ヤスリ

ヤスリ

インターネットで保存するヤスリ

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どーん!俺が描いた怪物っすね

紙にボールペンで描いてます

 

 


長文を書きたい時にこのブログというスペースを使う事にします


しばらく間が空いたけど、今回は昔話ではなく、いや、まあ昔話に近いんだけど、俺が描いてる怪物の絵は、何に影響されたのか、それを最近自分で分析し始めまして、


そのお話です!


さて、これはおもしろい記事になるのだろうか!


それはきっと読む人が俺についてどれ程まで興味があるかによるので、任せますねー


でもね、よく音楽アーティストのインタビューとかで、影響を受けた音楽や好きな音楽、音楽を始めたきっかけとか話すじゃん、あれ、興味のないアーティストのってさ、くっそつまんないし、どうでもいいんだけどさ、たまたま何かで目に入った時に、あれ、この人意外にこういうの聴いてんだーとか、今の音楽からは想像もつかないバックグラウンドが!とか、そういった感動の経験ってない?


そういった感動も待ってるかもしれないって思って、まあ読んでくださいな、待ってないかもしれない
長いからテキトーなタイミングで終えてください、すげー長いから




影響というものは、もちろん身近な人から得る確率が高いもので
俺も恐らくは両親からの影響も濃く反映されている


お父さんは知識豊富で歴史の先生を目指していた時期があって今もずっと歴史が好きで、専門家かよってくらいに詳しい


俺は積極的には歴史に興味を示さず、自発的に調べたりはしないし、学校の授業は寝てるだけで成績はよくなかったけれど、お父さんがたまに語る教科書に載ってなさそうなマニアックな話がおもしろくてよく聞いていた


ちなみに一番下の妹がやたらと歴史に詳しくなっている
俺ではなくその妹がお父さんの後を継いだっぽい


実家は本の山である、この「本の山」というフレーズを多用する
なぜならいろんな種類の本がありまして


歴史の参考書が大量にあるのも、その山の一角にすぎない


かなり処分して減ったらしいけれど、それでもクローゼット開けても押し入れを開けても、全部本!だから、やっぱり実家は本の山ですよ


お母さんは野生動物のようでお父さんと正反対な印象の人で、獣医を目指していた時期があって生物学や医学に詳しい、はず、たぶん、あんまり直接的に知識を語らない人だからわからない


本の山には確かに生物学や医学の本もあって、俺が小学二年の時に初めて蜂に刺された時(しかも同時に五箇所)医学っぽい本を引っ張り出してきた記憶がある


知識をそのままには語らないけど、
その代わり、俺をよく外へ連れて歩き、その辺にいる虫や植物や動物について教えてくれて、特に虫に興味を持った俺は虫の図鑑を持ち歩き、こちらは自発的に調べるようになった


小学校の頃、バッタやカマキリの絵を描いて賞を取ったり
ファーブル昆虫記を読んでいたせいか、自由研究で虫を始めとした身近にいる生物の図鑑を作って賞を取ったり


こりゃどう考えても虫野郎で、そのまんま行ったら生物学者にでもなってたんだろうか


セセリチョウという茶色いチョウチョをご存知だろうか!
いや、ご存知しろ!
よくその辺の花壇にいるチョウチョ
茶色くて模様も地味でガみたいだけど、チョウチョ!
小学生の頃、周りの友達がセセリチョウをガと呼ぶから、チョウチョだって教えたのに聞いてくれなくて、喧嘩になったのを思い出す

だから、ご存知しろ!
かわいいよ、セセリチョウ、かわいい






な!!!






お父さんが釣りが好きだからよく一緒に行ってて、そっから魚とか水棲生物が好きになって、魚図鑑を持ち歩いたりもした
入院した時も魚図鑑だけ持ってってた


で、虫や魚が好きで、怪物の絵を描くようになった、というわけではないんだ、やっと怪物の話に戻ってきたか、しかし要素がまだ足りない


たぶんそのままでは、既存の生物をスケッチするに留まっていたと思う


両親は息子から見ても真逆なタイプに見えるんだけど、この歴史好きと生物好きの二人が共感するモノがありまして、



なんだと思いますか!



古代生物?おしい



それだと生物寄りすぎる



じゃあ、なんですか!



それは!









神話!




二人とも神話及びそこに登場する悪魔や天使や怪物に詳しかった
そっから派生したファンタジーも好きで


本の山にはファンタジーやダークファンタジーやSFの小説や漫画もたくさんあった


いくつか読んだけど、なんて人が書いたなんて本なのか思い出せない、いっぱいありすぎて
俺の前やってた、それ以染にってバンドのファンタジーっぽさや神秘的な曲調もきっとこの山から得たのかしらね、ラグナロクって曲のタイトルあるけど、北欧神話の最終決戦の名称だし



二人とも、世界中の神話をごちゃ混ぜにした暗いRPGの代表的なシリーズ、女神転生シリーズが好きで夜な夜なファミコンやスーファミをしてて、小さい頃はそのグラフィックやストーリーが怖くて嫌だったのに、虫や魚を好きになったように、もっと知りたいという気持ちが出てきて、だんだん興味を持っていった


ファンタジーに浸かってきた俺は、夜中に耳をすますと聞こえるいろんな音が全てあの気持ち悪い怪物たちの鳴き声や足音に聞こえてきて、怖くなったりした


そんな俺が本の山の中で見つけたラッキーアイテムは、女神転生シリーズの悪魔や天使や怪物たちがリアルで気持ち悪いイラストで描かれてる本
気に入ってまた持ち歩き始めた(すぐ無くしてしまって悲しい)


今はこのシリーズも現代風にツヤツヤしたイラストになっているけど、当時は渋くて渋くて




しぶっ!




こないだ、Tシャツをプリントしてもらった工房の光さんとも話したけど、昔のファミコンやスーファミ初期のこの手のちょっと怖いゲームってイラストやグラフィックが渋かった


今は神話とかが絡んでくるファンタジーなゲームや漫画やアニメとかも含めて、なんかツヤツヤしちゃって、爽やかになって、女性キャラや女性っぽい悪魔天使怪物は肌の露出がやけに多くて、媚びてる感じしかしない


俺が感じた当時の恐怖や得体の知れないものへの興味は、そんな人間相手に媚びてます的なイラストじゃあ、惹かれなかっただろうな、マジでなんなの、って思うわ、得体が知れてるわそんなん




ポケモンブームが来てポケモンの絵を描いたり、ポケモンっぽいモンスターの絵を描いたりした


で、そのうちデジモンブームも来た


その初期のデジモンのイラストの描き方が、虫や魚を観察し悪魔天使に興味があった俺にとってはポケモンよりもモンスターだったのでした!
怪物だったのでした!


