年齢も30歳に近づいてきまして、身の回りの環境も少しずつ変化しつつあります。
一緒に歌ってきた仲間たちといつまでも一緒に…というわけにもいかず、様々な環境の変化や、それぞれの年齢・進みたい道によって、みんな分かれていくんだな、ということを実感しています。

そこで、自分の進みたい道はどんなかな、と改めて考えてみました。
僕が考えているようなことを考えていたり、この後に書くようなことにピーン!と来る人と会ってみたい、話してみたい、と思ってます。
あしたとあさってが一度にくるといい。


・自分が合唱にのめり込んだルーツ
やりたいことを考える上で、自分の合唱人生のルーツというか、合唱にどハマりすることになった原因を考えてみました。

①高校生の時に聴いた「北とぴあ合唱フェスティバル」の「世界の合唱」でのヴォーカルアンサンブル《EST》とGaia Philharmonic Choirのキューバとフィリピンの民謡の演奏。

②大学生の時に聴いたヴォーカル・アンサンブル カペラのCDの演奏。

③オペラシティで聴いたPro Musicaの演奏。

④国際合唱コンクールのグランプリコンクールで聴いたSofia Vokalensembleの演奏。

あたりかな、と思います。
後半に進むにつれて経験値も積んでいるので、感動のレベルがより高まっていったと思います。
ジャンルを問わず、様々な時代・種類の音楽を「無伴奏の合唱」という演奏形態で聴いて、心の底から感動する経験をしたことで、合唱の魅力に取り憑かれていきました。
特に、④のSofia Vokalensembleは色々なジャンルを自由自在に歌いこなし、何だコイツらは!と思ったことを覚えています。


【演奏への願望】

普通の声
Sofia Vokalensembleは、色々なジャンルを高いレベルで「普通の声で」歌う団体でした。
Popsも黒人霊歌もクラシックも、普通。
普通と書くとあまりいい印象は受けないかもしれませんが、僕はこれは最高の褒め言葉だと思います。

僕は日本で合唱や声楽をやっている人の多くが「特殊」な声を出していると思っています。
聴いた時に、何か普通でないことをやっている感じ、普通の人には出せないような声を出している感じ…
そういう声を聞いていて、僕は音楽そのものに没入出来ません。
僕は、そういう声には「大きさ」「音の高さ」「母音」くらいしか情報が無くて、その音に他にどういう情報があるのか、嬉しいのか悲しいのか…が声から感じられない、と思っています。
でも、合唱業界・声楽業界では、そういう声が「いい声」と形容されることが多いと思っています。
音楽というより「声を聴いている」感じ。

僕が憧れているものは、そうではないのです。
極めて普通。
普通だからこそ自然なのかもしれない。自然だから、色々な情報が感じ取れるし、音楽の妨げにならない。
「音楽を聴いている」感じ。

言い方を変えれば、声が曲の表現にフィットしているということなのだと思います。
フレーズに合った、適切な表現、音色が選択できているからこそ「特殊」に感じない。
↑すごく大切なことだと思う。


普段思っていること
合唱って、もともとは普通の聖歌隊の人たちが祈ったり、普通の人たちが楽しく歌ったりしたものであると思います。
そうやって西洋音楽が発展してきて、徐々に劇場の規模が大きくなり、職業歌手に求められるテクニックが難しくなってきて、歌手には長い修行期間が必要になり、より専門的に勉強する必要が出てきて…

そうやって劇場でオケを超えるソリストの発声がレベルが上がって、いわゆる「声楽」の声が生まれてきたわけですね。
ヴェルディのレクイエムとか、オケ付きの作品で、しかも壮大な作品となると、そのようなテクニックが求められると思います。
バロックあたりなら、オケ付き作品でもそこまでソリストのテクニックは求められていないというか、また違う技術が必要な感じがします。

僕が所属しているSalicus Kammerchorはバッハの演奏法として現代からバロックへ遡るのではなく、グレゴリオ聖歌の演奏法を学び、それをポリフォニーへ、そしてバッハへ活かしていくという、時系列順になぞっていくようなコンセプトで演奏活動をしています。
そうすることで、バッハの違った姿が見えてくるのではないかと。

