あまね理樺です。

 

今日は、埼玉在住の友人と氷川神社に参詣して来ました。

 

 

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武蔵一宮。

 

何回か行きたいと思ったこともありましたが、行動まで至らず、今回が初めてです。

友人の案内で3社参りです。

 

 

私自身、今日は何しに来たのかよくわかりませんでした。

 

 

体はボオ〜っとしてるし、友人といるのにはしゃぐ気にもならないし、ただただ静かにグラウンディングしていたかった。

 

 

 

立派な参道を抜けると朱の太鼓橋があり、境内に素敵な神楽殿がありました。

 

ご祭神は

須佐之男命

稲田姫命

大己貴命

 

 

出雲、国造り系だなあと思いつつ、まずは参拝。

 

 

そして、境内のいくつかの社にお参りして、友人が、数年前整備されて公開されるようになったという、水が湧き出ている「蛇の池」に連れて行ってくれました。

 

 

*氷川神社さんHPからお借りしました。

 

 

その池のそばに立ち、目を瞑ってお祈りしていたら、波が押し寄せるような音が聞こえて来ました。

 

龍の姿が見えて、池の水の中を泳いでいく音のようです。

 

私はクレアオーディエンスではないので、音を聴くことってそんなにないのですが、まるで波が寄せては返す海辺のように、龍が波を立てる音が聴こえました。

 

 

あまりにリアルだったので、目を開けてみたけれど、もちろん普通に池があり、水路が境内の前へと続いているだけです。

 

「この場所は龍がいますか?」友人の一人が尋ねました。

 

「います!」

 

「いるいる。いっぱいいるね」

 

普通すぎるので、お互い確かめるだけで、驚きもなく、当たり前のこととして感じていました。

(チャネラー集団です^^)

 

 

 

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*池の写真は撮ってませんでした^^;;

 

 

 

 

そして、次に彼女が連れて行ってくれたのが、中山神社

氷川神社と違い人通りの少ない静かな神社です。

 

 

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そこに降ろされた光が美しく、友人が「虹色の光が降りて来ましたよ」と言って、写真を撮ってくれました。

 

 

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私はここで、なぜか、すごくネガティブな気持ちに襲われ、境内の砂を手で弄び、ちょっとね、めちゃめちゃな虚無感に襲われていました。

 

 

正直、私はエンパスなので、集合意識や場のエネルギーと繋がりやすいのです。

 

 

時々、自分の意思を超えたエネルギーが入って来て、自分の痛みのように感じたり、感情の波として感じることがあります。

 

 

その最たるものが、集合意識と繋がってしまうこと。

突然の感情はほぼそういうことだとわかっています。

 

 

虚無感というのは、自分に何が出来るのか?

何も出来ることはないではないか。

では何のために生きているのか、生きる意味とは何なのだろうか?という果てしない問いかけの後にやってくる感覚です。

 

 

集合意識というのは、個人が何億何千何万と束になってかかってくるようなもので、もちろん、私一人でどうにか出来るものではなく、得体のしれない虚無感として、私の心を傷つけます。

 

 

それは、もしかしたら、この土地の精霊や神と言われる存在の深い嘆きなのかもしれません。

 

それで境内の砂を手に取り、サラサラと眺めていたのです。

砂の中には金が混ざり、キラキラと輝いていました。

 

 

この誰もいないまっすぐな境内への参道を見ていたら、不思議な感覚に襲われました。

 

 

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この世にあるものすべてが幻だとしたら、

それを見ている私の存在というのは一体なんなのだろう?

 

この世界が幻想だという視点で現実を見た時、私はただ夢の中にいるような虚無感を感じるのだろうか?

 

 

そう友人に問うと、

「ただ聖域や自然と一体となり、包まれるような感覚を持つことでいいのではないか」と言われました。

 

 

なるほど、客観視する必要はなく、何がどうしてと「わかる」必要もないということですね。

 

 

「わかりたい」という気持ちは人として出て来るものですが、「わかる」という次元に落とした時、ほとんどの事象は答えのない迷路へと迷い込む気がしています。

 

 

「わかる」というのは、思考の働きであり、思考というのは、感情や感覚より荒い波動域にあり、全体を削ぎ落とすか、ほんの一握りを描写するかしかないからです。

 

 

もっと大きな全体性や、そのもの全部を感じたいなら、「なぜなぜどうして」に落とし込む必要はないということです。

 

 

わからなくても「知っている」ことは出来るのです。

それこそが「すべて」を感じる唯一の方法だとも言えます。

 

 

 

そこから更に車を走らせ、

氷川女體神社へとやって来ました。

 

 

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見沼氷川公園を抜け、朱の橋を渡ります。

下には川が流れています。

 

この見沼という場所には謂れがあります。

 

 

友人が「この3社で一体だと思うの」というように、

確かに3社で一体。

全部を回ることで完結するのだということがよくわかりました。

 

八岐大蛇は龍退治の神話ですが、その中に出て来るのが、氷川神社に祀られている3神です。

 