どこがって、ここやで!





わかりますか!


二頭身でポップにかわいく子供向けに描いたように見えるが、

血管が浮き出てるし、筋肉が表現されてるし、歯茎まで描いてあるし、ヨダレ出てるし、傷だらけだし、汚れてるし、影の付け方が暗いとこが極端に真っ黒で迫力と闇がある!


もうグランジですわ!!!
シロッコでグランジっぽい曲をやってんのもきっとこういったリアリズムへの興味や憧れからですね


こっちの方がポケモンより怪物っぽいよね!


そして小学生ながら、子供向けにしては気持ち悪くないこれ?と思って衝撃的だった


そっからは、あの女神転生シリーズに近づいていっただけって気がする、思い返すとね


遊戯王のカードゲームが流行り、なんかイラストにリアリズムを感じないなーと思ってたところで、マジック・ザ・ギャザリングのカードゲームが周りで流行り出した


もうこのイラストというか、絵画かというか、最強だった!!
しかも画家がカードによって違うから画風の楽しみもあって最高でした
ほんと最高






ああ、最高

 

 

 

実家でかつて使ってたカードたち探してみようかな、テキトーに画像検索したの載っけたけどもっと最高なのがいっぱいあってだな、最高なんすよ、絵柄が非常に贅沢なカードゲームですよ


そんで、リアルにいそうな怪物!ってのに近づけたくて、描き方に影響を受けたのが、たぶんなんだけど、冨樫義博だと思う
よく影響されてそう!って言われるし、ハンターハンターの絵をじっくり見てきたもんで





影の付け方なのか、たまに出てくる奇形な生き物や人間からか、よく言われる、確かにって思った



ブリューゲルやルドンに影響受けたでしょ!とも言われるけど、それらは確かに好きで美術館に観に行ったりはしてたけど、知る前の段階でそういった怪物の絵が好きだったから、影響は別に受けてないんです




宗教画もシュルレアリスムも観に行ってたけど、デュシャンの思想やクレーの記号っぽい絵や色彩の方が好きだから、ブリューゲルやルドンを憧れの対象ってほど掲げてもない、好きだけどね、そういう絵好きならクビーンの絵もおすすめですよー、きもいよー




ずっとたぶん女神転生シリーズやファンタジーな本の挿絵みたいなのを描きたいなーってのがベースにあって、憧れの画家はハッキリとはいないのかもしれぬ
そして、虫や魚が好きだから、人間っぽい悪魔や天使よりも怪物らしい怪物を描くんです

 



じゃーん!!きもかわいい私の絵

 



長い記事をここまで読んだあなたはさぞや俺に興味をお持ちであろう!
そうであってほしい!


怪物Tシャツがな、¥3000でな
怪物缶バッヂが、¥300なわけですよ!


買いに来てね!弾き語りの時も売るんで!
弾き語りの物販席で勝手に展示してるんで実質全日展示

九月一覧!

9/17代々木Barbara 弾語
9/19東高円寺UFOclub 弾語
9/20西永福JAM 弾語
9/21新宿wild side Tokyo 物販席で展示
9/27新宿Anti knockエアプールジャンクスライブ中に展示
9/29恵比寿BAR voices 弾語と展示


では!アレイスタークローリーの生まれ変わり(誕生日が一緒)の俺は魔界に戻る!


また人間界で!!

 

 

幽霊をハッキリ見た体験の第2段です!
 

前回よりは怖くない
怖くないけどこっちの方が幽霊って感じがするかも


 

 

二十歳の誕生日



 

親戚と沖縄に旅行に行った帰り(楽しかったな)俺だけそのまま東京へ帰る前に母方のおじいちゃんおばあちゃんが住んでる静岡県島田市の家へ泊まった

俺とおじいちゃんとおばあちゃんの三人だけが泊まった

別々の部屋で寝てた

 

 

俺が寝てる体勢から見て右隣の部屋におじいちゃんが寝てて、

頭上の方向の部屋におばあちゃんが寝てた
で、足元の方向にトイレがある

 

 

わかるかな、図じゃなきゃわかりづらいけど

トイレに行くには二人とも俺が寝てる部屋を経由しないと行けなかった




 

そしてその夜金縛りにあった

 

 

 


 

いきなり金縛りの話かよって思うじゃん?この頃は結構金縛りになってたから別にいつも通りだった

だからまったく怖くない
 

 

何度もなったことがあったからこそ疲れからくる現象だろうって決めつけて、旅行疲れだろうって思っていた

 

 

前回の記事に書いたように、高校生の時あんなに怖い目にあっていたにも関わらずやっぱり金縛りくらいでは全然幽霊を想起させずにいた
 

 

 

 

でもそれはいつもの金縛りだったらの話
 

 

 

 

今夜の金縛りは様子がおかしい
 

 

 

 

ただの金縛りじゃない
 

 

 

 

もし声が出せたら、
なんだよ!お前ら誰だよ!やめろー!
って叫んでいたはず
 

 

 

 

それはたくさんの手に掴まれているような気持ちの悪い感触だった
 

 

 

 

身体のあちらこちらで知らない人の手の動きを感じた
しかも何人もいる、いくつもの手があるとわかる
 

 

 

 

掴まれて、動けない
 

 

 

 

 

 

しばらくして白っぽい姿の人が寝ている俺の頭上の方向から俺の左側を通ってトイレの方へ歩いていった

 

 

おばあちゃんが起きてトイレに行ったんだと思って、おばあちゃん助けてー、って念を送ってた

 

 

喋れないし、動けないから、なるべくそちらへ意識をして念を送るしかなかった

もちろん届くはずがなく、おばあちゃんは通りすぎて行った

 

 

トイレに行ったら戻って来るだろうと思って待っていた

ところがいつまで待っても帰って来ない

 

 

 

 

そして不可解な事に気づいた
 

 

 

 

トイレの電気はおろかトイレの前の廊下の電気さえ点いていない

おばあちゃんはどこへ行ったんだ

 


もちろん戻ってくる時は俺が寝てる部屋を経由しなければ戻れない
真っ暗闇の中、電気も点けずにどこへ行ったんだ
 

 

 

 

 

そしてここで更に気づいてしまう
 

 

 

 

 

この部屋は電気を消して真っ暗にしてあるのに
なんでさっき通りすぎていったおばあちゃんが白い姿でハッキリ見えたのだろうか

 

 

ぼやーっと光っていたからとしか考えられない

 

 