僕は、似たようなことを声について感じているのだな、と思います。
良くも悪くも発展してきた今の形というのは、西洋音楽を演奏する上での間違いない一つの解であると思います。
でも、それを合唱音楽全てに当てはめてしまっていいのか。当時全ての歌手がそういう声で歌っていたのか。
多分答えはノーで、そういうところにこだわっていくと、作品の姿が今までと違うように見えると思います。


普通の声でやりたいこと
僕は「普通の声」で、色々なジャンルの曲が持つ魅力を再発見したいと思っています。

例えば、先月来日したスウェーデンのバーバーショップコーラス「Zero8」は武満徹の「風の馬」の第2ヴォカリーズを歌っています。
日本では武満というと昔から演奏されてきたものなので、「武満の音はこうだよね」みたいなイメージがあると思います。
実際Zero8の演奏は武満っぽさは無かったですが、驚くほど整った和音に「あれ!?この曲ってこんな曲だったの??」っていう体験をさせてもらいました。

実際、そういう体験が出来る曲って多いと思うんですね。
古い日本語の合唱曲とか、新しい体験出来そうな曲多そうだと思います。
例えば、日本の男声合唱の代表と言えるタダタケとか。
長い時間をかけてタダタケのスタイルや音が確立してきたと思いますし、それはそれで一つの結論であると思いますが、それをバーバーショップカルテットが演奏したとしたらどうなるんだろう?と僕は思うのです。
まるで別の曲みたいな聴こえ方するんじゃないかな、と。
Svanholm Singersの斎太郎節とか、Pro Musicaの会津磐梯山とか、是非はともかくとして、おおっ!と思いますよね。

そういうのがやりたい。

そうやって考えてみると、僕がやりたいことというのは「合唱界や声楽界に流通している声へのアンチテーゼ」なんだな、と思います。

勘違いしてもらいたくないのは、先ほども書きましたが、現代的な声楽のテクニックも必要な時がある、とは思っています。
フレーズに合った適切な表現、音色というのが僕が考える「普通」の定義なので。
僕自身、そういう声もも出せるように勉強も続けています。

少し問題だな、と思っているのは、多くの人が勉強やレッスンを続けたために、日常会話で使うような普通の声に近い音声を「歌に不適切」と感じるようになっていくことです。


そして、普通の声から離れた、強い感情が必要なシーンは一つの曲の中に多くはない(曲によっては一瞬もない)ため、フレーズに合っていない声で歌ってしまうことが増えて、音楽というより「声を聴いている」と強く感じてしまうのかな、と思います。


音楽のジャンル
自分自身、憧れているレベルのアカペラグループのコンサートに行くと、マルチに色々なジャンルを歌うグループが多いです。(しかもレベルが高い)
その影響か、僕自身は声で何でも出来るようになりたい願望が強いです。
色々なジャンルを歌いたいし、ボイパやノイズボイスにも挑戦したい。
自分が持っている手札をたくさん増やしたいです。
なので、レッスンには死ぬまで通うつもりですし、いずれはボイトレだけではなく、声に関することで様々なレッスンを受けるだろうと思います。
僕は、音楽のジャンルには強いこだわりはありません。
何でも出来るようになれれば最強だろうと思っています。
いくら投資すれば最強の手札を揃えられるだろう。ボイスガチャ。


だからこそ、こだわりが強い人たちに雇われたい
自分自身が特定のジャンルに対する強いこだわりがない為、特定のジャンルに力を注いでいる人たちに歌手として使ってもらいたい願望があります。
現在でいえばヴォーカル・アンサンブル カペラやSalicus Kammerchorに歌手として使ってもらっていて、本当にいい刺激ばかり貰っています。
僕が声を使って色々なことが出来るようになりたいのは、一つは声に対する興味が強いことがありますが、こういうこだわりの強い人たちに、最後まで使ってもらえるようになりたい、という気持ちがあります。
そういう人たちが見ている景色というのは大抵は今は誰も到達していない景色だと思います。
僕はそれを一緒に見てみたいんです。
実力不足で足を引っ張ってしまうようなら切り捨ててもらいたいんですが、そうなりたくないんです。
だから、死に物狂いで頑張る。


【現実的に困っていることへの願望】

選曲に強い人と出会いたい。
段々と話が現実的なところに向かってきていますが(笑)
僕は音楽のジャンルに対するこだわりが強くなく、知らない曲ばかりのコンサートでも演奏が感動的ならば楽しめるため、選曲があまり得意ではありません。
曲の知識も多くないです。
(そういう意味で演奏会のプログラミングとかするべき人間じゃないんだろうなあ…そもそもそれって演奏家としてどうなの…とも思ったりする)

