原動力といってもいいかもしれませんね。
多くの方は家族など大切な人や
愛する人を守るために
日々頑張っているとおっしゃるかもしれません
又こちらのブログをご訪問下さる方の中には
人を癒したり、生きる上でのヒントを
発信される活動をなさっている方々が
沢山いらっしゃいますので
そうした「必要としてくれる誰かのため」
かもしれませんね。
私もまたそういう想いで活動しておりますので
そういった方々が集まって下さるのかも
しれませんo(^-^)o
それでは当の私のエネルギーの源・原動力
はどういうものか考えてみましたところ
少し意外に思われるかもしれませんがそれは
「怒り、憤り」なんです(全てではありませんが)
経験として思い出されることがあります。
私が高校生の頃のお話しです
選択科目だった中国語の授業のある日
「あまり授業に身が入っていない」と
先生に注意されるということがありました。
よくある光景と言えばそうですし
又、今思えば先生も指導者として
ごく一般的な対応をして下さったのですが
その当時の私にはそれが
『それ以上の意味』に思えてしまったのです。
「自分を否定された」ように感じ
少々筋違いなのかもしれませんが
いい成績を取って先生見返したい
という気持ちが芽生えました。
中国語の勉強は、数学等のように
積み重ねの学習が大きく左右する
ほどではなかったせいもあり
その後真剣に取り組むことで
卒業までの間、満点に近い点数
を取り続けることができました
いつしか私は先生のお気に入り
のようになってしまいました。
(誰しも自分の活動を熱心に賛同してくれる
人は、理解者として大切にしたいと思います
からね)
そんなこともあり、例の叱責の件については
先生は全く覚えておられないようでした。
そしてもっと過去に遡ってみると
他にもこんな思い出が蘇りました。
今度は私が5歳の幼稚園生の時の話です
運動会の徒競走の時に
担任の先生がある園児さんに向かって
大きな声でこんな声援をされたのです
「〇〇ちゃん(私)には負けるな!」
因みにその園児さんは
運動会では私と同じチームです
なのにどういう訳か
私を「競争で負かすように」という指示?
を出されていました
聞き間違い、冗談、ユーモア等
今となっては色々解釈出来るのですが
5歳の私にはその理解の幅が足りません
「そんな事態になってしまったのなら
勝つしかない」と
かなり思いつめ 笑 その気で挑みました。
結果は、勝負にならないくらいの
私の圧勝でした
『スピリチュアルの法則』に関心のある方
お好きな方はこれらの私のエピソードについて
「ある察し」がついておられるのでは
ないでしょうか?
そうなんですね
実はこれらの出来事には
全て意味があるんです。
これらの出来事には
一体どんな意味があるのか?
スピリチュアルの観点から見た
ある法則についてお伝え致します
ご参考にして頂けますと幸いです。
【次回予告】
「スピリチュアル」は
こんな理由であなたにも起きている
をお伝え致します