あの白い人はおばあちゃんじゃないのか
この家には今おばあちゃんとおじいちゃんと俺しかいないはずなの
 

 

そう思ってから耳を澄ませてみた
 

 

よーく聞くと頭上の方向のおばあちゃんが寝ている部屋では確かにおばあちゃんの寝息が聞こえる

右側のおじいちゃんの部屋の方からもおじいちゃんが寝ているとわかる布と布のこすれる音が少し聞こえてくる
 

 

 

確かに二人とも部屋にいる

部屋から出ていない
 

 

 

じゃあ、あの白い人は誰だったんだ、と思った時にソレがこの部屋にある事に気づいた

 

 

 

金縛りはだんだん弱まっていったので、左側に身体ごと動かしてソレを確認する事はできたはず、でもできなかった

 

 

 

金縛りではなくただ恐怖が俺を動かせなくしていた

左側にあるソレとは
 

 

 

 

 

 

 

 

 

仏壇







 

金縛りも解けて、無理矢理目をつぶって寝ようと頑張っていた
確実に白い人は幽霊だ
それ以上なにか怖いものが見えてしまわないように、さっさと寝てしまおうとぐっと目をつぶっていた

 

 

長い時間だった
 

 

そしてなんとか寝つけたようで朝になった
 

 

明るくなってから左側を見ればやはり仏壇があった
ひいおばあちゃんの仏壇だ
 

 

 

次の日の朝、おばあちゃんに夜中にトイレに行ったか聞いてみたら、行ってないと言う

昨夜の白い人の話をしたら、二十歳になった俺にひいおばあちゃんが会いに来たのかもねって言っていた

 

 

実家でお母さんにその話をしたら、かなり驚いていた
お母さんは当時コンビニでパートで働いてたんだけど、誰もいない場所から「すみませーん」って声をかけられたり不思議な事が立て続けにあったらしい

 

 

俺から白い人の話を聞いてすぐお母さんはひいおばあちゃんのお墓参りに行ってきた

そしたら、不思議な出来事はパッタリなくなったらしい

 

 

ひいおばあちゃんの霊に連れられてよくわかんない霊もついてきたってことなのか知らんけど
金縛りの手とか、あいつらほんとなんだったんだ

そのままあの世に連れてかれるようだった

 

 

おしまい



 

ブログ、書きたい事は他にもあるけど、ちょっと今、いつもの仕事と作曲の仕事と10月に会社辞めたあとの準備と今月末の展示の準備と来月のシロッコのレコーディングと引っ越しと水面下で動いてる事と、いろいろありすぎるのにスマホ壊れて電源つかないし、水漏れの保険の問題も浮上するしで、やばいっす、インターバルください!さーせん、マジさーせん

 

ちょくちょく霊的現象かもなーこれ、ってのには出くわしてるんだけど

 

かもなーこれ、程度のが多くて、

 

 

例えば、いきなりパソコンが起動したり、
誰も触ってないのにギターの一弦だけペーン!って鳴ったり、
何回か金縛りになったり

 

 

確かにびっくりするんだけど、そこに幽霊の姿が見えたわけではないから、何かしらの自然の作用によってたまたま起きたのではないかーって思って、平気になっちゃうんだよね
金縛りなんて疲れからくるっていうし

 

 

今回書く霊体験は、平気にならなかったやつ
つまり、幽霊がハッキリ見えてしまった体験

 


それまで半信半疑だった幽霊の存在を100%信じる事になってしまった

そんなハッキリ体験が2つあるんです!
ハッキリと!見えた体験が!

作り話みたいだけど実話だよ!実話!

 

 

今回はまず1つ目だけ

 

 

 

高校三年生の時

 

 

そん時にやってたバンドのライブが沼津であって、帰る時にバンドの先輩が車で送ってくれた

メンバー三人と先輩の四人で車に乗って地元御殿場へ帰った

 

 

この頃はよく先輩方に車で送ってもらったりしてかなりお世話になったなー
夜に車内でメンバーや先輩とバンドやバンドと関係ない事を話すの楽しかったなー

 

 

この日もいろんな事を話してて、何で盛り上がったのか、御殿場着いてから心霊スポットに行こうってなって、箱根の山へ車で向かった

 

 

この時点でこのブログ読んでくれてる人は心霊スポットに行ったから幽霊の姿を見たんでしょ?って思うじゃん?

 

違うんだよ

 

俺らが見たのは心霊スポットではなかった

 

だからこそ、身構えてなかったからインパクトでかかった!

 

ええええええ!ってなったから!

 

箱根の山は途中から街灯もなにもなくなり、完全なる闇の中

車のライトは舗装された道と木々と茂みだけ照らし、夜中だからか対向車も来ない

 

 

って書いてくとホラーっぽいけど
全然幽霊出なくて俺ら何にも怖がってなかった
くねくねした山道がひたすら続くだけだよ

 

 

やまですねー、はい、まだやまですねー
え、やまですかー、しってますーって感じで

 

 

で、廃墟になったホテルに着いて、心霊スポットツアーはゴール

 

確かに廃ホテルは怖い雰囲気あった
でかい建物だからこそより迫力あって怖かったから中に入ってく勇気はさすがになかった

 

 

ガラス割れまくってたり、ピアノがひっくり返ってたりしてるみたいだけど、どっかのヤンキーがイタズラでやったらしい

幽霊の仕業ではない、人間がやっただけの痕跡、もちろんほんとに幽霊が出そうなくらいめっちゃ怖いけどな

 

 

そのまま一同はもうちょっと遊ぼうよーって事で箱根の山を車で登り続けた

 

 

峠では夜景が綺麗だった

 

結構上まで来たなー
真夜中の山に四人だけ!って楽しいよなー
登ってる時に俺ら以外の誰にも会ってないし俺らだけーっていうね

 

 

ここまで来たし、もう帰ろっかーってなって山を下り始めた
心霊スポット目的で箱根に来たことなんて忘れてた気がする







 

トンネルがあった






 

トンネルの中は明るい

 

 


明るくて周りがハッキリ見える



 

 

 

 

車がトンネルに入った時だった

 

 

 

 

後部座席にいたうちのベースが突然大声を上げた






 

「おい!!なんかついて来てる!!なんだあれ!!」



 

 

 

 

異常な慌てように隣にいた俺もすぐに追いかけてくるそれを見た






 

「え!!!」

 

 

 

 

 

 

「子供じゃん!!!」




 

 

 

助手席にいたドラムも振り返りそれを見て恐怖に大声を出していた



 

 

 

 

「なにあれ!!やばいじゃん!!走ってくる!!!」





 

何が恐怖だったのかって


 

まず、車をいきなり小学生くらいの子供が追いかけてきた事

 

 

 

子供が起きている時間じゃない事

 

 

 

子供を乗せてくるような他の車を見ていないし、他に人に会わなかった事

 

 

 

そして、子供は1人ではなく、

 

 

 

5人もいた

 

 

 

5人の子供がトンネルに入った瞬間現れて
車を追いかけてきた

 

 

運転席にいる先輩は俺らが騒いでいても運転していて振り返る事ができない

 

 

「なに!?なにがいるんだよ!!」

 

 

ミラーにもし写っていたなら見えたかもしれないけれど、俺らがあまりにも騒いでいたせいか、前を見てアクセルを思いっきり踏んでいた

 

 

子供がいくら走っても車に追い付くはずがない

そんなことは誰も考えていなかった

 

 

それは俺ら四人の中で共通の認識があったからだ







 

 

幽霊が追いかけてくる!!