でも、自分が主宰しているグループの演奏会はたくさんやっていきたいから、困っています。
アドバイザー的な人と出会えて、組んで仕事していければなあ、と思っています。


【合唱を教えたり、情報を発信する人物としての願望】

声のアンサンブルへの作用の良い/悪いをまとめたい
合唱における様々な声の状態を分析してデータとしてまとめたい、良い例も悪い例も(そもそも良い/悪いはシチュエーションに依る)
そして、そういうことを一緒に考えてくれたり、データを取ったりするのが得意な人と出会いたい。

何かしらのWebコンテンツを作ったり、ワークショップなどを開きたい
色々とまとまったら、普及活動をしていきたいです。
動画配信や電子書籍的なものになるかもしれません。形にはこだわりが無いです。
いいサウンドの団体、たくさん増えると嬉しいなあ。


【そして…】

人並みまでいかなくとも、稼ぎたい。
これは大きいです。
今は自分のレッスンの料金設定も現実を見ていないというか、本当は年にいくらくらいお金が必要かとか、月にどのくらいレッスン出来ればとか考えて料金設定とかするんでしょうな。
行き当たりばったりでやっているので、休みなしに働いても生活はなかなか大変であります。

昔は有名な声楽家の方のように広めの練習室のある一軒家を!とかバカなこと考えてましたが、せめてちゃんと子供を育てられるように、たまーに休みが取れて家族と旅行に行ったり遊びに出たりとか出来るようには稼ぎたいなあ、と思います。
結婚して家庭があるんだし、大切にしていきたいです。
一家の柱として、頑張らねば!!



長いブログになってしまったけど、何かピーンと来た方、お会いしてみたいです。
お話したり、歌ったり、お酒飲んだり、しませんか?
DMでもコメントでも、何か新しい繋がりを広げられたら嬉しいです。
僕は現在、Speech Level SingingをベースにしたVocology in Practiceというボイトレ団体のメソッドと、Estill Voice Trainingの2つのメソッドを中心に勉強しています。

どちらも発声について科学的にアプローチしているメソッドで、とても勉強になっていますし、僕自身の声もめまぐるしく変化しています。

先日記事にも書きましたが、Estill Voice Trainingの方の公式講習会に6月頭に参加してきました。
その中で特に印象的だった話がありますので、少し紹介しようと思います。

タイトルにもありますように「Attracter start」という概念です。
講習会では「引き寄せられる状態」と先生が訳していました。
この話に入る前にEstillについて紹介しますね。

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Estillでは、筋肉は身体の各部位を動かすものであると同時に「感情を伝えるもの」と考えているようです。
泣くのも笑うのも、全て筋肉の動きによってアウトプットされるものである、と。
もちろんそれら筋肉を動かすのは感情であるわけですが、それらは筋肉の動きなしには外へ表現されない、と。

そして、その感情を伝えるツールである筋肉をなるべく細かな部位別に動かせるようになろうと、発声に関わる筋肉(群)を13個のFigureに分けています。

例えば
声帯であれば「slack・thick・thin・stiff」
仮声帯であれば「constrict・middle・retract」
甲状軟骨であれば「vertical・tilt」
などなど、1つのFigureにつき複数の状態があります。

それらのFigureを別々に練習し、様々な動きを組み合わせることで多種多様な音色を作っていく、というようなメソッドです。
実際に様々な機材でそれらの動きを研究し、ビデオなども多いため説得力がありました。

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さて、Estillについて極めて簡単に説明しました。
話を戻します。
先程紹介しようとしていたのは「Attracter start」という概念です。
これは、普段自分が喋ったり歌ったりする時の状態のことをいいます。
軽くFigureについて説明しましたが、このFigureを自分自身の「自然な状態」にも当てはめることが出来ます。
「その人本来の声」という風にも表現出来るかもしれません。

しかし、それは実際は「筋肉の動き方の癖」です。
その癖は、育ってきた環境や教育による後天的な影響によって作られます。
例えば家族で声が似ているということであったり、音大に進学した結果、評価される声の傾向があり(まあホールで良く通るような声の方が評価は高いですよね)、そこに近づくためにやたらと声帯を厚く使って話すようになったり、合唱でも「歌う声で話しましょう」というようなことってありますよね。

特に声楽や合唱などマイクを通さないジャンルの歌をやっていると、いかにホールで良く響く声(歌手のフォルマント)を手に入れるか、ということが、ボイトレをする上で大きな価値を持っているように感じます。

ホールで響く声を出すための、何か1つの「正しい発声」というものがあり、そこへ向かって職人的に技術を磨いていく、というような方向性で勉強している方も多いのではないでしょうか?

