近頃、「話す」「声を出す」「声に出す」ことについて書いています。
自分の口から出た言葉を自分の耳で聞いて自分で気付くのが、一番効き目があるカウンセリングなんだよ。
https://ameblo.jp/tsukiakari-hoshinohikari/entry-12320291375.html
「声を出す」という作業は、地に足をつける(グラウンディング)ことが強化される。
https://ameblo.jp/tsukiakari-hoshinohikari/entry-12320586287.html
「話す」ことに慣れていないと、言葉に詰まるんですよ。
脳内や妄想での一人会話と、生身の人間を相手にする会話は、比べ物にならないくらい、
言葉を選択することや
話をまとめることや
表現することの
『力のつき方』が変わってきます。
その『力のつき方』の違いがみえてくる一つの例として。
友人に、
またはカウンセラーに、
またはセラピストに、
「相談」したいことがあって話しているのか。
「愚痴」をただ聞いてほしくて話しているのか。
話している自分も分からなくなるくらい、話がまとまらないことがあるんですね。
要は、そのくらい人と話していないということなんです。
確かに、人と話すことが面倒な時だってある。
体調とか、気分とか、なんかわかんないけど乗らない時ってある。
そういう時は、静かにしていていいと思うの。
わたしが書きたいのは、そういうことじゃないのはわかるよね?
↑
こう書かないと、屁理屈言いやがったり揚げ足取る人いるから。
生身の人間と話すことで、
今自分の口から出ている言葉は、「相談」なのか「愚痴」なのかの違いがわかるようになってくるのね。
☆
本来、
相談も愚痴も全てパートナーに話せばいいんです。
が。
がしかし。
だがしかし。
相談したい愚痴りたい内容がさ、パートナーのことだったりするわけでしょ?爆笑
だから、友人やカウンセラーやセラピストに話を聞いてもらうんだけどさ
相談したいのか。
話(愚痴も含む)を聞いてほしいのか。
これから話す自分がどちらを話したいのかがわかっていると、脱線しなくなると思います
あ、ちなみに。
愚痴聞きに付き合ってくれる友人てなかなかいないし、
愚痴ばかりの話はつまらないから、そのうち会ってもらえなくなる可能性もあるわけで。
だからね、『愚痴ブログ』立ち上げればいいよ。
本名出さず、顔出しもせず、住まいも明かさず。
ストレス溜めないために、愚痴はブログに書く。
それだけでもかなりスッキリすると思う。
読者がつくかどうかは別の話で。
あくまでも「ストレス発散法」の一つだからね