私の後継者経験③「動くだけでは上手くいかない、動かないと何も見えない」 | 坪井秀樹の起業実験日記 いくつになっても「理由なき反抗期」

坪井秀樹の起業実験日記 いくつになっても「理由なき反抗期」

反抗しているんじゃない。反抗期が続いているだけなのさ。

私の後継者時代の話をネタに、ビジネスや人生の選択において、


何を取りに行って、何を手放すべきか?ということ、


あるいは、どちらも取りに行くことが実現できた時には、瞬間的に破壊的な成果を上げる


可能性があること、


そして、原理原則に外れた方法はやはり限界あることを書いているシリーズです。


私の後継者経験①はこちら

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http://ameblo.jp/tosboistudio/entry-11744842848.html


私の後継者経験②はこちら

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http://ameblo.jp/tosboistudio/entry-11744941243.html




その続きからです。


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新規開拓のターゲットは、売り先として伸びていた、ロードサイドのホームセンターや


ディスカウントショップに絞りました。


当時は、ロードサイドや駅前にいくつもでき始めていました。



営業車に、オリジナルの輸入傘の、紳士・婦人・子供の各サンプルを積んで


一日3件は、飛び込んでみることを自分に課しました。




通常の仕事に加えて、愛知・三重・岐阜を車で走って、目についた大型店は


ことごとく飛び込んでみることにしました。



私も新規開拓は初めての経験で、気持ち的にはとても憂鬱だったのと


一度社内に入ってしまうと、いつものクセでまずパソコンの前に座ってしまって、


そこから数時間は動けなくなる自分を知っていましたから、


会社に出る前に動くことにしました。




朝礼も出ずに、どこに行っているか分からないので、社員さん達からは不信がられる


と思いましたが、どうせ、口も聞いてくれないくらい嫌われたのだから、


聞かれた時に言えばいい。むしろ好都合だと割り切りました。



父も社員さん達も、私が、また何か変なことやり始めていると感じていたのでしょうが、


それはいつものことでしたし(笑)、社員との関係が悪化していたので、誰も私に


話しかけられずに、何も言いませんでした。




すでに取引しているディスカウント店やホームセンターはありましたが、


通常業務に加えて一日3件の新規開拓を加えるとなると、


通常業務の納品の打ち合わせに行った先の近場でも、ドンドン飛び込むしか


ありませんでした。



近隣店舗のバッティング問題だとか、


あるいは、坪井商店が卸している問屋さんが納品している先に営業することによる


問題も頭をかすめましたが、


新期の取引が決まる前なのだから、気にしてもしょうがないことです。



もし新期取引を始めることができて、それで問題がもし起こったら、その時考えよう。


そう言い聞かせました。



こういうことを、父や社員に相談すると、また心配の方が先に立つ。


彼らの立場になってみれば、長い歴史の中の取引関係や業界常識は当然大切なはずで、


それを壊すようなことは彼らの道徳上、意思決定するのは難しいに決まっています。



とにかく、未来の分からないことを考えたり、業界常識を気にしたり、そういうことを


つべこべ考えないようにして、まず動くことを優先しました。




私は、自分の目的を信じました。


色んな立場によって大切な何かはあって、あっちを取ればこっちが取れずの状況の中、


私が一番優先したのは、過去からの取引関係でもなく、業界常識でもなく、


自社の存続一本でした。



もし問題が起こったとしても、


「息子の専務がアホで一所懸命になり過ぎて、いやまぁすいません。」


と私が泥を被れて、関係修復はしやすい。


これもまだ業界常識をあまり分からないと言える、業界キャリアの短い今の時期


しかないと思いました。



そもそも、そんなに大切にしてきた既存取引先や業界そのものがドンドン悪化して


いるのですから、これはもう自分の役割にもってこいだと思ったのです。



私は、社内にある1億円以上にものぼる動かない在庫をとにかく外に出していく、


全てはそこだと思っていました。


すなわち、売上は上がるし、滞留在庫はなくなって、会社がスリムになって、


父の安心も、社員の嬉しさも、それが同時に叶えられる一番の方法だと思っていました。



できれば、年老いていく彼らが無理までして変わることなく、彼らが嬉しいと感じられるのは


自分が動きまくることでしたから、車を運転しながらいろいろと考えては、


整合性を確認していました。



やるなら今だ、全てが好都合だ、と言い聞かせて、一気に突き進んでみようと


思っていました。




ここまで、考えて、動けば、必ず何とかなる、そう信じていました。



このブログを読んで頂いているほとんどの方も、ここからうまく好転していくと予測しませんか?