 

トンネルを抜ける頃、
ドラムが咄嗟に先輩に叫んだ

 


 

 

「前!前!危ない!!!」
 

 

 

 

先輩が我に帰ったように減速して急カーブした

 

 

トンネルを抜けたあとそのままアクセル全開でまっすぐ行っていたら俺らは死んでたかもしれない

 

 

 

 

 

崖だった

 

 

 

 

 

真っ暗な道に戻り、子供たちの姿はもうなかった
下り道の闇は登ってくる時とそう変わらないはずなのに、より深く感じた

 

道の駅のようなスペースで車を停めた

 


空が明るくなるまで四人でいようという意見に反対はなく

自販機でジュースを買ってさっき見た信じられない光景を思い出しあって話が途切れないように過ごした
 

 

しばらくして、いきなり赤い車が通り過ぎていった


 

俺は子供たちの幽霊よりもこの瞬間が一番怖かった

 

 

俺らの他に車が来たから怖かったんじゃない

 

 

赤い車から乗り出してこっちを見ていた女の人が

 

 

 

ぅううううううううう…!!

 

 

 

と、奇妙なうめき声を出して通りすぎて行き、キキーッ!!!と急ブレーキをかけたような大きな音がその先で聞こえた

 

 

 

その赤い車がどうなったのか、様子を見に行く勇気なんてもちろん誰にもなかった

途切れさせたくない会話が途切れ、四人はしばらくだまるしかなかった
 

 

 

空が明るくなり、それぞれの自宅に帰った

それから今まで二度と夜中の箱根には行ってない





 

 

 

書いてて思い出して怖くなったわ

これ、テレビで紹介されるレベルだけど、実話だからね
 

 

そして俺は約二年後の二十歳の夜にまたハッキリとした幽霊を見ることにー

 

 

って話はまた次回

 

 

 

手術跡の痛みがマシになってきて、食堂に行けるようになった

 

 

でっかな病院だから、重い病気の人がたくさん入院している
食堂では特にそういった人たちと一緒の空間にいなきゃいけない

 

いなきゃいけない、だなんで失礼だよな
でも当時中学生だった俺、心底そういうふうに思っちゃった
 

 

 

「五体不満足」って本、流行ってたよね
乙武さんのやつ

 

その本の影響で周りでもどこでも「障害者をかわいそうと思ってはいけない、障害者は個性が違うだけの同じ人間」って思想が広まって、そう思わなきゃいけないって風潮があった

 

俺も読んだ事があって、
健常者から見たらどう見ても不自由そうに見えるのに楽しそうに過ごしてきた乙武さんすごいーい!
って単純に思ってた、アホだからあんまり深く考えずに読んだ気がする

 

そして読み終えた俺にお母さんが俺にこそっと耳打ちした
 

 

お母さんの耳打ちはいっつも鋭い
 

 

テレビ見てる時も、よく耳打ちしてきた

「これが逆の立場だったらどう思う?」とか

果たしてこれで良かったのでしょうか!」とか

テレビが作った綺麗事をビリィイイって剥がすかのように
 

今回「五体不満足」を読み終えた俺にお母さんが耳打ちしたのは

 

「この人は運が良かっただけだよ」

 

そん時はよくわかんなかった

そんなに障害者の人たちと接してきてなかったから、本の影響なのか、まーそれなりにみんな楽しんでるのかなーとか俺フツーに障害者の人と隔たりなく仲良くなれるっしょーとか、

 

ほんと綺麗事の中で生きてきた気がする



 

食堂には、顔の変形しまくった子供たちがたくさんいた

奇形なのか病気なのかわからないけど、鼻に管がついてたり、病院にいないと生活できないのは様子でわかった

 

母親が付きっきりで御飯を食べさせていた
子供に愛情を与え、子供から幸せを貰うっていう素晴らしい図式なんだ、これは、そうなんだって自分に言い聞かせてた
 

でも昼食でカラアゲが出た日、カラアゲ好きなのに一口も食えずに残した

カラアゲの歪な形にその子達の顔の形を重ね合わせてしまって、正直気持ち悪くなってしまってダメだった

 

あんな風に生まれなくて良かったって思っちゃったよ
自分に大ショックでかなり落ち込んだ
そんなこと思ってる俺最悪だなーって
俺は腎臓が奇形ってだけですんで良かったって思った

 

これが現実
そんな気持ちになってしまったのが当時の俺の現実

 

 

「この人は運が良かっただけだよ」
 

ってお母さんの言葉を思い出した

 

 

歪なこの子たちはとっても純粋で何も知らないから幸せかどうかなんて考えもしてないかもしれない

でも、かわいそうって思っちゃうよ、今でもやっぱり思ってしまうし、生まれてくれて嬉しいけどできれば健常者として生まれてきてほしかったって親は思ったはず

 

ちなみに乙武さんの母親は手足のない子供が生まれた時確か「テディベアみたいでかわいい!」って言ったらしい
無理矢理言ってんのか、本音なのか、我が子は確かにかわいいとしても、ショックは受けるはずなのになー、すげーよ
 

この子たちの未来が運の良い未来だといいね

 

 

そっから左腹をおさえながら歩く時、若干大袈裟に痛そうに歩くようにした

そうじゃないともうこんな軽い病気でここにいるのが申し訳なくっ
 

 

 

そしてショックだったのは食堂だけではなかった
 

 

 

俺の部屋の近くにMちゃんという車椅子の女の子がいた
5~7歳くらいの子

元気な女の子だけど丸坊主で、病名は覚えてないけど、なかなか助からない病気みたいだった

 

