飛鳥時代に大活躍した豪族 蘇我氏の神社ですよ‥!
延喜式に記載される式内大社です。
第8代孝元天皇のひ孫にあたる武内宿禰の三男石川宿禰が天皇から蘇我の姓を賜り、
河内からこの地に移り住み本拠地としました。
御祭神は宗我都比古大神と宗我都比売大神。
蘇我氏の始祖である蘇我石川宿禰夫妻です。
蘇我氏というと日本史の大化改新のとこで〝中大兄皇子(第38代天智天皇)と中臣鎌足(藤原氏の始祖)が悪者の蘇我入鹿を暗殺して蘇我氏を滅ぼしました〟程度にさらっと習いましたが、
これは大化改新の前に起こった乙巳の変のことです。
蘇我蝦夷は第35代皇極天皇の在位中に大臣として国政を運営していたのを利用して、
子の入鹿に紫冠を授け大臣に任命してしまいました。
紫冠の授与は天皇にしかできない行為で、
これは明らかな越権行為になります(`・ω・´)
蘇我入鹿は馬子の孫(馬子–蝦夷–入鹿)
聖徳太子の子が有力な皇位継承者だったのに、
入鹿は馬子の外孫(第34代舒明天皇の皇子)に即位させようと暴走します。
皇統まで乗っ取ろうとした蘇我氏に危機感を抱いた中大兄皇子と中臣鎌足が乙巳の変を実行し、
大化改新という政治改革が行われたのです。
そこらへんは日本書紀を‥
蝦夷が自害する前に天皇記・国記などの史書を焼いてしまったので、
のちに第40代天武天皇の詔により日本書紀と古事記の編纂作業が開始されることになるのかな。
焼かれてしまった天皇記を読んでみたい。
▲宗我神社 本殿と中門
▲八大夫稲荷神社(末社)
8基の朱鳥居をくぐると真ん中に稲荷、
右に八坂さん、左に戎さんの祠がありました。
社殿の脇に木瓜紋の倉庫がありました⸜(๑⃙⃘'ω'๑⃙⃘)⸝
神輿庫を覗くと中にはめちゃ古そうでゴージャスな神輿が見えました。
紙垂が古いからもう使ってなさそうですな。
縦の木瓜紋がカッコイイ(*ꂧ◡ꂧ) !
教科書には悪者とされてる蘇我氏ですが、
この辺りに住む人にとっては大切な氏神さま。
由緒書きには「日本を豊かで進んだ国にしようと取り組んでいた人だと信じたい」と書いてありましたよ(´;ω;`)ブワッ
なんと小田原市にも宗我神社があることを教えていただきました ⸜(๑⃙⃘'ω'๑⃙⃘)⸝
もちろん勧請元は宗我坐宗我都比古神社!
近いうちに参拝しますからね◡̈
◆宗我坐宗我都比古神社
(そがにますそがつひこじんじゃ)
奈良県橿原市曽我町1196