庸平くん。わたし私に気づくことができました。 | 備忘録(byエル)

庸平くん。わたし私に気づくことができました。

「僕の整体を受けて感想聞かせてください。」



庸平くんからメールを貰って、出向いたのは先週土曜日の事。

サクラはらはら散る道を歩いて、ゆったりした気持ちで待ち合わせの、稽古場に出かける。





庸平くん。田中庸平1981年生まれ。私の娘と同い年の青年だ。


東京在住。田中誠司舞踏スタジオに時々顔を出す彼の事を語ると、どれほど沢山の言葉が必要だろう。ミュージシャン。「食と呼吸」コーディネーター。ヴィパッサナー瞑想(呼吸を通して身体を観察し続ける?)の達人?(今年30日間瞑想を達成)。舞台音響。舞踏。様々なアーティィストのコラボなどをコーディネートしている。etc・・・。


ああ、やっぱり言葉では足りないようなので、経歴を考えるのはやめよう。


因みに、彼の整体の案内は↓ 田中庸平 整体+クラニオセイクラルワーク

https://twishort.com/mHskc





彼の身体からは、不思議な平穏さが溢れる。


偶然観光客で混乱する近鉄奈良駅の構内で彼と遭遇したことがある。雑多な言語が飛び交うカオス的な駅の中で、遠くからそこだけ異質に静けさを感じる空間を見つけ、ふと目をやると、そこに大きなリュックを背負った彼が立っていたのだ。まるで修行僧のように、しかも飄々と。





小さいころからピアノをやっていたという彼は、大学受験を途中で放棄。音楽の道に進む。

バンドを組んで活動する日々の、音楽の一回性というか、即興性に魅かれはじめる。



―全ての芸術は音楽の状態に憧れる―



なんていう古典的命題の意味を、20代にして直感した彼は、一回性の音楽を生み出すものが、『身体』に他ならないことに気付いていく。



そこから、彼の『身体』に対する飽くなき追求が始まる。

身体とは何か?呼吸とは何か?食べるとはどういう事か?

そして、インプットしたものを、色んな形でアウトプットしていく。

もちろん。基本は音楽なのだが・・・。



アウトプットの一つとして、彼は不思議な「整体術」を編み出したのだという。



それを、経験して感想を聞かせてほしい。まえがきが長くなったが、そうして私は彼の整体を受けることになった。

「舞踏の様な整体」とも彼は言葉にした。




不思議な時間だった。


別に身体のどこかの筋肉を伸ばすとか、揺さぶられるとか・・・そんなことは何もない。

ただ、身体のツボのような場所に、彼の指が静かに触れる。

時間は止まってしまったかのように、指の感触だけが身体に温かい。



ゆっくり腕が回されていくのだが、それは舞踏を踊る時の、身体の「ねじり」とよく似ている。日常にはない、集中した身体が自然に作り出す動きだ。それを彼は再現している。


興味深い時間だった。

深く集中して身体の全てを知覚して踊る。その時にだけ体験できる「身体の揺れ」が彼の手によって再現されるのだから。

「舞踏の様な整体」というのはこういう事なんだ。

ある集中した時間にだけ起こる微妙にねじられた身体の再現?

そんな感触を味わった。




その後は、身体を横たえて、彼が顔や頭の様々な神経を刺激してくれるという、施術。

これはとても気持ちいい。


「眠る人もいます」


という事だったのだが、私、せわしなく意識が飛び交う大阪のオバハンは、このリラックスタイムにも、あらゆる思考を巡らせてしまう。日常のあれこれとか(例えば今夜のおかずとか・・)、書き上げて、散々だった小説のあれこれとか・・・。



そうか、こんなに静かな時間にも、あれこれ慌ただしい!これこそ、私なんだと、再認識する。リラックスするのが不得手な「おっちょこちょい」が私なんだ。私の描く小説のバラバラ感も、こんなところから来ているんだろう。




庸平くん。わたしは私に気付くことが出来ました!






なんて、施術の後に感想を述べた。

せっかくのリラックスタイム。貴重な時間を無駄にした私のこんな言葉を、彼は優しい微笑みで、静かに受け止めてくれた。

それもまた、良い時間でしたね。というように・・・。




こうして、サクラはらはら散る朝に、彼と過ごした時間は、不思議なゾーンに私を入り込ませてくれたのでした。