おにいさーん!って俺に声かけて近づいて来る時の車椅子さばきがすごい!
くるくる~って回ったりして器用に扱う

ずーっと車椅子で過ごしてきたんだなーってのがよくわかるくらいに

 

アンパンマンやってるから一緒に観ようって連れてかれてひたすらアンパンマン観たりした

俺はアンパンマン観る歳じゃなかったけど、Mちゃんが嬉しそうだったからいつも一緒に観てた

ねーそろそろアンパンマンやめね?って思ってたけど笑

 

 

 

そしてある時

 

おにいさーん見て見てーお母さんに貰ったのー!
って見せてくれたのは真っ赤な靴だった

 

病室の無機質さや病服の白さで、よりその赤が際立っていてピカピカだった

 

ピカピカなはずだよね
一度も土を踏んでない靴だから

 

この子のお母さんはどういう想いでプレゼントしたのかなーって考えてた

 

だって歩けないのに

ずっと病院にいるのに
これから先もかもしれない

 

いつか病気が奇跡的に治って、そして外に出て歩けるようにって願いなのかな

 

こんな話って現実にあるんだなって思った

 

なにも考えず、ただピカピカの赤い靴をもらって喜んでるMちゃんをみて、
悲しくなったけど、今が幸せ!ってのは大事だなーって思った

今しかないよね

 

また一緒にアンパンマン観たかったよ

 


 

退院して15年くらい経った
その後病院にいたみんながどうなったか、もちろんわからないし

Mちゃんが今も生きているのかも知る事ができないけど

 

他にも、えーそんな恐ろしい手術すんのかーとか
そんなに長い間病院にいるのかよーって人ばかりと会ってかなり勉強になった
ほんとに良い経験でした



退院後はしばらく自宅療養し、

通院はこのあとも高校一年まで続いた

 

そして最後に医者から驚きの新事実を聞かされた



 

腎臓三つじゃありませんでした
あれ、イボでした

 

 

 

イボかい!!!
 

 

 

 

友達に自慢してた第三の腎臓はイボでした
俺はみんなにイボを自慢し、イボで入院してたのでした!マジかよ
 

 

正式には腎膿包という病気で、フツーは若い人がかからない病気だったから、医者にもわからなかったみたい

 

ただ、完治は未だしてないことになっていて、水の溜まるスピードが遅くなっただけで、今も溜まり続けているらしい

何年もしばらく病院に行ってないけど、異常を感じたら来てくださいって言われてる

 

で、気づかずにそれが破裂したら、死ぬかもって!
爆弾を抱えてるんだよって言われた

 

まったく気にしてなかったけど、こうしてブログ書きながらちょっと恐くなってきたからそろそろ行かなきゃかもなー

 

また入院って言われたら、嫌だけど、今の俺ならどういうふうに感じるのかなーって思い出してる

 

っていっても入院「生活」というほどじゃないんです

 

中学一年の時に三日間だけ
中学三年の時に一週間だけ
みじかっ!!

 

そんな短い期間でブログに書く内容ないでしょーって、あるんですわー
むしろ前回より長くなる
 

通院についてはしょっちゅうではないけど定期的に小六後半から高校一年までずっと行ってた

静岡県内では確か最大の病院!(たぶん)

御殿場駅から静岡駅まで電車で一時間半くらい、駅から更にバス、二時間だったかなー、遠かったけど、お母さんとずっと話してた

 

どんな病院かというと、

皇族が訪問に来るくらいの規模!

 

マトリックスのエージェントかよーって感じのダークスーツのボディーガードがうじゃうじゃ病院に入ってきて、ええええ、何事!?ってなった

そしたら小さな優しそうな顔の女性が真ん中にいて、
紀宮様だった
結婚前の時期ね
 

紀宮様を写真に撮ろうと看護婦さんがみんなでケータイを取り出してパシャパシャ撮っていて、

病院でケータイの電源入れちゃダメじゃないんですか笑 って聞いたら

こんな時だからしょうがない!って
おーい!笑

 

俺は最初からいきなりこんなでかい病院に行ったわけではなくって

まず最初は緊急病院


小六の終わり頃、夜中に泣くくらいお腹が痛くなって、緊急病院に行った

 

 

そしたら、原因が謎!

 

 

すぐに地元の、風邪とかでよく行ってた病院に行った

 

 

そこでも原因が謎!

 

 

腎臓の辺りがあやしい的な診察結果だった気がする
そっから沼津の大きな病院を紹介されて、そこへ通院した

 

 

更にそこでも原因が謎!

 

 

なんなんだよ、なんの病気なんだ
新種の奇病なのか


そして静岡県最大の病院に行くことになったのでした!

 

そこで衝撃の事実が発覚!!!

 

俺にはなんと生まれつき腎臓が三つあるらしい!(普通は二つ)

 


 

大きくいえば、俺は奇形児だったのだ!内蔵が!

 


 

その一つの腎臓へ負担がかかってしまい、水が1キロくらい溜まって圧迫感で痛いらしい

 

 

すぐに友達に自慢した
だって内蔵で最も高値で売買される部位だから
中国マフィアに一個売ったら大金持ちだーとか言ってた笑

 

その溜まってしまっている水を抜くために中学一年の時にまずは三日間入院した
管をさして水を抜いた

通院しながら様子を診ていたらまた水が溜まりだして元通りになってしまった

で、今度は水が溜まっている膜を切り取る手術を受ける為、中学三年の時に一週間入院した

 

 

この一週間のプチ入院生活の事を書きます
三日間の時の記憶も混在している気がするけど


 

俺の左腹にはでかいムカデがくっついてるような手術跡がある
28針も縫ってある

中学生が切腹!ということになるね!

 

 

麻酔で意識が朦朧としながらも手術室に運ばれた瞬間をちょっとだけ覚えてる

マスクをつけた医者たちが真剣な顔して俺を見下してて、天井の光がピカーン!ってなって、あードラマとかで見るシーンだー!って思ったとこで意識がなくなる

 

 

気づいたら病室のベッドの上

身体のあちこちに管やら配線やらがくっついてる


まだ麻酔でふわふわしているし動けないし、もうどうにでもしてくれよー状態

俺の真横で心電図が…ピッ…ピッ…ピッと脈を奏でていて、まさに入院そのものだ

 

風呂も入れないから足にくっついてる配線がかゆくてしょうがなくてこすってた

 

 

そしたらついにとれてしまった





 

心電図「ピーーーーーーーーー」





 

死んだーーー!!!


 

看護婦さんが走ってきた!

 

ごめんなさい!勝手に死にました!

 

配線を直してくれてなんとか生き返った

 

 

 

痛みを感じない最強の麻酔タイムが終わり、手術跡の傷口が痛くなってくる

起き上がろうとすると激痛で傷口からなんか謎の体液が出る、きもっ!

