私はステージの上が嫌い。
子どもの頃、ピアノの発表会で最初のお辞儀をして観覧席を見た瞬間、緊張しすぎて頭真っ白になった。あんなに練習したのに、見事にぜーんぶ飛んで、びっくりするくらい弾けなかった。ピアノの先生も驚いて発表後にフォロー入れてくれるくらいの大失敗だった。
それを機に私はステージの上が嫌いになった。
それから、無意識に(かどうかも分からない)ステージの下にいることを選ぶようになった。
小学校の音楽会ではステージの下にいられる管楽器を選ぶとか、ソロパートあってもいいから合唱もできるだけ下の列を選んだとか。
とにかくステージの上に上がることから逃げてきた。
中学では、集まりなどで賞状をもらう(ステージの上に上がらなきゃならない)のが本当に嫌で嫌で嫌で嫌で、実は2回くらい逃げた(集会をバックレた、という状態です)。集会後に怖い先生に「ふざけてんだろ」と叱られましたが、私はふざけてはいなかったのです。本当に心の底から「嫌」だったのです。何で賞状もらうのにステージの上に上がる必要があるのかと、その時の私は本気でそう考えていました。
私はステージの上が嫌い。
この「嫌い」ってなんだろう、、、?
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・怖いのか。
いつから?怖いんだっけ?あのピアノの発表会から?
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・あ、幼稚園の発表会。
合奏の時、水笛をもう一人の女の子と2人で担当したんだけど、水笛を吹く瞬間に器の水をこぼされて音が出せなかったんだよな。あれは完全にわざとだった。練習のときもやられたもんな。まさか本番でもやってくるとは思わなかったな。悲しかったな、恥ずかしかったな、悔しかったな。やめてよって言えなかったな。
そうだそうだ。思い出してきた
発表会が終わった後、先生に言ってみたけど忙しくてそれどころじゃなくておざなりにされたんだよなぁ~
その後、お母さんにも言ってみたら「えっ!どの子!?」と母親らしい怒りを表現してくれてたけど(私の母親はスケバンだったしヤンキーだった)事件が起こりそうな予感がしたからたしか「でも大丈夫」か何か言っておさめた気がするなぁ
それでもしゅんとした気持ちはおさまらなかったな
そうだ、その後も心が怒っていて、どう表現していていいか分からなくて、でも気持ちを切り替えられなくて、メソメソしてたんだよな。そしたらおばあちゃんが「どうしたの?」って、聞いてくれたんだ
おばあちゃんにあれこれ話したら、それは悔しかったねぇ、ここまでいっぱい頑張ってきたのにねぇ、でもとっても良かったよみたいなことを言ってくれて、、、
なんの迷いもなく「その子のところに行こう」ってなって
おばあちゃんは怒ってはなかったけど、相手のご家族と何かを話して、相手の親の顔がどんどん青ざめていったのはなんとなく覚えているんだよな、、、そして「謝って」って言ったんだよな。あの時、心がスッキリしたんだよな
そっか~、私はもしかしたらその時の感情を引きずって「ステージの上が怖い」になって「嫌い」になって、その「嫌い」の感情だけがずっと残って「ステージが嫌い」になったのかな。
本当は怖かった・・・のかも?
今週末、ステージに上がるという試練がやってきます。真ん中ではなく端だから良かった。きっとこれが終わった時のには何かを乗り越えられた達成感を味わえるはず、そして少し、心の中の何かが変わっているはず!と信じて、ステージに立とうと思います。(ステージ上にいる自分はまだイメージできてない)1人だけど1人じゃない。皆さんの思いを一緒に引き連れて登るんだ。
自分の心を乗り越えるために、頑張るんだ。
大丈夫大丈夫、きっと大丈夫、嫌でも時間は平等だから。必ず終わる。
先日、自分と向き合うというワークショップに参加して、内観(自分と対話する)を人前で喋ったらちょっとだけ役に立てた気がして嬉しかったので、今回ふと思い出したことを自己対話形式でブログにしてみました。へ~あの人そんなこともあったんだ、あのときステージ嫌いって言ってたのそんな理由もあったんだ~って知ってもらえたら、きっと私の心はまた救われるし、内観(自分と対話)の練習中の人に、この人はこうやって内観してるのか~という「ひとつの例」としてこのブログの内容が役に立ったら嬉しいです。
さ、ステージの上にいる自分をイメージする練習します。本場まであと5日。あーこわいこわい。でもきっと大丈夫。