5/18対談やります!
こんばんは、手相家の天道泰幸です。
人を笑わせたい、楽しませたいようなところと、
真面目で固いところの二面性があって、
そこに、不思議で神秘的な世界への強い興味と憧れが加わって、人格形成?がされていきました。
手相は、中3か高1で自分の手を見比べながら、手相の本を夢中で読み込んで基本的な事を覚えて以来は、
ときどき友達の手相を見せてもらったり、
大学時代からそれ以降はバイト先とかで時々話の流れ上時々見る機会がある、
という日々でした。
天道が手相が見れる、というのは友達や先輩、周囲の何割かが知っているぐらいにはなりましたが、
ものすごい話題になって会う人会う人片っ端から見ていく、というほどではありませんでした。
が、大学の時は先輩には
「天道くんと言えばマジックと手相」
小学校から塾へ通わされてて中学校受験からしてたのもあり、
大学へもごく普通に行くものだと何の疑いもなく思ってました。
ただ、その先の進路については、
高校生ぐらいから特に精神世界にどっぷり傾倒していったのもあり、
さらに色んな種類の占いで、
普通に何かしらの組織に就職するイメージがまっったく持てず、
大学在学中にいわゆる就職活動は一切しませんでした。
そもそも、大学は二回留年しました。
自分で言うのも何なんですが、
昔から、意志が弱くて自分に甘く、
俺ってダメだなあ、と自己嫌悪しながらもずーーーっと直せずに過ごしてきました。
以前に比べてましにはなってきましたが、恥ずかしながら正直今も、あります。
約束や時間にルーズだったり、やらなきゃと思いつつ、物事をつい後回しにしてしまうところとか。
思えばなんか、ほんとに病的だったと思います。
ちなみに決していいわけではないんですが、
初めて自分の手相を本で読んで見た頃も、見事に「意志薄弱の相」があって、ショックだったり自己嫌悪したり、でも合ってるなあ、と妙に感心した記憶があります。
(意志が弱い相、というのはいろいろ考えられますが、本で見たのは、金星帯が切れ切れである、というものでした。まさにそうでした。今は昔よりはマシな相になったと思います)
というわけで、大学に6年間も通うことになったのはつまり、
単純に授業をサボりまくって、単位が足りなかったため。
なぜ、授業をサボりまくったか。
言うまでもなく意思が弱く自分に甘かったのが最大の原因ですが、
具体的理由①が、「夜更かししてしまって、朝起きれない」。
精神世界の本を読んだりネットサーフィンをしたりで、
早く寝なきゃと思ってもつい夜更かししてしまう。
で、朝からある授業に起きれず間に合わない。
午後遅くに大学に顔を出す、なんてこともざらでした。
あと、夕方から夜遅くまで回転寿司屋でバイトしてて、けっこうそれで疲れてたのもありましたね。疲れてんなら早く寝ろよ、と。
・・でも若いころって、意味なく夜更かししちゃうじゃないですか?