 

食事の時が地獄だった
ベッドの上に仮設されるテーブルに向かって座る態勢にならなきゃいけなくて、いててててって言いながら飯を食う

謎の体液を出しながら

もう旨かったかどうか覚えてない
 

左手近くにはナースコールのボタンともう一つボタンがあって
それを押すと痛み止めの薬が左腹の管を通って身体に流れる

 

いっつも痛いからたまに押してたんだけど
それが絶妙に気持ち悪い

痛みは和らぐ気がするけど同時に吐き気がしてしょうがない

 

 

 

病室にはでっかな窓があって中庭が見える

本を読んだりテレビを見たりする事すらもできない状態の俺は寝てるか天井を眺めてるか中庭を眺めてるかくらいしかやることがなかった
 

ある日いきなりその窓ガラスめがけてでかいカラスが突っ込んでき

 

 

どーーーん!!!

 

 

ビックリした勢いで傷口の事を忘れて飛び起きた!

いてぇええええええええ!!!

涙が出そうな痛みにカラスを恨んだ

 

 

めっちゃ痛くて、痛み止めボタンを押しまくった

全然痛みが和らがない

もっと押さなきゃ!とポチポチ押しまくった

まったくダメだ
 

 

そしたらまた看護婦さんが走ってきた!

看護婦「何があったんですか!」

俺「あの…カラスが…」

看護婦「え?カラス?いたずらでナースコールいっぱい押さないでくださいね!」
 

 

そう、俺が押しまくってたのはナースコールだった

 

そりゃ痛み和らがねえよ!
 

 

 

そんな何にも動けない24時間にムカついてきてついに無理矢理ベッドから立ち上がってみた

傷口からやっぱり体液が出るしすげえ痛かったけど、まるで瀕死だった戦士が

 

「…俺の事を忘れてもらっちゃあ困るぜ…!!」

 

と戦意だけで立ち上がるシーンのような気迫で左腹を押さえながら立ち上がって看護師たちの方に目を向けた

 

看護師たち、ちょーびっくり
回復早いね、すごいねー!ってみんな言ってたけど、ほんとは全然回復してません!
死ぬかと思った

 

 

そのうち左腹を押さえながらもフツーに歩けるようになり、
暇潰しに病院にあった、ヒカルの碁を読破


あとは持ってきてた魚及び海洋生物の図鑑をずっと眺めてた、魚とか虫とか生物がずっと好きなもんで

食堂にも行けるようになった

 


そこで俺にとってショッキングな出来事があった


 

 

って長いよなー!
こっからがエモいんです
続きはまたあとで!!
 

 

シロッコのアメブロにログインできないし、バンドと関係ない事も書きたいので、というかシロッコのブログはむしろ俺ほぼアサガオの事しか書いてなかったけど

個人的なブログです!

個人的すぎて、特におもしろおかしく書いてやろうとか、あんまり頑張りません!!

つまんないかもよ、長いし

 

最後の記事が五年くらい前の、それ以染にアルバムリリース時で終わってるねー

 

 

 

 

 

 

過去は過去なんだけど

しょっちゅう夢で見る景色があって

未だに朝起きたら学校に行かなきゃって焦る夢

なぜか高校生

だけどクラスには上京してから出会ってきた人たちが年齢関係なく一緒の空間にいたりする

 

地元は静岡県の御殿場市で標高約400メートルの山で、まー住宅地ですけど

高校は港町の沼津市の方にあって、電車で40分で山から海へ一気に下るわけです

終点が海のある沼津駅、その一駅前の大岡駅で降りて高校まで歩いてた

 

で、当時よく友達と話してたのが

学校かったるいからこのまま大岡通り過ぎて海まで行っちゃおうぜー

行こう行こう!って

 

いつも話すだけだった

実際は一度も学校サボって海に行くという青春ごっこをせずに高校生活を終えた

 

一回くらいやっときゃ良かったなーと潜在意識で思ってるのか

夢の中でも海に行こうとしているようで、大岡駅を降りずに沼津駅まで行く

でもなぜか海に辿り着かない

って夢をしょっちゅう見る

 

 

 

俺の高校の頃の話をします

バンドやってた事以外は全然人に語ってきてないので、身近な人もこれ知らないと思う

 

 

 

高校の頃の俺は行動力で入学時から先生たちの中で有名になってたらしい

 

中学生の時にアコースティックギターやブルースハープを始めてハマってたので

高校受験は軽音楽部みたいなのがあって治安悪くなければどこでも良かった

最初から大学に行く事にまったく興味なかったし

 

それで、中の上くらいの進学校に決めて、間違えて受けたテストが特進クラスの選抜テストで

何にも勉強しないで受かってしまって、天才かよ、特進クラスとして入学した

で、勉強やる気なさすぎてすぐにクラスでビリ

特進クラスに行きたくても行けなかった他のクラスの奴らの恨みを買ってた

よく考えたらちょっとかっこいいよなこのシチュエーション、

余裕で特進行って勉強しないっていう!なんかの漫画のキャラか

 

 

そして入学早々さっそく俺にとって事件が起きた!

 

軽音楽部がない!!!

 

最新のパンフレットには書いてあったのに!

 

去年でちょうど潰れたらしい!

 

じゃ、この学校に来た意味もうないじゃん!ふざけんなよー!

 

 

 

そうして入学していきなり校長室に乗り込んで直接文句を言いに行ってしまったおもしろい俺

突然入ってきてなんだこの一年生は!ってなったようで、ここで先生たちの中で有名人になってたらしい

 

軽音楽部作って!と校長にお願いして、人数と先生を探して来れたら来年考えてやる

と言われ、翌年に友達から署名を集めて先生も見つけてきてまた校長室に行った

 

そしたら吹奏楽の音の邪魔になるからやっぱりダメって!このハゲ!なんなんだよ!

