こんばんは、手相家の天道泰幸です。


自分がどうして占い師になったのか、そのいきさつを書いてるシリーズ。

その①
その②
その③

簡潔にすることもできたんですが、
あえて細かく書いてます。




26歳の時(2006年)、一大決心をして路上占い師として夜の街で手相を始めました。


が。


わずか2ヶ月足らずで、挫折してやめてしまいます。



その理由なんですが。


お客さんは、日にはよりますが、まあまあ来てくれました。が、精神的に辛かったのが、お客さんが来てくれるかどうか分からないまま、ただ座って待ち続けること。

つまり、その日一日の収入がどうなるか、深夜に撤収するまで分からないんです。

路上鑑定を始めた時、日中にバイトでもすればいいものを、退路を断つためだ、と他に働いてなかったんですね。

それでも、鑑定数が多い日や少ない日の平均で、なんとか一日これだけ稼げれば最低限大丈夫、という収入はあったんです。かつ実家暮らしでもあったので、やっていけてました。

でも、やはり、ただ待ち続ける、というのはなかなか精神的に不安定な部分がありました。一日に確実にこれだけ収入がある、というのが保証されてないことって、精神的にものすごく不安定になることをこの時思い知りました。

これは、たった2ヶ月足らずで挫折してしまった理由の一つとしてあるんですが、最大の原因ではありません。


もう一つあるんです。

・・すみません、厳密に言うと2つなんですが。

それは、

「手相に出ている未来がその方が望むものと違ってる場合に、どう言えばいいか分からずに困った」ことと、

「分からないことを聞かれた時に、プライドのため正直に分かりませんと言えず、鑑定に一部嘘が入り始めた」こと。

この2つのために、自分が段々と、確実に精神的に病んでいくのが分かりました。


路上に座って始めるまでは、自分の手相の力量にある種慢心していて(もちろん凄腕とまでは思ってないですし、もっともっと経験を積んでベテランになるために、この先何十年も路上に座り続けようと思ってたんですが)・・未熟だったんですね。

もちろん今でも、超熟練でベテランの域には決して達してないと分かってますが、自分の鑑定のレベルは、ある程度客観的に認識しているつもりです。

今は、当時どうしていいか分からなかった2つの課題は、ほぼ克服しています。

特に後者の「手相で分からないこと」に関しては、はっきりとごめんなさいそれは手相では分からないんです、とか、専門外であまり得意ではありません、とかちゃんとお伝えするようにしてます。

前者に関してはいろんなケースがあるので、、詳しくはまたいずれの機会があればと思います。

「基本的にはあくまで手相に出ていることをそのままお伝えすること」
「嘘やごまかしはなく、正直、誠実であること」

この基本的なことが、当時はできなかったんですね。


日々なんとか食べていける程度の売上はあるものの、収入の保証がなく精神的に不安であったこと、
どうにも答えられないことに答えられなかったり、嘘が混ざり始めたこと、

これで、路上に出ることだんだん苦痛になり、回を重ねるごとに、ますます足が重くなっていきました。


ある日、もう無理だ、止めよう、と思いました。

たしかその時は、自分が人間的に、精神的に未熟だと痛感して、

今さらだけど改めて普通に真っ当な仕事をして、将来もっともっと大人になって精神的に成長したごろ、もしその気になればまた趣味からでも手相を始めよう、

人生で一度、手相から見を引こう、ずっと将来まで封印しようと決めました。

身を引く、といっても、一大決心をして始めてたった2ヶ月たらずだったのが、自分でも本当に情けなかったのをよく覚えています。

この辺りの記憶が、精神的にだいぶ病み始めてたので若干定かではないんですが、
(本当に病んだのは、路上に出なくなったその後でした。こういうテーマを書くのはどうかと思うんですが、人生最初で最後の霊体験、生霊が憑いたんです。この話は、長くなるので割愛させて下さい)

たしかその頃に、辞めていたラウンジのボーイの後釜に入ってもらっていた友達に相談したんだと思います。

で、とりあえずまた何かアルバイトをしようかと思う、そして遅いけど今から就職を考えている、とも話しました。

が、当時すでに26歳で、大学も二留、就職経験もなく、いまさら就ける職はすごく限られている現実をやっと感じ始めてました。

普通に働くことを、ある種斜めから見ていた自分が、就職をしなければ、と考える。
それは、とてもハードルが高く、苦しいことでした。

当時は、ほんとに社会や仕事の種類をリアルに知らなかったので、求人誌に乗っていた布団販売の営業の仕事なんかも候補に考えてました。友達に言ったら苦笑いされながら、それは限りなくブラックだろ、と言われて気付き、恥ずかしい思いをしたのをよく覚えてます。


で、友達に相談する中で、一度ママ(ラウンジのですね)に会って話してみれば、ということになりました。


・・そして結局、その店に戻ることになりました。


それはそれは、恥ずかしく、惨めでした。

というのも、

お店の女の子にも、常連で可愛がってくれてたお客さんにも、

これから占い師でやっていきます、と強い決意である種啖呵を切って辞めたのに、

たった数ヶ月で出戻りですから。


一部のお客さんには、落胆されたりもしました。
可愛がってもらってて、手相も観てたりしたので。

それでも、おかえり、と受け入れてくれたお客さんも多かったですが、

その時の自分は、今まで持っていた自尊心や、自分好きだったところとか、すべてを失った感覚でいて、別人のように自信を失っていました。

表面的にはある程度愛想よく振る舞えるんですが、まるでぎこちなく。

常連さんだったあるお客さんには、自分のその様子を感じて「ほんとに天道くんよね?同一人物よね?」とまで言われ、接しにくさを感じられたのか、急によそよそしい態度に変わられたのを覚えてます。