僕は、そのような方向性の勉強は超強力な「Attracter start」を作り上げているように感じます。
よく響く声を出す、という目的のために、1つの声色から離れられないという人が、別のジャンルに比べると多い気がします。
(演技は表情豊かなのに)

Attracter startは筋肉の癖であり、習慣ですので、特定のアプローチを簡単にする反面、それ以外のアプローチを難しくするそうです。
(クラシカルな発声だと楽に歌えるけどポップス的な発声だと歌えないな〜とか。逆パターンもありえますね)

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誰だって癖になっている発声状態で歌う方が楽しい。
カラオケなんてのはまさにそういうところですよね。


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Estillについて、僕が好きなところは様々な音色を作り出すことを容易にしてくれるところです。

ここの部位がこう動けば声道にこのような変化があり、結果的に周波数にはこのような変化が起きる。
その結果、音の印象はこのように変わる。

ということが偉大な先駆者たちにより、内視鏡やMRIなどによって、裏付けのある研究としてまとめられている。
とても素晴らしいことだと思います。

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音楽には色々な情報が存在していると思います。
旋律・和声・リズム・音量に始まり、音色や呼吸、また歌の場合であれば歌詞も重要な情報になってきますね。

僕が大切だと思うのは、旋律・和声・リズムなどの音楽の構造の情報よりも奥にある、作曲家の意図したところ(であろうと演奏家が解釈したところ)が伝わることが大切だと思います。
とてもシンプルに言えば、悲しいのか嬉しいのか・熱いのか寒いのか…などなど

そこが伝わるためには、まずは旋律・和声・リズム・音量などの構造的な部分の精度を高くしないと「音痴だな」「旋律がレガートじゃないな」と大したことない情報を拾われてしまうので、やはりそこは軽視してはいけない部分だと思います。

そこをクリアした上で、より大切な情報を演奏を通して伝えたいわけですが、その時に、音が・声が1つの音色しか持っていないとしたら…
音量の幅があったとしても音色が1つだったら…
僕は何も伝わらないと思います。


また、少し違う話題ではありますが、合唱をやる時に「声を合わせる・声は合うもの」というようなことがよく議論になりますが、僕は1人1パートみたいな少人数でアンサンブルをする場合は「Attracter start」があまりにも違う場合はうまくいかないと思います。

その中でも、うまくいくために特に大切なのは「声帯の厚みの状態」だと最近思っています。

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技術というものは、自分が思ったものを第三者にそう感じてもらえるように発信するためのものです。
様々な音色が出せるようになるべきだと思います。
そして、それはみんな「自分の声」です。

1つの音色に固執することが「自分の持つ本来の声で歌う」ことではないと思います。

もちろん「Attracter start」によって個性が出るとも言えるので、尊重する部分もあって良いと思ってはいます。
声に含まれる情報量を増やしつつ、かつヘルシーに発声するためには、声のメカニズムを知らなければいけません。

発声に正解なんてありません!
声帯のコントロールさえ上手に出来ているならば、共鳴の部分を自由自在に使って、色々な音色を作りましょう!
ただ、声帯のコントロールはすごく難しいので、良さげな発声サイトを見つけたり、実際にレッスンに通ったりして訓練しましょう!
その上で色々な音域を歌いましょう!
もっともっと、音楽を情報に満ちたものにしましょう!
これが今回の記事で言いたかったことでした。


あとは、こういういいメソッドはどんどん広まればいいと思う。
日本では稲幸恵先生がEstillの講師の資格をお持ちで、レッスンを受けられます。
レッスン代も一般的な声楽のレッスンよりお安いので、興味がありましたらぜひ!

