『ジャージー・ボーイズ』、プレビューも入れて全43公演、無事全て終えることができました。
25歳、最後のブログ。(この時点では8/2の22:10なので)
たっぷり書かせて頂きます笑
まさにちょうど一年前です。
『ジャージー・ボーイズ』のオーディションがあったのは。
本当は僕は受けられないはずでした。
スケジュールが初めての主演公演『ニューヨーク青春物語』の本番とドン被りで。
でも、覚えますかあの時巨大台風が九州に来たことを。
あの台風のお陰で諸々色んなことがうまく重なり、結果奇跡的に僕は8月頭に受けられることになりました。
まるまる一週間。
ほとんど誰にも会わず僕はカラオケにフリータイムでこもりきりました。
誕生日当日も、丸一日全ての時間をオーディションの練習に注ぎ込みました。
理由はただ一つ。
「中川晃教さんと共演したい。」
ただこの一点だけでしたそれが僕を突き動かしました。
確か中川晃教さんが主役ということだけは知らされてたんです。
大学生の時、ミュージカルサークルの友達の家に泊まりに行って夜中にみんなで騒いでいた時、急にある歌声が耳に入ってきて、僕は黙り込みそこで流しっぱになっていたテレビの画面に釘付けになりました。
劇団新感線『SHIROH』の「ダンス」のシーン。
♪ 忘れたいとか 聞くと切ない〜
僕は映像で舞台を観て感動したことはほとんどありません。また、洋楽が好きだったので日本人の歌で感動することもほとんどありませんでした。
だからこのあっきーさんの歌声を、僕は信じられませんでした。
その日から中川晃教さんの声は僕にとって唯一無二の、まさに神の声となりました。
何年も何年もあっきーさんの歌を真似しました。
友達に自慢しました。
「おれは中川晃教さんを尊敬している!他の誰でもなく!あの人はやばい!!だからちゃんと中川晃教を尊敬しているおれもやばい!」
笑
なんかチョーシのってますね笑
日本で1番尊敬してるミュージシャンは、中川晃教さん。
これがブレたことは一度もありませんでした。
「あっきーさんと共演したい。」
「一緒に歌を歌いたい。」
「歌を教えてもらいたい。」
これ3つが僕の夢になりました。
社長から合格の連絡をもらったのは六本木の道を歩いている時でした。
言葉にならない叫び声をあげました。
「・・・・ぃぃいやっっっっっっ!!!!!!!!!がぁあああ!!!!!・・・!!!ざああっっっあああっっああーーーー!!!!!!」
周りからのドン引かれの視線は気になりませんでした。
僕を選んでくださった藤田俊太郎さんには本当に感謝です。
そして稽古。
まさかのあっきーさんと同じパート。
上昇していく幸せ。
そしてついに稽古場にあっきーさん合流。
0距離で隣で歌っているあっきーさん。
幸せ絶頂。
気付いたら僕はあっきーさんの毛穴を探してました。
肌綺麗過ぎて見つかりませんでした。
ただのファン。
歌稽古から隣の席で唯一「実は僕あっきーさん憧れ中の憧れの人で・・・」と打ち明けてたもっくん(太田基裕さん)は、そんな僕を観てニヤニヤ笑ってました笑
音楽監督補の福井小百合さんにこんなダメだしを受けました
「とも、嬉しそうに歌いすぎ」
しかし、単純な幸せはここでストップしました。
てこんな赤裸々に書いてていいのか社長に文章見せた方がいいかな・・・
まあいいや書き進めましょう。
あの3つの夢が全て叶っていってる状況でした。
でもその夢は想像よりも遥かに厳しいものでした。
この辺りは稽古中のあのブログとリンクしている部分もあるでしょう。
↓
あっきーさんは一切妥協せず、ご自身と同じクオリティを僕に求めてくださいました。
その後ろでまささん(藤岡さん)が「あっきー!そいつはおめーじゃねーんだから!その要求はちょっと・・・!( ;`´)」とあっきーさんに耳打ちされてました笑
まささんの優しさに感謝です。
あっきーさんからの要求やアドバイス、嬉しかったですし、とても光栄でした。
が、明らかに足りな過ぎる自分がそこにはいて。
その要求に全く応えられない自分がまざまざと見えて。
それは・・・なかなか精神的にきました。
おれは今まであっきーさんの何を聴いてきたんだ。
今までの人生なにしてきたんだ。
と。
いや単純に自意識過剰なんです。
あっきーさんはとても優しかったですよ。
ただ僕はあまりにもあっきーさんを尊敬し過ぎてました(^ ^;)笑
それでよく感情がおもっいっきりダークサイドに堕ちてしまい・・・
でも、
音楽監督補兼歌唱指導の福井小百合さんが足りないことをしっかり教えてくださり、
ハウス隣のもっくんが(稽古場からハウスあったのです)いつも優しい言葉をかけてくださり、
ヤスさんが途方に暮れている僕に、大きな優しさと芸大で培われた絶大な音楽への知識をもって、細かく詳しく的確にアドバイスを下さり、
音楽への造詣の深さが一目瞭然です!