自信喪失っぷりがよっぽどだったのが想像してもらえると思います。


その頃の精神状態は、それはひどいものでした。

とにかく、今までの生き方と考え方をただ悔いるばかり。

同世代の友達が、いわゆる社会人として確実に実務経験やキャリアを積んでいるの比べて、自分は夜のお店のボーイ。

しかも、俺は特別なんだ、いずれ好きな世界で生きて行くんだと思ってやってきて、手相という道を見つけたつもりで初めて、それを一人で挫折して失って。

文章に書くと簡単ですが、本当に、信じられないほどの精神状態でした。(生き霊が憑いてたのも大きいんですが。例えば、仕事帰りの夜道をただ歩いているだけで、魂が抜けていって本当に死にそうな感じがして、怖さや情けなさ、いろんな感情が混じって、心底、誰か助けて、と一人泣いたのを覚えてます)

大学留年後の経歴的にも、もう今更ちゃんと就職なんてできない。こんな自分を雇ってくれる組織なんてない。(当時26歳ですが、本気でそう思ってました)

人生や、自分自身がおそろしく空虚な感じがしました。

何をして、人生や生活を埋めていったらいいんだろう。
なんのために生きていくんだろう。

昔から読み漁って溜まっていった精神世界や自己啓発の知識も、自分を全否定してる状態では、何の役にも立ちませんでした。


その状態で、戻った夜の店でどのくらい経ったか、、半年ぐらいか、一年までは行ってなかったと思います。

徐々に、徐々にではありますが、精神的に落ち着いてきていました。

確実に収入がもらえて仕事をする、ということの作用もあったと思います。


そして、やはりずっとこの世界にいても先はない(もちろん、夜の世界で生きていく方もたくさんいますし、それも十分に一つの仕事なんですが)、そう改めて思い始めた頃。

とりあえず、一度区切りをつけるためにも、辞めることにしました。改めて就職に向けて動いてみます、とママに伝え。

でもまだその時も、なかなか就職活動というものができずにいました。

再びラウンジを辞めてからは、一回、しばらくやる気が出るまでの間、と決めて?ニートをしました。

たしかこの時は精神的にはもう落ち着いていて、たしか2ヶ月ぐらい、とにかく家でダラダラして過ごしました。あ、普通に外にも出ましたけどね。

好きな時間に寝て、好きな時間に起きて、漫画を読み漁ったり、テレビを見たり。時にネットで買物をしたり。
それはそれで、楽しかったのを覚えてます。

でもしばらくすると当然、収入を得なければいけない。
就職もしなければ。

そこでまず、日雇い派遣の会社に登録しました。
この時点でたしか、27歳の後半ぐらいだったと思います。

27歳で、日雇い派遣をする。
これもこれで、すごく惨めなものでした。

一番最初に入った現場は、イベントの設営でしたが、これがきついこときついこと。
わりと本気で泣きそうになりました。ちょっと泣いたような気もします。

でも人間えらいもので、だんだん、色んな現場をこなすうちに、体も気持ちも慣れてくるんですね。
ちょっとした楽しさとやりがいも感じ始める。

警備員やってたり、大学祭実行委員会やってたりで、「現場」的な仕事が決して嫌いではない自分を再確認しました。


占いに挫折して、夜の店に出戻りして、自分の生き方を悔いて、心底病んだ状態も、
肉体労働をすることでだんだんと回復していってました。

(実は、精神的に落ちている状態では、体を使うこと、運動することが良い効果があるんですね。
余計なことを考えなくなるのと、ある種強制的に「今ここ」に集中するので。)


人生設計の先はまったく見えなかったけど、とりあえずは働いて、一定の収入は得られている。

その時は、自分で自分を試していた感覚がありました。
人生に行き詰まった時、先が見えない時は、とにかく目の前のことに一所懸命にやっていく。

そうすれば、いつか何か道は開けるはず。


そう思いながら働いているうちに、派遣先のある現場で、パートとしてうちに来ないか、と声をかけられました。真面目に働いてたのを評価してくれたんだと思います。

大手物流会社の、冷凍倉庫でした。

仕事内容は主に、アイスと冷凍食品が自動で出てくる大型の倉庫で大量にピッキングして、自動レーンにどんどん流していく。

これがまた、相当ハードなんです。

冷凍食品やアイスが詰まったダンボール一箱の重いこと重いこと。それを、一回何十から百何十ケースの単位で、取って流すの繰り返し。

しかも、冷凍倉庫内なので、寒いんですね。


派遣で入った初日は、本気で泣きそうになりました。

が、だんだんとその現場に入ることが増えてきて、ある日、直接雇用の誘いがありました。(でもほんとはこれ、派遣元の契約上、タブーなんですよね)

そこでパートとしてお世話になることに。
とにかく一所懸命、働きました。

肉体的にたしかにしんどいんですが、全力で体を動かすことがだんだんと気持ちよくなってくるんですね。

チームプレー的要素もあって、忙し過ぎると逆にテンションが上がってきて。途中から、けっこう楽しかったです。

体も鍛えられるし、ご飯も美味しい。
とにかくしっかり働こうと思って、夜の部も参加してたりしました。

ここで働かせてもらったことで、心身の健康はかなり取り戻せました。

ちなみにこの頃、けっこうムキムキになりました(笑)


さて、生活リズムも安定して、精神的にも元気になって、、
でもまだ当然、今後どうするかは見えてませんでした。
28歳になってたかと思います。



そんな頃、携帯(当時はですね!)に、運命を変える一本の電話がかかります。

着信は、知らない番号からでした。



・・次回、最終話にしようと思います!

今回も最後までお付き合いありがとうございます。



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