【書籍】1985年のクラッシュ・ギャルズ
(-Α-)◎
『1985年のクラッシュ・ギャルズ』
柳澤 健 著
『1976年のアントニオ猪木』で名を馳せたノンフィクション作家・柳澤健が、かつて日本中を熱狂させた長与千種とライオネス飛鳥のクラッシュ・ギャルズとその時代、そして彼女らの復活と終焉までを描ききった、渾身のノンフィクション
昨年8月、『オール讀物』に掲載され話題を呼んだ「『赤い水着、青い水着』クラッシュ・ギャルズが輝いた時代」という原稿用紙100枚の記事に、さらに300枚を加筆して単行本化したものです
私は雑誌掲載時には読んでいないので、どの辺が加筆分に当たるのか分かりませんけど…
確実なのは…柳澤氏もあとがきに書いてますが…かつてクラッシュのファンだった雑誌編集者・伊藤雅奈子さんの実体験を挿入し、長与千種とライオネス飛鳥という“当事者”2人以外の、「クラッシュに熱狂したファン」という第3の主人公を立てたという事です
これにより、千種や飛鳥が何をどう考えていたのかという事に加えて、クラッシュの親衛隊に入っていたというファンから見た、その当時のクラッシュ・ギャルズと、自分に与えた影響などの新たな視点が見えてきます。
(-Α-)これは
読み始まった時は、いらないんじゃないかな?と失礼ながら感じたんですけど
改めて考えてみると…実際親衛隊に入って熱狂していた方が、その当時を冷静に振り返った供述は、“クラッシュ・ブーム”を考える上で非常に貴重な証言だったと思います
物語が多角的・重層的になりましたね
■タイトルには「1985年の―」とありますが…
これは柳澤氏の『1993年の女子プロレス』を紹介した記事にも書いたように、柳澤氏が『1976年のアントニオ猪木』で名を馳せた作家という事で、同じスタイルのタイトルにしただけでしょうね
確かに「1985年」は、クラッシュ・ブームの頂点であり、クラッシュ・ブームを象徴する年ではありますけど…
本書はそこで終わるわけではなく、その後まできちんと描いているだけに、やはり違和感がありますよ
『1976年のアントニオ猪木』の場合は、文字通り「1976年」に起きた出来事を描いている作品であり、これ以上ない傑作タイトルだと思います
ですけれど…だからこそ、その後の柳澤氏の著作が一様に『○○年の――』と安直なタイトルを付けられている事に、違和感を感じます
■物語は、長与千種とライオネス飛鳥それぞれの生い立ちから始まり、千種目線の章、飛鳥目線の章が交互に綴られます。
その合間に伊藤雅奈子氏の“ファン目線”の章が、時折入ってくる構成です。
柳澤氏は「プロレスは格闘技ではない。結末の決められたショーであり、対戦者同士で協力していかに観客を熱狂させるかというエンターテインメントだ」と断言して話を進めます。
だからこそ、なんですよ。この著作が真実味を帯び、プロレスの、プロレスラーの凄さや苦悩をあぶり出せるのは
プロレス関係者にも絶賛されたミッキー・ローク主演の映画『レスラー』が、あれほどの感動を呼んだのも、きちんと裏側までを描いたからこそです
『1993年の女子プロレス』でも言及されているように、全日本女子プロレスは“押さえ込み”という名のガチンコ勝負が、道場はおろかリング上でも行われていたという「異常なプロレス団体」でした。
この押さえ込みが強かったのが飛鳥、弱かったのが千種でした。
ガチの実力では、ジャガー横田に続くであろう飛鳥でしたが、「お前の試合はつまらん」と経営者に言われて悩んでいました。
一方、ガチで勝ち負け競ったら体格がいい方が勝つに決まってる。つまんない。と考えていた千種。
そんな2人がコンビを組んで、日本中の少女を虜にしていくわけです。
長与千種は、「男子を含めても最高」と言われるほどの“プロレスの天才”でした。