 

来年こそって思ったら校長転勤、結局軽音楽部は作れないまま終わった

 

逃げんなハゲ!!と思って美術の時間に校長のリアルな顔面を写真からデッサンして題名に「ハゲ」とつけて

美術の先生に「この絵を校長の転勤先に送ってくださーい!」って渡した

 

美術の先生「これはすごいね!校長先生も喜ぶぞ!でもハゲって題名はちょっと」

俺「ハゲですからハゲでいいんです!!」

美術の先生「いやいや、それはまずいでしょ」

 

こうして題名は勝手に「校長」に変えられ、

転勤先の校長は俺の絵に喜んでしまって向こうの校長室に飾ってあったらしい

 

でも心底あの校長と何度も接するうちに嫌いじゃなかったから、まー良かったかーってなってた

 

ちなみにこの絵がきっかけで先生たちに美大に行くように説得されたりした

行かなかったけど、美大行ったってバンドとかできたわけだから行けば良かったなー

 

 

 

そんな俺の高校生活は

目的だった軽音楽部がないし、三年間退屈だった

友達とふざけたりすんのは楽しいんだけど、

進学校だからヤンキーっぽい友達もオタクっぽい友達も勉強はちゃんとできる

そしたら俺はなにがしたいんだよーってなってて、つまんなかった

 

他の学校の人たちとバンド組んでライブしてて、それは刺激的で楽しかった

そこで出会った人たちと一緒にいるのが俺の青春ごっこだったんだろうなー

 

文化祭のバンドで客をあおったりしてたら、危険行為だってみんなが恐れる筋肉ムキムキの先生がライブを止めに入って

めっちゃムカついたから終わったあと、ここで俺らに謝ってください!って怒りに行った

そのムキムキ先生は逆ギレして謝ってくれなかったけど、

みんなが恐れる先生に向かっていった俺、青春じゃんって思ってた笑

でもほんとこの学校クソだなーって思ったよー

そんなんで、窮屈でして、

 

学校は惰性で来ている感覚で、授業だいたい寝てるし成績悪いし遅刻するしで、赤点で留年候補だった

 

嫌いな先生の授業はめんどくさいから学校の外のお寺で寝てた

たぶんそこまで嫌いな先生でもなかったんだと思う

ただ、なんとなく大人を敵に回したくて、それで刺激的な高校生活にしたかったんだと思う

職員室に呼び出されてその先生に怒られた時は10代の若さでただムカつきながらも、申し訳ないなって気持ちがよぎったのを覚えてる

 

 

不登校の友達から自殺するってメールが来た時、正義感で、助けなきゃって思って

体育の授業中、みんなが運動場を走り出した瞬間、学校から脱走して体育着のまま街を走った

おーい、どこに行くんだ野澤ぁー!!!って先生や友達が騒いでたのが聞こえた

 

そいつの家の方角はわかるけど、家の場所が特定できずに交番に行った

◯◯って苗字の人の家、この辺だから、調べて!あいつ死ぬから!調べて!って

平日に高校生が体育着で交番に来るという状況で、警察もビックリしてた、

で、あんまり覚えてないけど確かちゃんと調べてもらえずに、場所が特定できないまま、◯◯どこだよー!って大声出しながら住宅街を走ってた

家わかんないのに飛び出してきちゃって、俺バカかよ!早く学校に報告した方がいいじゃんよって気づいて学校に戻った笑

 

学校に戻ってきてすっげー怒られるわーと思ったけど、優しい先生が多かった

化学の先生は「外走りたくなっちゃったの?気持ち良かった?」って笑ってくれた

俺この人の授業最前でいつも爆睡なのになー、優しいなーって思って泣いた

クラスのみんなにはお前どこ行ってたんだよーって言われても言わなかった

 

担任の先生は俺が泣きまくってるから個室に呼んでずっと話を聞いてくれてた

この先生も優しくて、優しさに更に泣いてしまって、

このままじゃあいつ死んじゃうよーとかなんとか言ってもうずっと声出して泣いてた

 

友達は睡眠薬大量摂取でマジで死にそうだったみたいだけど、

運良く父親が早く家に帰ってきたみたいで、未遂で終わったらしい

良かった、そして俺の無駄足感がやばい笑

 

あとで、気づいたんだけど、これ正義感じゃなかったんだわ

このエピソード、自殺志願者を助けに行くヒーロー感あって、

かっこつけすぎてて、ほとんど人に話してなかった

でも正義感じゃなかったと思えたからね!

 

まったくないわけじゃなかったよ、だってめっちゃ泣いてたし、心配だったし

でもそう簡単に自殺しないだろーあいつってどっかで思ってたもん

実際死にそうでギリギリセーフだったからビックリしたけど

俺、刺激がほしかったから、学校飛び出して走るとか、自分を動かすきっかけがほしかったんだと思う

 

その後、職員会議で出されて親呼ばれて学校側に謝った

事情が事情だからって停学処分を免れて、あなたは一年生の時から有名だったから何かすると思ってましたって先生たちみんな笑ってくれてて、あれ?これ、刺激的な高校生活だーってちょっと思った、ちょっとだけどなー

 

 

 

上京してきて良かった

高校中退して上京することも考えてたけど、高校だけは卒業してってお母さんに言われて、

素直にわかった、そーするって言った

中退して上京っての、ハードル高かったからビビってただけだったんだけどね

東京には殺人事件ばっかりのイメージしかなかったから田舎者は怖かったよ

 

東京はいろんな人に会えていろんな刺激があって良い

 

だけど未だに海に行こうとして辿り着かない夢を見る俺はまだまだ刺激を探してるようで、

毎日通勤の繰り返しが高校生活と重なって、ほんと仕事中眠い

仕事バックれて海に行ったりはする気はないけど

なんかもっとこれからあるだろう!と

海の夢を見続ける限りはビビってやらないことがきっとまだ残ってるんだと思う

 

あんなに行動力のあった俺が今何してんだよーって思うから

どんどんやる!

海にたどり着くために!

 


弾き語りでも勢力的に活動しようと思っています。
曲作ってます。以下の歌詞はデザフェスとか行く人は必ず読んでね。



「現代芸術」

抽象画だ とそう呼べば猿にクレヨンを持たせなすりつけたものと変わらない

何も考えず描いた
でも見た人がそれぞれに解釈してくれたら構わない

発想力を競ってそれがアートなら
伝えたいことは特にいらないみたい

公的なものを敵にして
グロテスクやエロチックなもので
はみ出して簡単にあなたも現代芸術家

深読みしたオレがバカだった
深読みしたオレがバカだったよ
だからこれからは芸術ってやつに深く考えることを期待しないようにした

お前のせいで
お前のせいだよ

発想力を競ってそれがアートなら
伝えたいことは特にいらないみたい

発想力さえあれば誰でも簡単に
現代芸術家になってさぁ稼げるぞ

深読みしたオレがバカだった
深読みしたオレがバカだったよ
だからこれからは芸術ってやつに深く考えることを期待しないようにした

お前のせいで
お前のせいだよ


「大陸のパズル」発売まであと三日となりました。フラゲというものをするならばもうあさってなんだね。

曲紹介シリーズもラスト一曲です。


十曲目「大きな古時計」


初期メンバーからある曲で四回目くらいのライブで初披露した気がする。

家で再放送の「耳をすませば」を観ていた時に地球屋のおじいさんの雰囲気いいなーと思って作り始めた曲。

童謡の「大きな古時計」の歌詞が一部が出てくる。

あの童謡の歌詞はほぼ実話でそのお話も当時MCで長々と話した。


童謡とちょっと違うのは時計の持ち主のおじいさんは二人いること、兄弟で。

二人はホテルを営業していて、弟が生まれる時に誕生祝いでやってきた大きな時計がホテルの入り口に置いてあった。
デジタル時計もない頃その時計は一分も狂わないとても正確に刻む時計でお客さんのあいだでも有名だった。