大学二留の理由その②は、
「大学祭実行委員会」というやつに入ってまして。
青春の思い出といえば、ほぼそれでした。
大学に入ったらたまにある「新歓コンパ」的なものが、たしか先輩有志の手で、学部規模で開催されたのかな。
その時、同じ席になった先輩が、大学で初めて好きになった人でした。
その先輩が大学祭実行委員会だった、というのも理由で一つ大きかったですね。
あと何より、男女問わず、素敵で面白い先輩が多かった。
人間的魅力も、存在感も、雰囲気も。
実行委員室(いわゆる部室ですね)に行けば、そこに誰かたむろっている。
その空間にいるのがたまらなく嬉しく楽しく、心地よかったんですね。
なので、授業の合間、放課後、時間があれば、足を運んでました。
たしか1年のころは、まだ真面目に授業も行ってたと思います。
が、だんだんと、部室に入り浸る率が高くなる。
気づけば、
昼休み後に、「あー、今授業始まってるねー」と時計を見て笑いつつ、そのまま部室で過ごすことが日常になってきて。
そこに、「前日夜更かしして朝起きれず、午後遅くに大学に顔を出す」がプラスされていきます。
もう、最悪ですね。
・・・どうです、驚くほどのダメ人間っぷりでしょう(笑)
そんな自分が、手相鑑定では「天道先生」なんて呼ばれたり、
時にすごくありがたいく嬉しいご感想とお礼のメールなんて頂いたりで、
いまだにどこか違和感があったり、なんとうかくすぐったい感じもあります。
自分に自信がない、ダメだと思うあなた、
こんなだった天道でも、占い師として生計が立てられてるんで、人生意外と何とかなりますよ(笑)
大学祭実行委員会では、部室でダベる以外に、
そうそう、司会、かなり評判良かったんですよ。人前で話すのは、苦じゃなく好きなんでしょうね。
大学祭本番が近づいてくる頃に、夜遅くまで学生会館に残ったり、
直前は泊まり込みをしたり、楽しかったなあ。
大学祭はだいたい10月に開催されるんですが、
今でも秋の匂いを嗅ぐと、青春の感覚と感情が胸の奥から蘇って、たまらなく懐かしい気持ちになります。
さてさて、そんなこんなで、
単位を落としまくった理由その③にもなるんですが、
もともとマニアックな傾向があったり、さらに占いのおかげ(せい)で「自分は普通の生き方はしない」んだという思いが強くなり、
みんなと同じ流れに乗ってない、変わってる自分が好き、
みたいなある種の自己陶酔感を持ってましたんで、
授業もサボって、就職ガイダンスも受けてないのが自分らしい、みたいな変なプライドもあったのは間違いないです。
まあ、客観的に言ってしまえばただの現実逃避なんですけどね。
でもほんとに、
当面は何かの仕事で生計を立てつつ、自分の好きな分野の何かしらでいつか生きていけるようになるんだ、と何の疑いもなく思っていました。
ただ、それが「何」かは具体的には分かってなかったんです。
間違いなく、精神世界や神秘的な分野だろうというイメージは強くあったんですが、
当時はまだ「占い」という選択肢はゼロでした。
趣味で手相を見てたわりに、占い師になろう、とは一切思ってなかったんです。
大学の頃からは興味の分野が、おもいっきり精神世界、神秘学といったものから、
人生哲学、自己啓発、成功法則、能力開発といったものまで広がっていきました。
・・そういえば、中学校高校は仏教系の私立で、「宗教」という授業があり、そこから仏陀に興味を持ってたりもしたのも、今書きながら思い出しました。
大学では、最初哲学系のゼミに入って、
そのゼミでは当然のごとく卒論を書くまでの単位が足りず、
大学5年の時になるのかな、
心理学が専門の教授の存在を知り、門を叩きました。
女性の教授だったんですが、専門の一つが「論理療法」というものだと知って、指導をお願いしました。
ある日、よく通っていた本屋で、たまたま手にとった心理学系の文庫本が、
論理療法の専門家の方が書かれていたもので、
その本の内容が、今まで興味を持って本を読んだり自分でも考えて形成されてきた考え方にかなり近いもので、おお、こんな分野があるんだ、これは面白い、と感じたのがきっかけでした。
(簡単に言うと、出来事が悩みを引き起こすのではなく、自分の中にある考え方が悩みを作る原因である、というのが論理療法の根本です。有名な例えで言うと、大学の授業中に、遅れて入ってきた人間が、ドアをバタンと大きな音を立てて閉めた。それを自分が、迷惑だ、と苛立ったとして。この場合、『大きなドアの音が私を煩わせた』となりがちですが、本質的には、ドアの音は直接的に自分に嫌な感情を与えることはできず、『ドアは静かに閉めるべきである』という考えが、自分を悩ませた、という方が正確である、と。)
で、どういう経緯だったかは詳しく覚えてないんですが、
どのゼミで卒論書こうかな、、と迷っている時に教授の存在を知り、
お伺いして話を聞いてみたら、ちょうど存在を知って間もない論理療法の専門の方だった、という流れだったと思います。
これは渡りに船、ご縁、と感じて、
卒論指導をお願いしました。
そして、「論理療法と自己観察」というテーマで書きました。
「自己観察」という言葉は、たしか高校生の頃に影響を受けた神秘学の本にたびたび出てきていた言葉で、
