なむなむ

なむなむ

2013年11月からバングラデシュ・ダッカに住んでいます。
旅が好きなので、国内・国外問わず、ときどき旅に出ます。
バングラのことだけではなく、日々感じたこと、思うことなども綴っていきたいと思います。

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最近、夜中ひとり起きてて(今は朝の4時過ぎです)、ネットに落ちてるいろんなインタビューや、いろんな動画などを見まくってます。

それは、別に興味があったもの、とか、もともと読もうとか見ようとか思ってたものではなくて、たまたま自然な流れで辿りついた、モノたちです✴︎

YouTubeとかも見てると右側にその動画と関連したものが表示されるので、もうエンドレス感はあるんですが、でも、どこかで気持ちが満足するものに出会えたりして。

今日は、そういうモノにたまたま出会えたので嬉しいです*

落ち込んでいたときほど、心にグッとくる励まされるものに出会える気がします。

というか、そういうときは、私が必死で探してるからかな。

なんか、駐在の奥さんというものに、私は未だに慣れずにいて(なんか、未だにしっくりこないんです)、駐在の方たちとの付き合いも正直ちょっともう諦めてきたというか、どんどん更に1人フェードアウトし始めてて、でもそんなんでいいのかな?っていう自分への焦りというか自己嫌悪もあったり。

でも、
やっぱりそれでいいですね。笑

自分を偽る行為だと感じる今は、そういうものからは遠ざかっていいや、って。

それを逃げてる行為だとずっと自分を責めてたけど。

(もしかしたら、今まで生きてきてずっとそういうものから逃げてきたかもしれません。筋金入りですね。)

いつか、自分を偽らずに接せれる日がきたら、またそのときで。

まだ断定できるほど、開き直れてはないですが。

でも、自分が満足すること、というか、決めたことに自信を持たないとなんか人生もったいないですよね。

もう立派な?大人ですが、そういう心の大事なところは、出来ればまだ子供の気持ちのまま、自分の世界を大切にしていたいです。

焦らずにマイペースに密かに豊かに人生を楽しんでいけたら最高だな✴︎

実は、私にはちょっとした夢があって。

叶うか叶わないか、ではなくて。

気持ち的に夢があるっていいですね✴︎

来年はまた違うことを考えてるかもしれませんが*

でも、とにかく。自分の感性とかはいつも磨く気持ちは持っていたいなって思います。

腐らずにいたいです。

今は朝の5時半すぎ。
アザーン(礼拝時間を告げる呼びかけ)が鳴り響いてます。(1日、5回、町中に鳴り響きます)

先ほどblogを挙げたばかりですが、勢いに乗って(?)続けて、テロについて思うことを、書きたいと思います。

私は、テロ事件のときの日々の報道や政治家の発言に対していつもどうしても違和感がありました。(アメリカの9.11やパリの同時多発テロ、ロシアの旅客機墜落など)

テロが起きる背景やきっかけなどは見えない棚の上に挙げ、ただ「テロは悪」というような風潮に持ってかれてる感じというか、、

「正義と悪」みたいな単純な形で世界中が操られてる感じが、聞いていて「また言ってる」ってなんか憤りを感じるほどというか、違和感がどうしてもあり、なんかまずい方向にいってる気がしてました(というか、してます)。

力のある政治家(国)が、何かを「悪」や「テロ」と断定(定義)したら攻撃してもいい、そんな単純な話じゃないでしょう、って。。

なんでもかんでも、テロという言葉で片付けられてることにも、すんなりそれを受け入れてる世の中にも、正直、違和感があり、今や、テロ=恐怖、悪、報復は仕方ない、みんなでやっつけろ、みたいな方程式になってる気がします。

そうやって簡単なキーワードにしてしまって、イメージを作り上げると、人はそのイメージをなかなか払拭出来なくなります。

怖い言葉を使いますが、それこそほんとに「洗脳」ですね。

一方を悪に仕立て上げ、ひとつの側面だけが報道され、でも、その裏側では泣いてる人がいるということ、私たちはきっともっともっと知らないと、更に深刻な事態になるんだろうなって思います。