そんな千種に引っ張られる形で、「お前の試合はつまらん」と言われていた飛鳥は、観客を熱狂させる存在になりました。
日本中を熱狂させるクラッシュ・ギャルズ。されどそれは“長与千種が作り出したもの”でした…
飛鳥は“実力”では自分に遥かに劣る千種のアイデアやプロデュースによって光る自分に鬱屈していきました…
そんな飛鳥が「歌は歌わない」と独断で宣言し、クラッシュ・ギャルズは実質上解散状態となります。
その後、復活しますが…ブームは次第に収まって行き…
千種は他団体・ジャパン女子プロレスでデビューした“柔道日本一”神取忍との対戦を画策も、会社に拒否された事で、'89年5月に引退。
飛鳥も千種の後を追うように'89年8月に引退しました……
その後、時は過ぎ…女子プロレス界は団体対抗戦によるブームが起きました。
この波に乗るように、'93年に長与千種はJWPのリングで現役復帰
その“プロレス頭”は衰えるどころか、ますます冴え渡りJWPを席巻しました。
そして'94年8月、自らの団体『GAEA・JAPAN(ガイア・ジャパン)』を設立した千種は、全くの新人を集めてデビューさせ、「驚異の新人」と業界の話題を取りました。
ライオネス飛鳥も古巣・全日本女子プロレスにて5年ぶりに復帰。
しかし、すっかり“進化”して様変わりした女子プロレスに付いて行けず、飛鳥は「時代遅れのレスラー」のレッテルを貼られてしまいます
吉本興業がバックについた吉本女子プロレス『Jd'(ジェイディー)』に移籍も、体調不良も重なってパッとしなかった飛鳥でしたが…
Jd'とLLPW、FMW女子部との提携路線の中で、「ヒール転向」の話が出ます。
当初は不安だった飛鳥ですが、このヒール転向によって初めて“プロレス開眼”したのです
そして…'98年暮れ、千種の団体ガイア・ジャパンに参戦。
ここにもヒールとして乗り込んだ飛鳥は、千種と抗争を展開し…
2000年5月、“クラッシュ2000”としてクラッシュ・ギャルズは復活したのです…
(-Α-)ガイア・ジャパンは
対抗戦ブームが終わった女子プロレス界にて、一時は「一人勝ち」と言われるほどの人気を博しましたが…
デビュー時に「驚異の新人」と言われた若手選手たちが、千種やその後参戦してきた元全日本女子勢などを越えるスターになる事はなく…
興行の不振もあって、2005年に解散します。
同時に、千種と飛鳥も再び現役を引退したのです……
(-Α-)ザァーッと
紹介しましたが、本来はこんな簡単に語れる話じゃありません
それぞれの出来事、人生の瞬間瞬間に、千種や飛鳥が何を思い、何に苦悩し、どうやって光を探したのか。
もし、このブログを読んで興味を持ってくれたなら、是非本書を手に取って読んでいただきたい
内容の濃さ・面白さについては、保証します
(-Α-)個人的には
クラッシュ・ブームの頃は実質「千種の掌で転がされていた」飛鳥が、復帰後ヒールとしてプロレスに開眼した事。
それによって、再び千種と絡んだ時に、本当の意味で互角に渡り合った喜び。
この辺のくだりが、実に感動的でした
(-Α-)そして
“プロレスの天才”長与千種の凄さ
もう、凄いとしか言いようがないわ
クラッシュ・ギャルズに熱狂した方、熱狂までは行かないけどリアルタイムで体感した世代、あるいは名前しか知らない若い方、はたまたプロレスは好きだけど女子プロレスなんか興味ねえよ、って方。
是非とも一読をお願いしたい傑作ノンフィクションです
(-Α-)yー~~ニヤリ
柳澤健著作に関する前回ブログはこちら
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『1993年の女子プロレス』
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