自分の日常こそが他人の非日常 | 坪井秀樹の起業実験日記 いくつになっても「理由なき反抗期」

坪井秀樹の起業実験日記 いくつになっても「理由なき反抗期」

反抗しているんじゃない。反抗期が続いているだけなのさ。




「ブログやらなきゃいけないと思ってんですけど、何を書いたらいいんですか?」


とよく聞かれます。



「オレだって知らねーよ。」(笑)と答えます。



まぁ、でも大抵は


「そんなもん、個人のブログなんだから、好き勝手に書きゃいいんじゃねーの?」


「まずは、あなたの日常のことでいいんじゃねーの?」


となりますね。



相手にとってみれば、気のない返事にしか思えないでしょうけど(苦笑)。




「自分の日常は、他人の非日常」です。


経験上、恐らく間違いないですね。




この一年近くの間、仕事そのものや、仕事の打ち合わせや、勉強会や、


この20年の不義理の罪滅ぼし(笑)や、もちろんプライベートも含めて、


日本のあちこち・・・・・・、あと海外ではハワイですかね・・・・、行かせて頂きました。




(株)ワールドのアパレル営業時代は、5年ほどの間に、日本全国をファッションショー等で


当たり前のように動いていましたし、パリ出張も経験させて頂いていて、それがヘキヘキと


する程の私の「日常」でした。




その後の20年近くは、名古屋を中心にする仕事と生活だったので、まぁ色んなとこには


行ってたのでしょうが、基本は仕事と勉強会漬けの日々でしたからね。


それが私の「日常」でした。



そのツケを全部ひっくり返すほどの勢いだったのではないか?


とすら思える程、一年の間に動きまくったと言う感じでしょうか。



東京・大阪はもちろん、神戸・新潟・沖縄・広島・鳥取・石川・兵庫・京都

神奈川・鎌倉・静岡・長野・山形・・・・・・、

北の方には全然は行けなかったけど、

その全ての場面は、私にとっては新鮮と驚きと発見の連続でしたね。



私にとっては、「非日常」の連続だった訳です。



ところが、その地で生活している人と話をじっくり話をしたり、各地域の自然や商業施設を


時間をかけて観察していく中で、


私にとっては新鮮極まりない同じ現象・・・・・・、例えば、「立っている場所から360度、どこを


見ても山がある。」といったようなことであっても、地元の人にとってみれば、平凡で普通で


他愛のない、もっと言うとつまらない「日常」という認識である、というようなことがよく


ありました。




名古屋駅西の商店街育ちの私にとっては、四季折々に色とりどりに表情を変えていく


世界と言うのは、なんて素敵で美しいのだろうと思ってしまうのです。


こういうことを興奮して話しても、お相手は「ふ~ん。」という感じがほとんどだったりして(笑)、


私にとっては「非日常」、その人にとっては「日常」。




逆に私にとっては、「わざわざ名古屋に計画までして旅行に行く。」なんて話を聞くと、


信じられない、なんてことになるんですけどね(笑)。


でも、同じ理屈でいうなら、


相手にとっての「非日常」は、私にとっての「日常」なわけですものね。



そういうことです。



思うに、「日常」とは「一定の連続性」とか「慣れ」で、「非日常」とは「初めて」とか「久しぶり」


とか、そういう本人の時間軸の中で、虚ろに曖昧に変化していくものなのでしょうね。



80年代にあれ程「日常」だった表参道は、今行くと「非日常」ですし、


90年代に久しぶりに帰る名古屋は「非日常」でしたが、今は「日常」です。



そういうことです。



思えば、大学時代に友達の家に遊びに行った時に、もっとも興味を持ったのは「本棚」に


並んでいる本だったりしました。


その人の一人でいる時の時間の過ごし方という「日常」が何より雄弁に物語っていましたから。



そこから「自分との違い」を発見したり、「違いの中から自分の『個』を確認」したり、


身近にも、「日常」は「非日常」の事例はたくさんありました。





私は、「非日常」の経験の中に、「楽しさ」や「嬉しさ」や「感動」や「驚き」・・・・、


一言で言うなら「自分の人生の発見」をしていく経験をしていて、だから


「非日常」が好きだし、欲しいわけです。



「非日常」というのは、あえて「非日常」を意図して演出するという行為が代表


なのでしょうが、くどくどと色々と書いてきた前出の例を鑑みれば、


①「非日常」を意図した「非日常」


②「日常」は「非日常」


という二通りが存在していて、「非日常」こそは、自分ではなく相手が勝手に認識している


というのが正しい。


そう思います。



①の、意図した「非日常」は傾向としてはインパクトとしては強いですが、


飽きられる時間が早いので、企画力が問われます。

②の、「日常」を相手が「非日常」と認識したものは、あまり面白くはないでしょうが、


傾向として長続きして、相手にとっての定番になる可能性は十分あります。



恐らく私は、このどちらも適当に情報発信している・・・・・、要するに

「好きなように勝手に書いている」

という一言にまとめてしまっているのでしょう。



しかしながら、ブログで文章を書くとなると、心理的に「とてもいいことを書かなくちゃいけない。」


とか、「自分の他愛ない日常なんて誰にも価値がない。」と思い込んでいるものだから、


すごい考えないとダメなんどゃないか?と思っている人はかなり多いような気がします。



そりゃ、誰かの心に響くような文章が、常に書ければいいのでしょうけど、


プロの執筆家でもない我々は、そんなことできないのですから、

まずは、つまらないと思える自分の日常でも書けばいい、と結論づけています。


でも、それが誰かにとっての価値になっているというのは、恐らくそれは当たっています。



「起こった事実」と、「そこから得た感情」の二つを書くだけで、それは紛れもない独自性


です。



例えば、田舎の方の方なんかは、

「こんな何にもないところで、そんな面白いことなんて何もないよ。」なんて言いますが、

四方を山に囲まれたような場所とか、海とか、同じ場所から毎日写メ撮って、

「今日の夕日」「今日の空」なんて画像を365日載せられて、


一言「今日は嬉しい。」「今日は何だか悲しい。」なんて毎日あげられたら、


私なんて結構身悶えますね(笑)。



その人の「日常」は、「私の非日常」であり、興奮と発見と、そして、いつか行きたい


会いたいという憧れになると思うのです。



そういうことをひっくるめて「好き勝手に書きゃいいんじゃねーの?」と本気で思っているので、


決して気のない返事をした訳ではありませんから、気分を悪くした方がいたら悪しからず(苦笑)。




最近になって、私の「TOSBOI STUDIO事務所」にいらっしゃるアポが以前より


多くなっています。


私に会いたいというより、「そこに行きたい。」というお声が多いです(苦笑)。



私は最初、自分で意図して「非日常」ょ好き勝手創っていましたが、今となってはもはや


「日常」です。



でも恐らく、私にとっての「日常」やアホ画像を、ブログで垂れ流しているだけで、


相手が勝手に興味を持ったのだろうと思っているのです。



あまり気張らずに、いつもの自分の事書き始めてみればいいんじゃないでしょうか?



ブログは一刻も早く始めた方がいいですよ。


情報を発信し始めてから、実際に「人が動き出す」という反応に出るまでのタイムラグは


ありますから。


そこについては、また後述することにします。




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