命の大事さを訴えながら、同時にまるで「それとこれとは話が別!」と切り替え、報復は当然のような盲目な雰囲気になる感じが、ほんとに恐ろしい。。

報復したら、また民間人だって巻き込まれるのに、、

それは、きっと私たち国民の責任でもあるんだろうなって思います。

私たちが、事実を知ろうとしない受け身の姿勢だから、「テロは悪」という報道をただ鵜呑みにし、スムーズに政治家の発言通りに事が進んでしまっているというか。。

抗う力(いろんな考え方)があってこそ、バランスが保たれるのに。

世界中から敵(悪)として扱われるって、まるで集団リンチです。。

しかも、世界規模の。。

出来るだけ冷静に公平に、ニュースに惑わされず、自分でいろんな記事を読み、考えるようにすることが、目には見えなくても、でも、きっと遠いどこかで誰かが安心することに繋がり、政治家の思い通りにさせない唯一の方法のような気がします。

ある記事でファッションディレクターのNicola Formichetti(ニコラ・フォルミケッティ)が、「ブログは新しい雑誌だから、どんどんどんどん、もっともっとキツイことだとか、キツイことっていうか本物のことを言ってほしい。」

そうインタビューで話されていて、私も私が思うことをせっかく自由に発言できる場(いつ規制が出てくるか分からないし)があるのだから、恥ずかしがらずに出来るだけ発信していこう!と改めて思いました✴︎



2014年11月9日に物乞いについて書いたことがありますが、また考え方が変わってきたので、そのことについて今日は書きたいと思います。

こんな時間に。。
(今は朝の4時です。笑)

バングラは今も変わらず、外出すると、必ず物乞いの人たちに出会い、ボクシーシ(恵んで)と言われるのですが、それに対してずっと私は自分なりに考えた結果、お金はあげない、でも無視はせずNOと言うようにする、と決めていたのですが(結構ちゃんと守ってましたw)、今は、あげないと決めたり、出来るだけあげると決めたり、そうやって考えを固執をするのは止めようって思うようになりました。

なぜかと言うと、今を生きてる感じがしないなって。

今、この瞬間どう感じたか、が大切だなって、って思うようになったからです。

そして、単純に心を動かされたのなら、その気持ちを形に(お金やモノなど)表すのは当たり前のことなのかな、って思うにようになりました✴︎

世界中で行われている寄付とかもそうですよね。
何か心を動かされたから、気持ちとして寄付をする。

まぁ、だからと言って私は全然対した金額は恵めませんが。。(´_`。)

でも、何かに固執すると、生きづらいこと分かってたはずなのに、何をそんなに私は自分が決めた考えに固執してたんだろう。。

うーん。。・゜・(ノД`)・゜・。

気付かないところで、自分で自分の首を締めてるタイプですね(。>0<。)

出来るだけ、隔てないのない今の自分を大切にしていきたいな✴︎

今、この場所で生きてる意味がないですよね。

感じるままに(≧▽≦)

10月ぐらいからバングラは乾季に突入するのですが、それを境に嘘みたいに雨が全く降らず、町中の草木が砂埃を被り、緑の葉っぱが灰色と化します。

↓住んでるマンションの前の木(画像修正一切なし)

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なんか、もう見るも無惨な感じになってます(´□`。)

どこもかしこもこんな感じで、キラキラと輝くような緑とは、この時期は疎遠となります。

空も青空が見えることは滅多になく、基本、1日中、どよーんと暗い灰色の空が続きます。

あと、空気が悪いせいで、町中がモヤがかかった感じに。

ちょっと出歩くと、空気の悪さから頭痛がするレベルです(´□`。)マジで。これは年がら年中です。。

乾季は毎日雨が降らない分、そういう意味では気が楽ではあるんですが、蚊が大量に出てきたり、町が灰色と化するので、やっぱり、全然気楽さはありません。

1年を通してみても、気楽な季節は正直なく、、、

それでも、この国に1億6千万ほどの人が住んでるのかぁ、、って。。

ほんとにすごいなぁって改めて深く思ってしまいます。

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↑バングラの方の交通手段、リキシャ。


ほんとにたくましい人たち。


毎日、この環境を物ともせず、楽しそうに暮らしてる、この国の人たちを目にすると、尊敬とため息が入り混じった、「はぁ~~~」が出ます。(微妙なニュアンスでごめんなさい。。)

住んでる環境がいかに人となりを作るか、この国に住んでると痛感しちゃいますね(´□`。)


日本から帰ってきて3週間ほど経ちました。

今回、2ヶ月という長期間(ほんとはもっと長くいる予定でしたが、早めに切り上げてバングラに帰ってきました)、日本に一時帰国しましたが、ただリラックスするためだけに帰ったわけではなく、「私」という軸を見つける帰国(というか旅)だったなって思います。

