安寧を祈っている人が演奏時に無の境地であるのとでは、音のエネルギーや響きは全く異なります。
極端な例えですが、ほとんど練習する時間がなくても祈りが日頃から重ねられていると、パッと出した音が、とてつもなく癒しのエネルギーを持つということもあるのです。
ペンデュラムに問いかける時、答えを信頼して受け入れることは大切です。
一方で、日頃の祈りの積み重ねなしに、ただ単に無となってペンデュラムを回しただけでは、結果の精度は高くないかもしれません。
タロットカード、御神籤、様々な占いも同様です。
無と空は、何も考えない状態と、必ずしもイコールではないと私は考えています。
雑念が満ちているよりは、無や空が良いでしょう。
だけど、根底に何も意志がない無や空なら、屋外にある街燈が風に吹かれて振動しているのと大差ないのでは…と、外の景色を見ながら考えたりします。(笑)
祈りや思いは、毎日の積み重ねで練られて醸成されていきます。即席になんとかなるものではありません。
だからこそ、毎日コツコツ「こんな風でありたいな」という理想へ心を向け、今できることに取り組んでいきましょう。
ペンデュラムやカードがすごいのではなくて、その答えや気づきを刺激しているのは高次元の自分(=ハイアーセルフ)です。
ただ、自分を否定すると、ハイアーセルフの声が聴こえにくくなるのです。
そうなると、次々と占い師のところへ行ったり、確信が持てなくて行動できないというループにはまりがちです。
ハイアーセルフの声が聴こえなくても、問いかけて繋がろうとしてみましょう。
諦めずにハイアーセルフと繋がることを繰り返していくうちに、声を聴く力は必ず戻ってきます。
その時、自身の内側には「自分を信頼する」という柱がしっかりと立ち、しなやかでいながら強い芯の存在を見出すことができるでしょう。
石は「意志」と同じ言霊です。
強い意志を育む味方として働いてくれることも多いです。
5月19日(日)は天然石フェアinTOKYOです。
東京駅から徒歩の会場に、200点の石が並びます。
ぜひお越しください。