長年狂わずにいた時計だったが兄が亡くなった時から15分も遅れ始め、弟が亡くなった時には時計も童謡の歌詞どおりに止まってしまった。

弟は病院で亡くなったのだけれどその死亡時間とピッタリ同じ11:05に時計も止まっていた。

今でもイギリスの博物館にその時間に止まったまま展示されているらしい。

切ないお話だよね。

飼い主を待つ犬のようにまた動き出す時を待っているのか、一緒にあの世にいきたかったのか。
物にも魂が宿るってやっぱりあるんだなーと思った。

前に「第三惑星のレシピ」というデモアルバムを作った時にも「大きな古時計」を収録したんだけどCDの盤面に時計をモチーフにしたイラストをプリントした時にこのお話どおりに時計の針を11:05にして描いた。

そして今回もジャケットの時計部分は11:05にしました。よーくみてね。

デモアルバムの時とはアレンジも変わったけれど歌詞も変えました。
どっちにしろシンプルな歌詞なんだけれどわかりやすく希望のあるようにした。
前回もアルバムのラストだったから今回はラストじゃなくしようと思っていたけれどラスト以外に考えられないくらい壮大なスケールで映画のエンディングみたい。

アウトロのギターフレーズはできた当時からずっと気に入っている。
初期メンバーのアルセが「最期に大きな古時計がスローモーションで崩れていく感じ」と例えていた気がする。

それ以染にが初ライブをした今は無き渋谷TaU KITCHENが取り壊される前に出演したライブでは、最後にこの曲をやってアウトロでバスドラムが破けて大きな穴が空いてしまったことがある。

上記の童謡のエピソードとリンクして三人で「あーTaU KITCHENともお別れなんだなー」という感慨深いライブだった。
TaU KITCHENに宿る魂を感じた。
寂しいライブだったなー。

メンバーかわったけれど今も大事な曲です!ラストに相応しいはず。

以上10曲です!今の状態で見ればblog一覧がちょうど10曲で埋まっているね。

楽しみにしててね。楽しいはずだから。

フルアルバムもうすぐ発売ってことでCM作ったから観てね。
パソコンのペイントで頑張ったよー。
すごくいいでしょ!
曲は「さよならファンタジー」
http://t.co/DGgWf9Q8fp


この紹介シリーズも終盤になってきましたー。
最初からずっと読んでくれている人はすごいね。だいたい文章長めだから疲れるっしょ。

でも消化試合のようにこなしたくなくて一曲一曲大事に想って書いている表れです!


九曲目は「リューコー競争曲」


小学四年生の頃、音楽発表会でうちのクラスはクシコスポストをやってオレはメロディオンを演奏したんだけれど小学生にしてはめちゃムズい曲でみんなかなり練習していた。

楽譜を覚えるのが大変でめんどくさくて友達が弾いたのを耳コピした。
本番も楽しくてそれで演奏の楽しさを知ってその後リコーダーをあちこち持って歩いてピーピーやっていたのが音楽活動のルーツかもしれん。

そんな思い出のあるクシコスポストをyoutubeで久しぶりに聞いたらとってもかっこよくて影響されてリューコー競争曲を作り始めた。

クシコスポストは運動会でもよく流れるから運動会っぽさを以染っぽいフィルターを通してアレンジも歌詞も考えに考えて作った。

以染と運動会なんて結びつきそうもないっていう難解なところを頑張ったつもり。

前任ドラムの4233の脱退前にバンドで合わせていてなかなかドラムアレンジが決まらないままKoheyくんが新しく加入。吹奏楽部出身でマーチングドラムもやっていた彼の得意なスネアロールがバッチリはまってすんなり形になった。

ちなみに音源の二番のAメロはオレではなくゲストボーカルに女の子に歌ってもらっているけれど本人の意向によってクレジット表記はしていません。

ミックスエンジニアの山口さんが何度もこの女の子の声いいねーと絶賛されていて、オレも歌わせる前から絶対に曲に合うって思っていたのが想像通りにハマってとても満足な部分。

走り出したくなる(はず)のノリでまるでブラスバンドみたい。

次回は曲紹介ラストです。


八曲目「月と猫」

ギターが全編クリーンで歪まないままの珍しい曲

三年以上前に住んでた家から追い出されて二ヶ月だけ前任ベースのイノウエヒロノブの家に居候していたことがあったんだけど、そんときにノブがパソコンでゲームをやっていてそのゲーム音楽がかっこよくて、こんな雰囲気の曲をバンドでできたりしないかなーと考えるきっかけになって作り始めた曲。

未開拓な世界観だったからか拓けたらスラスラとフレーズが出てきてあまっちゃうくらいだった。

今回の音源ではレトロな雰囲気を出すために終始わざと荒い音のミックスをした。黒猫のタンゴのイメージで。黒猫が主人公だし。

その後に住んだアパートの近くにいつも白い綺麗な猫がいて不思議な雰囲気を出していて気になって帰ってくる度に顔を合わせにいってた。

まったくなつかないツンツンしている猫で他の猫とケンカしているのか日に日に身体中ボロボロになっていって耳がカサブタだらけになっていつの間にかいなくなっていた。

一度、持っていたシーチキンの缶詰をあげた時だけ喜んでいた。

もっと甘えん坊な猫だったら人に助けられていたりしてなーなんて考えたりして曲の歌詞に猫を出すことにした。

白猫とは反対に黒猫が主人公なのは曲調に合わせるためだけどあの白猫と正反対になってちょうどいいね。

あの白猫もさみしがっていたのかもだけど。

飼い主は隣のアパートにいたみたいであんなにボロボロになるなら室内に入れてあげても良かったのにーと思った。

まー飼うこと自体が人のエゴだからにゃんともいえない。

んー

かわいそうに。

音源の猫の鳴き声はKoheyくんです。
やつの鳴き声です。残念でした。


アルバム発売まであと10日!


あと二曲紹介したら全曲ですー。