文字通り、自己を観察すること、自分の内面の思考や感情に冷静に意識を向け続けて、判断を加えず、ただただ「観察」を続けること、が、いわゆる悟り(その本では『覚醒』と表現されていました)へ至る唯一の方法だ、というものです。
また、仏教の瞑想(ヴィパッサナー瞑想)なんかにも関心を持ち出してたころで、その手法も、とにかく自分自身を観察する、というところで一致していて、
それと、論理療法をからめて書きました。
普通の授業はとにかくサボりまくって単位を落とし続けた自分でしたが、
卒論だけは、一回の補足訂正の指導を受けただけで、その時点でも「とても良く書けてます」と評価をいただき、一発で「優」をもらったんです。これは嬉しかったですね。
ちなみに卒論は、たしか提出期限間際ぐらいで、約二週間で書き上げました。
これは自慢のようなダメ話のようなで、ほんとはもっと早い段階からとりかかって、長い期間をかけて仕上げていくものなんですね。
この辺も意志の弱さっぷりが発揮されてますが、同時に、好きな分野であれば集中力もすごい、ということが実証された例ですね。せめて良い風に言ってみました。
そんなこんなで、ひとまず大学卒業、というところまではこぎつけました。
二年留年なので、この時点で23歳になってます。
・・今回の記事でフリーター途中までぐらい書こうと思ってたんですが、細かく長くなりました・・。
次回、とりあえずのフリーターから占い師になろうと思うまで、の予定です!
こんばんは、手相家の天道泰幸です。
前回の、自分の事を書いてみます、の続きです。
・・・今回も長いですよ。
・・・今回も長いですよ。
先に謝っときますごめんなさい。
振り返ってみると昔から性格的に、
振り返ってみると昔から性格的に、
人を笑わせたい、楽しませたいようなところと、
真面目で固いところの二面性があって、
そこに、不思議で神秘的な世界への強い興味と憧れが加わって、人格形成?がされていきました。
手相は、中3か高1で自分の手を見比べながら、手相の本を夢中で読み込んで基本的な事を覚えて以来は、
ときどき友達の手相を見せてもらったり、
大学時代からそれ以降はバイト先とかで時々話の流れ上時々見る機会がある、
という日々でした。
天道が手相が見れる、というのは友達や先輩、周囲の何割かが知っているぐらいにはなりましたが、
ものすごい話題になって会う人会う人片っ端から見ていく、というほどではありませんでした。
が、大学の時は先輩には
「天道くんと言えばマジックと手相」
というイメージはついてたみたいです。
(大学生~20代半ばまでは、まだマジックは趣味で人前でやる機会がたまにありました。その後、だんだん熱は冷めていきます)
大学に進んだところまでは、
大学に進んだところまでは、
小学校から塾へ通わされてて中学校受験からしてたのもあり、
大学へもごく普通に行くものだと何の疑いもなく思ってました。
ただ、その先の進路については、
高校生ぐらいから特に精神世界にどっぷり傾倒していったのもあり、
さらに色んな種類の占いで、
「あなたは変わり者、サラリーマンや安定的な生き方は向いてない、反骨精神旺盛、職人や専門家、学者向き、宗教家や啓蒙活動家もあり、大器晩成型」
というような診断結果を読んでいたので、
普通に何かしらの組織に就職するイメージがまっったく持てず、
大学在学中にいわゆる就職活動は一切しませんでした。
そもそも、大学は二回留年しました。
・・四年制のところに、大学六年生までいたということですね。
自分で言うのも何なんですが、
昔から、意志が弱くて自分に甘く、
俺ってダメだなあ、と自己嫌悪しながらもずーーーっと直せずに過ごしてきました。
以前に比べてましにはなってきましたが、恥ずかしながら正直今も、あります。
約束や時間にルーズだったり、やらなきゃと思いつつ、物事をつい後回しにしてしまうところとか。
思えばなんか、ほんとに病的だったと思います。
ちなみに決していいわけではないんですが、
初めて自分の手相を本で読んで見た頃も、見事に「意志薄弱の相」があって、ショックだったり自己嫌悪したり、でも合ってるなあ、と妙に感心した記憶があります。
(意志が弱い相、というのはいろいろ考えられますが、本で見たのは、金星帯が切れ切れである、というものでした。まさにそうでした。今は昔よりはマシな相になったと思います)
というわけで、大学に6年間も通うことになったのはつまり、
単純に授業をサボりまくって、単位が足りなかったため。
なぜ、授業をサボりまくったか。
言うまでもなく意思が弱く自分に甘かったのが最大の原因ですが、
具体的理由①が、「夜更かししてしまって、朝起きれない」。
精神世界の本を読んだりネットサーフィンをしたりで、
早く寝なきゃと思ってもつい夜更かししてしまう。
で、朝からある授業に起きれず間に合わない。
午後遅くに大学に顔を出す、なんてこともざらでした。
あと、夕方から夜遅くまで回転寿司屋でバイトしてて、けっこうそれで疲れてたのもありましたね。疲れてんなら早く寝ろよ、と。
・・でも若いころって、意味なく夜更かししちゃうじゃないですか?