すぐこのブログ読むのやめてヤスさんのアカウントへ飛ぶべきです!!
ヤスさんがいなかったら僕は確実に潰れてました。
そして何よりあっきーさんが稽古後とかに、マンツーマンで優しく僕にフランキーの声を出す特別な練習方法を教えてくださったり。
それは本当に宝のような時間でした。
そして、
まあなんやかんやあって
足りないことはありつつも皆さんのお陰で出なかったフランキーの音が少しずつ出るようになり
そして本番!
僕はある覚悟をしてました。
「お客さんから僕へブーイングが来てもそれは全て真摯に受け止めよう。」
今回僕と小此木まりさん
というかニックもボブもトミーも裏で皆が第2・3の声を出しています。
これはブロードウェイのがそもそもこういうシステムなのです。
なぜならフォーシーズンズはCDでそのスタイルを取ってたから。
わかりやすいとこで言うとなんでしょう。
クイーンのボヘミアンラプソディーも、あれ4人が何度も歌って重ねて重厚さ生み出してるじゃないですか。
というか今どのCDも大抵ダブらせてるんでしたっけ。
そこらへんは僕よりヤスさんとかあらたに聞けば一発ですよ皆さん。
でも「ハモる」ならまだしも、メインで歌うあっきーさんと共にメインメロを歌うということは、光栄・幸せであると同時に僕にとっては禁忌も同然でした。
もちろんあっきーさんと共に歌うために稽古期間中に出来うる限りのベストは全て尽くしたつもりです。
それでも
「神の声と同じ旋律を歌う!?皆さんはあっきーさんの声を聴きたいはず!そこに僕の声が混ざったら?怒るのでは?いやもし僕が観客だったら間違いなく神と共に一緒に歌ってる大音智海というやつを終演後闇討ちしてからまた次の日改めてもう一度見に行く!」
しかし予想は全く違いました。
ツイッターや、劇場の外で皆さんがたくさん優しい言葉をかけてくださいました。
本当に本当に嬉しかったです。
信じられませんでした。笑
その皆さんの言葉から力をもらい、僕は最後まで千秋楽まで歌いきることができました。
皆さんが「いいよ!」と言って下さる自分を信じることができました。
あっきーさんと共に歌うプレッシャーを乗り越えることができました。
皆さんのお陰です。
ありがとうございました。
この感謝はどうしても皆さんに直接言いたかった。
だからあの半パニック状態の千秋楽カーテンコール挨拶でした。笑
そう、あそこでまりさんも話されてましたが、あっきーさん、あのとんでもない量のセリフや歌をこなしつつも、常に僕らの歌を聴いてくださっていたんです。
14人の音程・リズム・喉の調子、全て。
そして終演後にはアドバイスをくれる。
僕には幕間、時にはソデにはけるためにハウスを横切るその一瞬の間にも「ともみ、今日の喉は△△な感じだから、○○っていう風に歌うときっともっと楽になるよ!」とアドバイスをくださり。
それだけではありません。
8つの楽器全ての音も全曲において聴き分けてました。
強さや音量のバランスまで。
まりさんが「だからあっきーホントすごい!!」と言ったら
「いや、当たり前じゃん?(・・)」
と言われてましたね・・・。
「聖徳太子!」と表現されてる方もいましたが
【聖徳太子は10人にも上る請願者の言葉を漏らさず理解し】
いやいや!!!!!
あっきーさんは14人+8つの楽器ですよ!?
聖徳太子超えてるよ!!
歴史の教科書の聖徳太子の逸話コラムの隣にあっきーさんの逸話も載せようよ!