6月1日から6月5日まで、Estill Voice Trainingの公式講習会に参加してきました。
新しい知識を身につけて、そして「同志」と感じられるような発声オタクのみなさまと出会うことが出来、非常に充実した5日間でした。

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芸大の後輩の萌香ちゃんと

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日本でエスティルを教える稲先生と今回の講師のアレヤンドロ先生と

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Vocology in Practiceの小久保よしあき先生と



さて、以前から決めていたことでしたが、告知が出来ずにおりました。
本日6月6日より、レッスン代金を値上げさせていただきます。


理由としては
①自分自身のボイストレーニング能力が開業時(5年前)よりもかなり高くなったこと
②家庭を持ち、暮らしていく中で、また今後子供が生まれるようなことも考えると、料金設定を見直す必要があると感じたこと
③二つ目の理由と重なる部分がありますが、今までの料金設定だと自分自信のスキルを高めながら(レッスンに通ったり、さまざまな資料を購入したり)だと、収支のバランスが成り立たないこと

があります。
しばらくはなるべく安い価格でボイストレーニングを行えたら、と思ってやっておりましたが、現実的に上手くいかない部分も多かったため、今回代金を上げさせていただくことに決めました。


新料金は
一般 40分4,000円、60分6,000円
学生 40分3,000円、60分4,000円

になります。
学生の方はお安く受けられるようになっています。


今後も自分自身レッスンに通いつつ、より良いレッスンを追求していこうと考えております。

どうぞよろしくお願いいたします!
去年の秋頃
八咫烏、八重桜でやってきたこと」というタイトルでブログを更新しました。

僕が少人数アンサンブルをやってきた中で感じた発声論をまとめたものでした。
声楽家が集まったアンサンブルをやる際に、主にブレンド面でうまくいかないことが多く、声帯を薄めに使おうという感じでまとめていました。

今も声帯を薄く使うことは必要だと思っていますが、それだけだとどうしても音が弱く、ホールで飛びづらい音声になってしまいます。
今年の2月の八咫烏のコンサートは、お客様のご感想が大きく分けて二種類に割れました。
ブレンド面や繊細さにポジティブな評価をくださったお客様、音量面の物足りなさや強弱の変化の少なさにネガティブな評価を下さったお客様の二つの方向でした。

僕自身、ホールでゲネプロを聞いた時に、確かに客席で聴くと物足りない部分があるけど、どうかな〜?と思い、ゲネプロを聴いてくれていた人に「この音量で大丈夫かな??」みたいなことを何回か聞きましたが、大丈夫だと思う!というような返事が来たので、メンバーの近くで歌っている時のボリュームに慣れているから物足りないだけで、ホールで初めて聴くお客様は問題ないかな、と思い本番に臨みました。

結果はとしては「物足りない」と思われる方も多かったので、何か考えなければいけない、ということでまた勉強しようと思い、レッスンに通ったりするうちに、音量を作る上で重要なものに出会いました。


それは「喉頭蓋」と言われるものです。
喉頭内の声帯の真上にあるもので、嚥下の際に気管に食べ物や飲み物が入らないようにするための軟骨です。
そいつが倒れると「歌手のフォルマント」を増幅出来るそうです。


「歌手のフォルマント」
そう、去年の秋の記事の時点ではアンサンブルの発声には必要ないと考えていたものですが、勉強するうちに考えを改めるようになりました。

僕がアンサンブルでブレンドしないと思っている状態というのは、倍音が全体的に強調されるような状態で、ブザー的な音色に感じられるような声で、この時声帯はとても分厚く振動しています。

声帯が薄いまま喉頭蓋を倒すことが出来ると、倍音は必要最低限しか増幅されず
「第1フォルマント・第2フォルマント(母音の判別に必要と言われている)」
「歌手のフォルマント」

あたりが強く増幅されます。


必要なところだけをしっかり強調して、他の余分なところはカットする。

というようなことがアンサンブルの発声に必要なことかな。と思うように、最近の勉強を経て変わって来ています。


また一皮剥けた演奏を出来るようにみんなで頑張ろうと思います!

次の八重桜八咫烏のコンサートは7/21(土)の14:00から、浦安音楽ホールです。
改めて文章で告知記事は書きますが、とりあえずチラシ画像だけ貼り付けます。

柳嶋耕太さんに合同のステージの指揮を振っていただきます。
とても楽しみです。
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