ここ数年、私は自分の軸を見失っていて、日々がとても苦しく辛かったので。

軸がないと、何が辛いかというと、日本にいてもバングラにいても、どこにいても「自分の居場所がない」って感じてしまうというか。

現状を受け入れれず、主体的に日々を楽しめないんです。

そして、自分の満たされ無さを、相手(周りの人や環境)のせいにして、余計に辛くなるという悪循環に陥ります。

今回、日本に帰っても初めのうちは、全然ハッピーではなく、私の居場所はどこ?日本なのに私の居場所がない!私の幸せって何?って一人もがいていました。

人の言葉、「旦那さんを置いて帰ってきて悪い嫁やなぁ」とかにも過敏に反応して1人のときに信じられないほど泣いたりとか(=◇=;)

そんな何気ない言葉(でも、ペンは剣よりも強しだったり、言葉はナイフだったりするので)にも過敏に反応するなんて。
酷く弱いなぁって思いますが、自分という軸がないと、誰かの言葉にもいちいち反応して一喜一憂してしまうんですね。

言葉を跳ね返せれなくて。。

実は、ここ3年ほどの間、私は自分を見失っていて、暗く深いトンネルをただただ潜り続け、どうしたらここから抜け出せるのか分からず一人孤独にもがいていたんですが、最近やっとなぜかあるとき、気持ちが晴れていって。なんか急に光が見え始め、吹っ切れていったんです。

簡単に言うと、きっと時間が解決した、んだと思います。

心理学者の河合隼雄先生が「灯りを消す方がよく見えることがある」著書で書かれていたり、村上春樹氏もこの言葉に同意され、「あまり直接的な、即効的な解決策を求めない方がいいのではないかと、僕も考えています。
少なくともしばらくの間は、誰かに相談したりもしない方がいいだろうと。
それよりはその「きつさ」を抱えていた方がいいのではないかと。
それを1人でしっかり抱えているうちに、何かしら自然に見えてくるものがあるのではないかという気がします。
それがおそらくは、河合先生のいう「灯りを消す方がよく見えることがある」ということなのではないでしょうか。
あまりに早く解決策を見つけてしまうと(あるいは見つけたと思ってしまうと)、人にとって大事な「心の年輪」みたいなものが、そこでうまく作られないままに終わってしまいます」と著書に書かれていますが、こういうことを言うのかなって。ちょっとだけ、わかったような気がします。(でも、暗闇の最中にいるときは、ただただ辛いだけで、いつ何かしら自然に見えてくるのか分からない)

今は、あの長い暗闇の日々が嘘みたいに、すっきりし始めていて。

どこにいてもほんとは一緒なんだなって✴︎

私という軸さえあれば、どこでも、自分の居場所になる、というか。

1人(孤独)を本当の意味で楽しめれるようにもなったり。

自分の立場と、今、幸せであるかは何も比例してないんだ、って。

ただ自分という軸がしっかりしてると、どんな状況でも立場でも日々を受け入れ楽しめるもんなんだなって。

気持ちに包容力が生まれ、リラックス出来るようになりました。

きっと、このシンプルな基盤がどっしりある人が会社のトップに立ったり、社会に流されず何かを発信し作っていく人になるんだろうな。

今日のブログにアップした紀里谷氏を含め。

もう今の世の中は、流れがほんとに早くて、情報は溢れ、なんにでもすごいスピードが求められますが、だからこそ、自分という軸がないと、もうほんとに振り回され、置いてかれ、孤独の渦に巻き込まれていく人が、更に増えていくんだろうなって思います。

大変な時代ですが、もう後戻りは出来ず、ただただ自分という軸(意識)をどっしりと持つ。

自分は大きくて太い木だ、もしくは大きな山だ、とかってイメージし、急流に流されてしまわないようにしないと。

そして今の時代を、意識を高く持って生きる。うん!

こんなに流れが速い世の中で刻一刻と変わっていってはいますが、それでも、普遍的な価値観ってあるような気がします。

当たり前のことですが、忘れないように、この場に書くことにしました*てへ。


ふわぁ~~(´0ノ`*)
今日は3つもブログ上げてしまいました。暇人ですね。笑

でも、書くって気持ちがまとまるし、自分を発見できるし、楽しいですね。

いい時間の使い方だと勝手に思っています(´0ノ`*)

ではでは。
おやすみなさい✴︎✴︎