こんばんは、手相家の天道泰幸です。

今まであまり触れてこなかった、自分自身の経歴について書いてますシリーズ。

あ、やはり最初に言っときます、
長いです。

前回まではこちら。↓
自分の事を書いてみます。~手相占い師になるまで~その①
自分の事。その②~大学時代から将来の進路~



小さい頃から不思議な世界が大好きで、中高、大学とますますその世界に傾倒し、

かつ変な特別意識だけを持っていて、就職や人生設計を現実的には考えてきませんでした。


ちなみにその頃の関心の分野は、いわゆる自己啓発系、
人生とは何か、どうすれば良い人生が送れるか、というテーマに向いていました。


前回書いたように、大学在学中も、就職活動は一切せず。


大学を留年してた頃から卒業するまでは、警備員のアルバイトをしてました。

いわゆる道路工事の現場とか、店舗駐車場とかの交通誘導、
辞める前の最後の現場は、新規オープンの大型ショッピングモールの守衛でした。

広島の方はご存知、当時は「ダイヤモンドシティソレイユ」の従業員通用口に立ってました。

思えば、「忙しい現場を回していく、さばいていく」っていうのが好きだったんだなと思います。


で、そろそろ警備員も潮時かな、と思ってた頃。

次はなんとなく明るいイメージの仕事がしたいな、と思い探して面接を受けたのが、
ドラッグストアです。

あ、全然正社員とかじゃなくて、パートですよ。

いずれ精神世界とかの何か好きなことで生きていくんだ、
それまではとりあえずなんとなくやってみたい仕事をしよう、というノリです。

無事に受かり、広島は本通りという商店街にあるドラッグストアで働きました。

主に「店頭」担当で、飲料補充したり、品出ししたり、ポップを描いたり、売場づくりをしたり、店頭でセールの呼びこみをしたり。

仕事自体は、けっこう楽しかったです。
ちなみにその頃知り合った先輩で、今もつながってる人もいますし。

で、だんだん自分に向いてないな、、と思い始めたのが、
レジとか声掛けをして、「推奨品を売る」というもの。

セールストークが苦手だったんですね。

その事も伝えてを店長に退職の意向をいうと引き止められましたが、気持ちは変わらず。

「商品を売ること、これは商売の基本だから、どんな仕事をやってもついてくる。それは避けては通れないよ」

と言われましたが、当時は、そうじゃない仕事もたくさんある、と思ってました。

今は、意味がやっと分かる気がします。


ただどちらにしろ、

本当に興味を持ってくださる方に売る、というのはできるんですが、
こちらから積極的に売り込む、というのは苦手だったんですね。

今でも、ブログを見たり口コミで評判を聞いてくださった方に、手相鑑定という商品・サービスを購入してもらってるわけで、自分から売り込んではいません。


ドラッグストア勤務は、23~24歳でした。


次に経験したアルバイトが、

ラウンジのボーイです。 

つまり、夜の女性のお店ですね。


たしか24歳から27歳ぐらいまでいたことになるのかな。

ドラッグストアで知り合った先輩の知人に誘われて、
最初はドラッグストア勤務をしながら、週一回だけ手伝ってたんです。

が、その知人がボーイを辞めることになって、後釜を任されました。

その時も単純に、「こういう世界もなかなか経験できないだろうから、飛び込んでみるのも面白そう」という理由だけで決めました。


この仕事も、すごく楽しかったです。

どちらかというとアットホームなこじんまりしたお店で、ママにもお客さんにもかわいがってもらえて、女の子とも仲良かったです。

これはちょっとした自慢なんですが、当時はお店のママにもお客さんにも、
「女の子よりも人気のある天ちゃん」って言われてたんですよ。えへへ。
あ、人生で一番多いあだ名は天ちゃんですね、やっぱり。

よく気がつくし働くし、お客さんウケもいい。なんて良い人材なんでしょう。


そして実はこのお店で働いたことが、人生が大きく変わるきっかけになってます。

手相は、大学生~ドラッグストア時代から、時々ではありますが、観る機会がありまして。

ラウンジ勤務時代にも、男性のお客さんで興味を持つ人が意外と多くて、
けっこうな数を見ることになったんですね。

男の人って、占いを信じないか嫌いな人が多いですが、
「手相は統計学だし、自分の体に出てるから、何かあるんだろうね」
という人が多かったです。(本当は統計学ともちょっと違うんですけどね・・)

定番の流れとしては、女の子が少なくて足りない時に、代打的にママの指示でお客さんの席に着かせてもらって、手相を観るという。

で、時々ママが話のネタとしてこの人は、というお客さんに手相の話題を振って、で、自分の出番、という。

これがけっこう好評でして。性格とか、過去の転機とか、今後の流れをお伝えしたり。

ただ、その時でさえまだ、手相を仕事にしようとは思ってなかったんですね。


夜の仕事もそろそろ、、と思い始めたころ、
また、いずれ自分の好きな分野で食っていく、と考えた時に、
マッサージ系の仕事が入り口的にもいいんじゃないかな?と思いまして。

