ここからは神の領域だから
わたしたち人間は
コントロールできない、
ただお任せするしかないのだよ…
という考え方を
以前のわたしは採用していました
たとえば
生殖について人工受精や
出生前診断と呼ばれることについて
たとえば
臓器移植法という医療について
たとえば
遺伝子組み換えという技術について
たとえば
霊媒師という仕事について
占い、オラクル、運についても…
神の領域に踏み込む以上
覚悟と倫理観が
どのようなものであるかは
いつか問われるだろうと、
そう考えていました
が
ここまでは人間の領域
ここからは神の領域
という境界線ってどこにあるの?
そもそもあるの?
という問いが生じてから
見え方が変わりました
境界線なんて無かったのです
Body-Mind-Spirit-Soul
のSoulはまさに
神=創造主とつながっています
仏教でいう
ひとりひとりに備わっている「仏性」
のことです
わたしたちが経験、認識する世界が
神の領域になるのか
人間の世界(六道輪廻)になるのか
それは
ひとりひとりの世界観次第なのです
たとえば
循環や揺らぎ、多様性、
出会いと分かち合い(共有)という
神の領域の原則を尊重したうえでなら
人が行っても神の業となりえます
よろこびの世界です
一方、
安定と固定、執着、均質化、
管理と搾取という
人間の欲にとらわれた選択を続ければ
どれほど現世での成功をおさめても
恐怖がつきまとう、
虚しさを抱える「業」の世界です
境界線を作り出しているのは
わたしたちの意識です
よろこびに満ちた世界か
恐怖と虚しさが蔓延する世界かを
選んでいるのも
わたしたちの意識です
Body-Mind-Spirit-Soulの
どこにフォーカスした意識で
選んでいるか
なのです
境界線はありません
意識(思考の出発点)をどこに置くかで
物事の見えかたは変わります
Soulを思考の出発点にするためには
Body-Mind-Spiritが
満たされている必要があります
たとえば
睡眠不足ではBodyの欲求を
虐待の傷はMindの痛みを
執着はSpiritの歪みを生じて
Soulの輝きを曇らせます
先送りにすることは
できないのです
ぜーんぶつながってるんですから!
今日は祖父の墓参り
近江八幡に行ってきます
ひろの拝