大学二留の理由その②は、
「大学祭実行委員会」というやつに入ってまして。
青春の思い出といえば、ほぼそれでした。
大学に入ったらたまにある「新歓コンパ」的なものが、たしか先輩有志の手で、学部規模で開催されたのかな。
その時、同じ席になった先輩が、大学で初めて好きになった人でした。
その先輩が大学祭実行委員会だった、というのも理由で一つ大きかったですね。
あと何より、男女問わず、素敵で面白い先輩が多かった。
人間的魅力も、存在感も、雰囲気も。
実行委員室(いわゆる部室ですね)に行けば、そこに誰かたむろっている。
その空間にいるのがたまらなく嬉しく楽しく、心地よかったんですね。
なので、授業の合間、放課後、時間があれば、足を運んでました。
たしか1年のころは、まだ真面目に授業も行ってたと思います。
が、だんだんと、部室に入り浸る率が高くなる。
気づけば、
昼休み後に、「あー、今授業始まってるねー」と時計を見て笑いつつ、そのまま部室で過ごすことが日常になってきて。
そこに、「前日夜更かしして朝起きれず、午後遅くに大学に顔を出す」がプラスされていきます。
もう、最悪ですね。
・・・どうです、驚くほどのダメ人間っぷりでしょう(笑)
そんな自分が、手相鑑定では「天道先生」なんて呼ばれたり、
時にすごくありがたいく嬉しいご感想とお礼のメールなんて頂いたりで、
いまだにどこか違和感があったり、なんとうかくすぐったい感じもあります。
自分に自信がない、ダメだと思うあなた、
こんなだった天道でも、占い師として生計が立てられてるんで、人生意外と何とかなりますよ(笑)
大学祭実行委員会では、部室でダベる以外に、
会計や企画をやったり、備品づくりやペンキ塗りをしたり、当日のステージの企画では、司会をしたり。
そうそう、司会、かなり評判良かったんですよ。人前で話すのは、苦じゃなく好きなんでしょうね。
大学祭本番が近づいてくる頃に、夜遅くまで学生会館に残ったり、
直前は泊まり込みをしたり、楽しかったなあ。
大学祭はだいたい10月に開催されるんですが、
今でも秋の匂いを嗅ぐと、青春の感覚と感情が胸の奥から蘇って、たまらなく懐かしい気持ちになります。
さてさて、そんなこんなで、
単位を落としまくった理由その③にもなるんですが、
もともとマニアックな傾向があったり、さらに占いのおかげ(せい)で「自分は普通の生き方はしない」んだという思いが強くなり、
みんなと同じ流れに乗ってない、変わってる自分が好き、
みたいなある種の自己陶酔感を持ってましたんで、
授業もサボって、就職ガイダンスも受けてないのが自分らしい、みたいな変なプライドもあったのは間違いないです。
まあ、客観的に言ってしまえばただの現実逃避なんですけどね。
でもほんとに、
当面は何かの仕事で生計を立てつつ、自分の好きな分野の何かしらでいつか生きていけるようになるんだ、と何の疑いもなく思っていました。
ただ、それが「何」かは具体的には分かってなかったんです。
間違いなく、精神世界や神秘的な分野だろうというイメージは強くあったんですが、
当時はまだ「占い」という選択肢はゼロでした。
考えてもみなかった、というほうが正確ですね。
趣味で手相を見てたわりに、占い師になろう、とは一切思ってなかったんです。
大学の頃からは興味の分野が、おもいっきり精神世界、神秘学といったものから、
人生哲学、自己啓発、成功法則、能力開発といったものまで広がっていきました。
・・そういえば、中学校高校は仏教系の私立で、「宗教」という授業があり、そこから仏陀に興味を持ってたりもしたのも、今書きながら思い出しました。
