ヤハウェのにっし。

ヤハウェのにっし。

1995/06/18 同志社大学3回生! 夢はスーパーマルチタレント。 日記じゃなくて日誌を書いて夢に一歩でも近づく。 沢山の人に支えられたい! 全ての人に夢と感動を。

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Aloha!矢作克人です!

1日経ってみて、なんか無理してるなぁと気づいたので自分って改めて何がしたいのかもう一度考えてみました。

優柔不断でごめんなさい。

自分がしたいことってのは、今まで自分が人生の中で経験した事の中に隠されてる。

だから人生を振り返ってみました。
赤裸々に告白したいと思います。


〜幼少時代〜
3歳の頃から64を始めた。
幼い頃からゲームに没頭したなぁ。
今でもゲームは大好きだし、デジタルものに関しても割と強いのはこの頃から色々といじってたからだと思う。

〜小学生時代〜
小2の頃にはパソコンもハマったしサッカーもやり始めた。
京都サンガを見始めたのもこの頃。
リフティングは今でもずっとできないけど、たった5回出来ただけで喜んでたよなぁ〜笑

小4の頃から受験勉強はじめたんだっけな。
負けず嫌いってのもあったけど、そもそも勉強が大っ嫌い。全くやる気になれなかったな。
そいえばデータカードダスにハマってたな。ドラゴンボール大好きだったなぁ〜〜

小5の頃はカラオケ大会があってみーんなの前でThe Beatlesの『All need is love』歌ったよなぁ〜確かポンキッキーズの主題歌だったな。
6年生を送る会でも『ハテナボーイズ』ってコンビ組んで天丼マンの真似したりして笑い取ろうとがんばってた。自分がバカをしてみんなが笑ってくれるのが楽しかったし、みんなから好かれたかった。目立ちたがり屋になり始めたのはこの頃かな?

小6になって1年間だけ転校して、なのに運動会で応援団長つとめたよな。やっぱり目立ちたがり屋だ。
結局受験にも失敗して偏差値も高くない滑り止めの私立中学に入学。

〜中学生時代〜
中1の頃に、2月にあった百人一首の源平合戦みて衝撃を受けました。その時は校内5位で学年1位だったけど、校内4位の人まで出来たのがこの源平合戦。みんなの注目の的になるこの4人の中に入りたいってマジで思ったよな。

で、中2で校内3位やったから源平合戦出来たよな。みんなから見てもらえてめっちゃ興奮したし楽しかった。負けたけど。笑
あと、サッカー部のキャプテンにも自主的になった。みんなをまとめてる姿がかっこいいと思ったから、そして、目立てるからだ。(そんな気持ちでキャプテンなりました。ごめんなさい🙏)
生徒会にも立候補して、文化委員長になった理由も先程と同等。(ごめんなさい)
学校の出し物として、文化祭の時にはサウンド・オブ・ミュージック出たなぁ。学年のせいもあるけど主役じゃなくて正直悔しかった。

この頃から演技に対する思いが出てきたのだろうか。

それと、自己啓発本にもハマったのもこの時期。
当時まで、文字だけの本を読むことが苦痛でしかなかった。(今でこそやっと小説も読めます)
でも、自己啓発本を読んでいるとなんだか自分が成長している感じがして、それがたまらなかった(これが自己啓発本でハマる罠なのでインプットだけで終わらないように気をつけましょう😰)

中3は結構濃いシーズンだった。
まず、昨日のブログにも触れた通り、『カイジ』に出会ったこと。感銘を受けた。衝撃を受けた。
e-カードのあのドキドキ感は今でもたまらない。
藤原竜也さん、香川照之さん、天海祐希さんが大好きになった。

次に、『AKB48』に出会ったこと。友だちに連れられて初めて行った握手会、まゆゆと握手したけどその瞬間、雷が落ちたような衝撃があった。一目惚れをした。アイドルっていいなと本気で思ったし、まゆゆの下敷きに『がんばって!』って自分で吹き出しつけて勉強がんばった。特に国語の成績は格段に上がった。

そして、体育祭があった。
生徒会をしていたのでルール上、応援団長にはなれなかった。だけど、はじめて総合優勝・応援優勝・クラス優勝の三冠を達成した。
100mは校内4位、200mは校内1位だった。
みんなよりも優れていて、目立っていた事が何よりも嬉しかった。

最後に、学園祭で『三年寝太郎』の主役をした。
当時は目立とうとあからさまな演技をしていたように思える。今レッスンしているスタニスラフスキー・メソッド演技から考えれば最悪だが、物凄く褒められた記憶がある。

演技していて楽しい!!
と思っていたが、それ以上にサッカーが楽しかった。だから、高校は東福岡へ進学した。

〜高校生時代〜
待っていたのは最高の環境だった。
ヤフオクドーム1.5個分の人工芝。サッカーするにはもってこいの環境。しかし、もちろんの如く、自分は一番下からのスタートだった。
サッカーも一番下手だったので、うまく友だちと馴染めない。徐々に体張って馬鹿なことしてたら仲良くなったのは良かったけど。
とにかくサッカーしてサッカーしてサッカーした。ストイックに追い込んだし、もう一度高校時代を送りたいかと言われれば答えは『No』だ。そのくらい必死に練習した。
総監督にも色んな人からにも『矢作が一番伸びた』と言われた。それがたまらなかった。

また高2の頃、学園祭でミスターコンテストにも出た。
ノリで出たけど準優勝した。キャーキャー言われるし、学校生徒全員の注目の的だし、女子高校生や事務のお姉さん、地元住民からも応援されてホンマに嬉しかった。
高3の時にも出て8位だったっけな。前回準優勝だったからめちゃくちゃ悔しかった。

とりあえず良い大学にも行きたかったから特進コースのままにして勉強もがんばった。同志社大学の指定校も貰えた。

サッカー選手になること目指して東福岡高校に進学したけど、終わってみると夢になっていたのは芸能界だった。
こんなレベルの高い人たちとサッカーしていると、プロにはなれないとさすがの自分でも分かった。でも、芸能界ならいけるかもと思った自分がいた。

そして大学生、つまり今である。
1回生の終わりにはランウェイもしたよなー
ちょーー楽しかった。キャーキャー言われてスポットライト浴びて、観客全員が自分に注目して。

アイドルもいいなーと思っている。

自分はキャーキャー言われたいのかな。人気者になりたいのかな。
でもやっぱ振り返ってみると、笑いを取ることも好きだし、演技をするのも好き。

結局何がしたいんだろう、と言われると、どれもしたいが今の本音。

それじゃ中途半端と言われても仕方ないよね。

でも、昨日のブログでも書いた通りです。
『楽しいと思えることをただひたすらに、死にものぐるいで取り組むだけ。』
だって、楽しいから。好きだから。

そんなふうに、僕はこれからもタレントとしてがんばっていきます。
これが、僕の答えです。
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全ての人に夢と感動を。
by矢作克人