何度も優しい言葉をかけてくださいました。
「君ならできるよ。」
「いつも僕の歌声をサポートしてくれてありがとう。助かってる。」
あっきーさん、
あなたと稽古場で挨拶すること、話すこと、歌を教えてもらうこと、舞台上で一緒に声を混ぜ合わせ歌うこと、警官としてあなたを捕まえること、Who Loves Youで手を握り合うこと、全てが夢のような宝物のような瞬間でした。
本当に本当にありがとうございました。
幸せでした。
この写真は宝物です。
そうそうあの時一緒に『SHIROH』を観た友達も今回見にきてくれました。
終演後、
「智海もしかしてあの主役の人!!あの時の神の声の人!?」「そうだよ!!」「え!やべえ!!!智海やったな!!!!」
と楽屋で盛り上がりました笑
より自分を磨き、またあっきーさんと共演したいと思いました。
それまでに成長していよう。
まだまだ色んな人のことを書きたいですが、それは次のブログにしようかな。
さて、どうしても25歳最後の(ってちょうどここで日付またいだ誕生日おめでとう智海!)ブログに書きたいことがあります。
誤解を恐れず言います。
僕は今までどの舞台でもとにかく楽しさと喜びに溢れていました。それを爆発させてました。
しかしこの『ジャージー・ボーイズ』では、喜びが100だとすると、辛さやフラストレーションは、900でした。
毎日毎回の満員御礼と万雷の拍手。
歌声や、ハンクやボブクルーの愛人への「よかった」と言う声。
今までの僕なら有頂天でしょう。
でも喜び舞い上がるような気持ちには一切なれませんでした。
それよりも、日々の歌の細かなミスが気になる。あの歌のあの歌詞の部分、あっきーさんとニュアンスズレたんじゃないだろうか。
全体のハーモニーのふとしたズレが気になる。
きっとあのフレーズ、恐らく僕の音が低かったのではないか。
今日のあそこの僕の芝居、もっとよくできたのではないか。
フラストレーションの嵐でした。やってて辛いと感じることは多々ありました。
でも公演の最後の方で、「この意識こそ大事なのではないか」と思いました。
拍手を受けようが全然満足しないからこそ、次の日もっとよくなるように更に練習する、試行錯誤する。
その行動があるからこそ次の日もお客さんは喜んでくださる。
千秋楽のガウチさん(中河内雅貴さん)の挨拶みなさん覚えてます?
「マジで辛かったんですよ!まあお客さんは楽しいかもしれませんが!!でもいいんです!お客さんはお金払ってますから!!!」(会場大爆笑)
(もしニュアンス間違ってたらすみません!)
ジョークも交えてのガウチさんの挨拶。
でもガウチさんが言うなら間違いないと思いました。
僕らは自分たちが楽しむためではなく、お客さんに楽しんでもらうために例え自分が苦しんででも闘い続ける。
もちろんこういう系のことは頭では知っていました。何度も言葉は聞きました。
でも『ジャージー・ボーイズ』でその「辛さ」を身をもって思い知ったからこそ、今ちゃんと自分のものとして実感できました。
そしてその「辛さ」はマイナスなことではなく、プロとして舞台に立つ我々の「誇り」なんだと思いました。
最後の方は辛いと感じている自分を誇らしく感じられた。
Mですね。
また、福井さんのカーテンコールの挨拶
「言おうと思ってたことは色々あったけど、このカーテンコールのお客様の笑顔を見たらこれが全てだと思った。」
(これもうろ覚えなのでニュアンスが少しかすってる程度かと思いますが)
例え喜びが1で辛さが9でも、その1は1000くらいの価値あるものではないかなと。
たてかべ和也さんは僕に「芝居は楽しくやれよ。でないと見てる方が辛くなっちゃうからな。」と言う言葉を遺してくださいました。
だからきっと僕はもう大丈夫。
別にわざわざ意識しなくてもどんな舞台でも心の根本の部分で必ず楽しくやってる。
だからこれからは「辛さ」を拒否せず、しっかり受け止めてやっていきたいと思いました。
そしてこの『ジャージー・ボーイズ』のようなたくさんの人に喜んでもらえる作品をたくさん作っていきたい。
途中で遅い夜ご飯はさんだからもう1:25ですよ。
文章もすごい深夜のテンション臭い文章になりましたね。
それになんか「辛さ9割だぜ」とかかっこつけて書きましたが、カーテンコールの「ジャージーメドレー」の時とか正直毎回何も考えずただただ単純に楽しんでましたから。笑
悦10000。
一緒に踊ってくださった皆様、歌ってくださってた皆様、Tシャツ着てた皆様、あのジャージーバッチつけてくださってた皆様、ハイタッチ求めてくださった皆様、最高でしたよ( `▽´)
こんなところで25歳最後のブログは終わりです。
長々と書いてしまいました。
読んでくださった皆さんありがとうございます。
『ジャージー・ボーイズ』は、本当に皆さんのお陰で成功した舞台でした。
フォーシーズンズ同様、僕らはみなさんという「民衆」に支えられました。
いくら感謝してもしきれません。
ありがとうございました。
これからももっともっとたくさんの作品に出会うと思います。
だから、よかったら見に来てください(^ ^)
またみなさんに会いたいですし、話したいですし、何より見てもらいたい。
たくさん楽しんで頂けるよう頑張りますので。
どうぞ応援よろしくお願いしますm(_ _)m
次は12月の『プリシラ』かな?
楽しみだー!
是非お越しください!
それまでに色々やれるぞ。
今回色々なことをもっと勉強せねばと痛感しましたし。
では。また。
次のブログも楽しみにしててください(^ ^)