大学では、最初哲学系のゼミに入って、
そのゼミでは当然のごとく卒論を書くまでの単位が足りず、
大学5年の時になるのかな、
心理学が専門の教授の存在を知り、門を叩きました。
女性の教授だったんですが、専門の一つが「論理療法」というものだと知って、指導をお願いしました。
ある日、よく通っていた本屋で、たまたま手にとった心理学系の文庫本が、
論理療法の専門家の方が書かれていたもので、
その本の内容が、今まで興味を持って本を読んだり自分でも考えて形成されてきた考え方にかなり近いもので、おお、こんな分野があるんだ、これは面白い、と感じたのがきっかけでした。
(簡単に言うと、出来事が悩みを引き起こすのではなく、自分の中にある考え方が悩みを作る原因である、というのが論理療法の根本です。有名な例えで言うと、大学の授業中に、遅れて入ってきた人間が、ドアをバタンと大きな音を立てて閉めた。それを自分が、迷惑だ、と苛立ったとして。この場合、『大きなドアの音が私を煩わせた』となりがちですが、本質的には、ドアの音は直接的に自分に嫌な感情を与えることはできず、『ドアは静かに閉めるべきである』という考えが、自分を悩ませた、という方が正確である、と。)
で、どういう経緯だったかは詳しく覚えてないんですが、
どのゼミで卒論書こうかな、、と迷っている時に教授の存在を知り、
お伺いして話を聞いてみたら、ちょうど存在を知って間もない論理療法の専門の方だった、という流れだったと思います。
これは渡りに船、ご縁、と感じて、
卒論指導をお願いしました。
そして、「論理療法と自己観察」というテーマで書きました。
「自己観察」という言葉は、たしか高校生の頃に影響を受けた神秘学の本にたびたび出てきていた言葉で、
文字通り、自己を観察すること、自分の内面の思考や感情に冷静に意識を向け続けて、判断を加えず、ただただ「観察」を続けること、が、いわゆる悟り(その本では『覚醒』と表現されていました)へ至る唯一の方法だ、というものです。
また、仏教の瞑想(ヴィパッサナー瞑想)なんかにも関心を持ち出してたころで、その手法も、とにかく自分自身を観察する、というところで一致していて、
それと、論理療法をからめて書きました。
(具体的には、自分の考えを変えるには、まず自分がどういう思い込みを持っているかに気づく必要がある、といった内容です)
普通の授業はとにかくサボりまくって単位を落とし続けた自分でしたが、
卒論だけは、一回の補足訂正の指導を受けただけで、その時点でも「とても良く書けてます」と評価をいただき、一発で「優」をもらったんです。これは嬉しかったですね。
ちなみに卒論は、たしか提出期限間際ぐらいで、約二週間で書き上げました。
これは自慢のようなダメ話のようなで、ほんとはもっと早い段階からとりかかって、長い期間をかけて仕上げていくものなんですね。
が、期限ギリギリに追い詰められるまで、なかなか腰が重い。
この辺も意志の弱さっぷりが発揮されてますが、同時に、好きな分野であれば集中力もすごい、ということが実証された例ですね。せめて良い風に言ってみました。
そんなこんなで、ひとまず大学卒業、というところまではこぎつけました。
二年留年なので、この時点で23歳になってます。
あ、今現在は36歳です。
・・今回の記事でフリーター途中までぐらい書こうと思ってたんですが、細かく長くなりました・・。
次回、とりあえずのフリーターから占い師になろうと思うまで、の予定です!
長文にお付き合いありがとうございます。