動機は単純に、昔から人の肩を揉むのが好きで、かつよく上手い、って言われてたんですね。
あと、気功なんかにも興味を持ってて、真似事はしてたりもあって。

今思えば、浅はかな考えなんですが。
ただ今でも、ヒーリングやボディワーク系には少なからず関心があります。

で、プロフィールにはあえて書いてませんが、その仕事に役立てばとも思って、レイキのアチューンメントを受けたりしました。
(ちなみに遠隔でアチューンメントをするという、当時としては革新的なものでした。知る人ぞ知る、今は無きアクアトゥルースというところです)


そしてその頃、ママの妹さんでちいママさんのつながりで、
開店前の時間に、お店によく当たる占い師さんを呼んで何人か観てもらうから、天ちゃんもどう?と誘われ。

この先生との出会いが、実は自分が現在占い師をやってる大きなきっかけです。

当時は数秘術を専門にされてて(今は、西洋占星術がメインです)
たぶん一種の直感もある方で、まあ当たる当たる。

数秘術は自分も好きで本は読んでたんですが、ここまでいろいろ分かるんだと驚きました。


で、仕事の適性を聞いてみたら、手を使う仕事、手に関する仕事が一つ向いてる、と。

というわけで、マッサージ系もあり、と判断頂いて。それでより気持ちが強くなりまして。


働くところを選ぶ時に、純粋なリラクゼーションマッサージよりも高い技術が身につけられるところはないか、、と探していたら、働きながら技術も学べるという、わりと本格的な治療院を見つけて、面接を受けました。

女性の院長さんからは好感触をいただけて、あとはオーナーに話を通してから正式なお返事を差し上げます、と。この時は、もう受かったものだと思い込んでました。

が。後日、通知の電話があり。

「残念ですが今回は、、」とのこと。

その理由なんですが、面接時の自分との会話の内容をオーナーの方に伝えたら、
「あ、その人は本気じゃないから続かないと思う」と言われたそうで。

・・・図星だったんです。

よくよく自分の胸に手を当てて考えてみると、心底真剣にはその道でやっていこうという決意ではなかったんですね。その時は、自分の浅はかさと本気じゃなかった具合に、すごく恥ずかしかったのをよく覚えてます。


ただ、そこで受からなかったおかげで、本当に何がしたいか改めて真剣に考えるきっかけになったんですけどね。


で、またラウンジに引き続きお世話になることに。


そして、例の占い師さんに、たしかもう一度見てもらったのかな?ここの流れの記憶がややあいまいなんですが。

自分が趣味で占いをすることは話を聞いてたらしくて、

「天道くん、手相観るんよね?ちょっとためしに私の観てみてくれない?」と。

で、観てさし上げると。

「すごいすごーい、これなら、十分プロでもいけるよ」

と言われまして。


それは嬉しかったのを覚えてます。


今思えば、最初に言われた「手を使う仕事、手に関する仕事」というのは、言葉だけを拾えば意味は他にもありますが(ネイリストもそうですしね)、当たってたんだと思います。

数秘で見ても、スピリチュアル関係・占いなども、とても向いてる事だと言われ。


そこで、手相占い師だ、とやっと思い立ちました。

ラウンジでお客さんの手相を観ることがだいぶ増えてきた段階で、うっすらとは思ってたんですが。


この時に、本気で占いで身を立てていこうと、決意します。

時は2006年、26歳の夏でした。


ママに、改めてお店を辞める以降を伝え、


いわゆる「街頭占い師」を始めます。


学生生活があったりアルバイトがあったり、ある種現実は経験してましたが、
感覚としては、ほとんど夢想の世界だけで生きてきた自分が、この時ばかりは一大決心でした。

店が閉まった後の夜の商店街に折りたたみ椅子を自分用とお客様用に並べて座り、「手相占い」と手書きの看板を掲げる。

今思えば、よくやったなあと思います。

始めた時は、その後ずっと何年も座り続けるつもりでした。

最初はなんとか食えるぐらいでも、ずっと居続ければ評判を呼んで、生計は立てられるだろう、と。


料金は、15分1000円でしたね。

お客さんは、日によりましたが、まあまあ来てくれました。

一番多い日は10人を超えたりしたのかな?

でも、数人ぐらいの日もあれば、ゼロの日もあったと思います。


もう10年前の話になるのでだいぶ記憶も薄れましたが、けっこういろんな人が来てくれました。

大学生、OLさん、女子高生、怪しいおじさん、、、
やはり女性が多かった気がしますが、時々、男性も来てくれました。

一番思い出に残ってるのが、特攻服を来た暴走族の集団が目の前を歩いてて、そのうち一人が自分を見つけて、
「あ、俺、手相興味あるんじゃけど、マジで見てもらっていい?」と仲間に一声かけて、鑑定に来てくれたこと。

その様子を、残りの仲間たちみんなが興味本位で覗きこむもんだから、通行人から見ると暴走族に囲まれてるように写っただろうな、と(笑)


というふうに、いろんな人が来てくれて楽しくもあったんですが、
なかなか精神的にしんどいこともありました。

その一つが、その日、来てくれるかどうか分からないお客さんを、ただ座って待ち続けること。

そしてもう一つ、、


このもう一つが、強い決意で始めた街頭占い師を、わりと早い段階で挫折する、大きな理由になります。



続きはまた次回・・!