結構、美しい話じゃないか、ここから感動秘話に向かうと思いませんか?(笑)



しかし、果たして、私の初めての新規開拓は惨憺たる第一歩を踏み出すのです(笑)。


ドラマティックに書いてはいますが、そうそうドラマのようにはいかないんですね(笑)。




(当時、自分でデザインした子供傘用の商品下げ札)


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新期店舗に飛び込んで、まず店内の傘コーナーを探して、どれくらいのスペースで


展開しているのか確認する。



誰に話していいかも分からず、何から話していいかも分からないので、取り敢えず


近くにいる店員らしき人に、声をかけて名刺を渡して話しかけるという、


今考えれば、特攻とも言える無茶苦茶なやり方でした(笑)。




新規開拓は、なかなか上手く行きませんでした。


いろいろと理由はありました。


「すでに他社さんでやっているからいらない。」


「本部に行ってくれ。本部がどこかって?それくらいも知らずに来たのか?」


「多くの商品がある中で、主力になりえない、たかが傘売り場一つのことで、


一つの会社と新たな口座を開いたり、業務に時間をかけたりするのは


非効率であるからやりたくない。」


「今、忙しいからまた今度にしてくれ。」


「傘はそんなに売れないしねぇ、そのスペースがあるなら、他のよく売れる商品を


置いた方がウチも効率がいいから・・・・・。」


「今の既存業者さんとの関係強化をしていく方針なので新規の取引は今はやってない。」


「梅雨の売れる時期だけあればいいから、その時にでも・・・・。」


「ライバル店に納品してるんでしょ?ならウチはやらないから・・・・。」


大体こんな感じのでした。



せいぜい、90~120センチ幅で3弾の傘の什器に、紳士・婦人・子供の傘を


一杯に並べてみても、売価で10万ほどにしかなりません。


まして、雨が降らなければ、傘など売れませんから、いる時には一気にいる、


いらなくなったらただ邪魔なだけ・・・・・・・・。


相手にとってみれば、別にわざわざ時間を取って話を聞かなくても良い程度の


商材なわけです。



問屋の納入専門業者はいくつもあって、そういうところが、たくさんの日用雑貨の一つとして


傘もすでに納入していました。






案の定、ことごとく断られ続けました。


最低でも3ヵ月も続けようと決心していましたが、一か月も経つ頃には、このやり方で


いけそうなとこは、ほとんどやりまくっていて、ネタはなくなっていました。



どんなに素晴らしい志をもっても、やたらめったら動くだけでは、何ともならないと


知り始めました。



でも、実際に動くていくうちに、


「あの店は、こういう品揃えで、こういう価格帯で置いたら売れる。」とか、


「あの店は、お客さんがよく入っているけど、この店はどうしてお客がいないんだろう。」とか、


「この店の客層はこういう人達が中心だ。」とか、


一見似ている店舗でも、それぞれの違いや特性が感覚的に分かるようになってきました。



私がやり始めたのは、それぞれの店舗に、もし売り場やスベースができるとしたら、


こんなのがいいんじゃないか?と思ったことを、感覚的な企画書みたいなもの、


まぁイラストを適当に描いてるだけなんですが(笑)、


(やってることは結局変わってないな・・・・・(苦笑))、


作り始めました。



あの店はこんなお客が多いから、この品揃えでこの価格帯。


什器だったらこんな可動式の什器にして、定番の売り場に置くんじゃなくて


雨が降った時にはすぐ店頭に出せるようにする。


傘ごときに、そんなに手間をかけるのがイヤなら、POPやディスプレイも全部


こっちで準備して、売り場そのものをパッケージにしてしまう。


店舗が何の手間もかけずに、置いてあるだけで勝手に売れていくように


すれば、誰だって嬉しいんじゃないか?


そしたら私がデザインしたイラストポスターを貼りだせて楽しい。


そんな感じ。




これも練習だと思って、各ストアーごとに、勝手に品揃え計画や、価格帯、売り場の


コンセプトイメージを固めていきました。


これは、どちらかというと仕事だからやっていたと言うより、やっていくうちに楽しくなって


やりたいからやっていたという感じでした(笑)。



アパレルの営業時代はウィンドウディスプレイもたくさんやっていて好きだったし、


何よりイラストや絵を描くのが大好きだったので、各店のイメージマップは無駄に


どんどんできていきました。



今度は、あの店に、この資料を持って行ってみよう、とか、



傘が軒先商品で主力にならず雨が降らないと売れないというのなら、


裏を返せば、大型店舗じやなくても、ガソリンスタンドでも喫茶店でも、


軒先があって、雨が降った時だけ売れるなら、パッケージにうまくできれば、


売り先は増えるじゃないか?と構想を立てていました。



苦痛はいつしか趣味と相まって、楽しい要素も含まれてきていました。



ただ、現実に触れる程、知れば知るほどに、色々とあって、


そうそうまくは入り込めませんでした。




やっぱりもうダメなのかなぁ、と半ば諦めかけてはいたある日、


夜遅くに残って資料を作っているいた時、社内に一本の電話が入るのです。



「こんな時間に、どうせ間違い電話だろ・・・・・・。」と思いつつ、


出たその電話は・・・・・・・。




つづく・・・・・・・・・。




           動くだけでは何ともならない。動かなければ何も進まない。


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            買取王国・坪井副社長の販促実験日記「それって誰が嬉しいの?」