男の子氷川神社/男體/夫/須佐之男命

女の子氷川女體神社/女體/妻/稲田姫命

天使中山神社/子供/大己貴命

 

 

この3社は直線上に配置されています。

 

そして氷川神社からの一帯は「見沼」と呼ばれる豊穣な湖沼だったのだそうです。

 

もともと、この氷川女體神社で御船祭という重要な祭祀が行われていたそうで、享保12年に干拓のため、祭祀が行えなくなった際、見沼の池の中に丸い島を築いた祭祀場を設けて、そこで祭祀が行われていたそうです。

 

そして、それも明治初年には行われなくなってしまったそうで・・・。

 

 

 

公園と川を挟んで神社が登り階段の上に鎮座しています。

 

ここも人が少なく静かですが、驚いたことにここに来たら、先程までの絶望感、虚無感が一切祓われて、まるで体ごと洗い清めたようなスッキリ爽やかな感覚になっていました。

 

 

それで、「あー、さっきのは私一人のものではなかったんだ・・・」と気づきました笑い泣き

 

 

なるほど、三位一体で、『浮かせて出して浄化して』みたいなことが行われるんだ!

すごいなあ、パワースポットって何も考えなくても行くだけでいいんだと思い、神社を出ました。

 

 

行きに気になった箇所か2つ。

その龍に纏わる伝説の看板と、神社と川の正面にある暗い場所。

 

 

行きに目にした時は、まっっっったく行く気にならず。

だってどう考えたって暗い・・・。

 

 

なのですが、清められた私たちは行くんだなあニヤニヤ

「斎場」と書かれ、木の杭が何本も並び、入らないで感満載w

 

 

「祈りの場なので静かに」と書いてあるだけなので、もちろん入っても良い場所としてあるのでしょうね。

 

 

私たちが向かうと中からヨレヨレの女性が歩いて来ました(なんのお知らせ滝汗

 

歩いて行くと、左手にやはりありました、小さな御社。

なんのお宮かも書いてはいなくて。私たちは祈りを捧げました。

 

 

神社でとは違い、確実に今度は私たちが場を清める番。

祈りが終わると、3人で顔を見合わせたら、同じことを考えていました。

 

 

更に、暗い雰囲気漂う奥に進むと、そうね、きっとここが今日の最重要ポイント

 

 

そういえば、私たち3人が今日氷川に来ることになったのは、数ヶ月前の皇居での「ことほぎ」がキッカケでした。

 

 

「ことほぎ」というのは「めでたきことを祝うこと」

その時降りてきた言葉でしたが、その前も後も、その時以外一回も使ったことのない言葉です。

 

 

さて、池に囲まれた、その丸い島状の場所に入ってみると、

4本の木が整列して立っていました。

 

 

よく見るとその4本にしめ飾りが張ってある。

要するにその木が囲む中心が神域だということでしょう。

 

 

しかし、しめ飾りは枯れ果て、1本の支えの枝は折れていました。

立てようとしてうまくいかないので諦めようとしたら、友人が汚れながらもしっかりとしめ飾りを立て直してくれました。

 

 

あーそうか。

宇宙の意図が読めました。

 

 

最初私たちは3人で来るはずだったのです。

だけど一人加わり、なぜか4人に。

 

 

きっと意味があるんだろうなと思っていたのですが、榊となる神木が4本。

4人必要だったのです。

 

 

なるほどーと思いながら、みんなに1本ずつ木のそばに行ってもらいました。

結界の張り直し?

・・・何をするのかというのはわかりません。

 

 

ライトワークをする時は、

宇宙の意思が人間を動かし、

私たちはその場へ体を運び、その時降りて来るインスピレーションを形にするのです。

 

 

私たちが移動することで右回りに場を回し、円を描くということだけわかりました。

それぞれの場がまったく違うエネルギーを放っていたそうです。

 

 

私はライトランゲージで場にアクセスしようとしていたのですが、ウンともスンとも、まったくエネルギーが動かない・・・。

どうしたもんかなあと思いつつ、4本目の木に来たら、龍が乱舞して出て来ました。

 

 

円周を結ぶ瞬間たくさんの龍が動き出したのを感じました。

 

 

なるほどね。

まあ、きっと、場が廃れ、寂れ、手入れされず、壊れてたので、龍が動けなかったんだろうなあと思いました。

もしかしたら、水不足も、こうした古代からの龍の動きに対して無頓着になってしまっていることも関係しているのかもしれませんね。

 

 

過去の記憶、昔の人の風習、

そういったものは時を経るうちに、いつのまにか形骸化し忘れ去られ、土地を埋め立てたり、壊したり、そういうことってたくさんあると思います。

 

 

地というものの持つエネルギーは、風水、家相などを勉強していると、とても良くわかるのですが、私たちが思う以上の影響があります。

 

 

穢れ地に住めば、運気を落とし、体を壊し、

いやしろに住めば、自ずと運が開けます。

 

 

今日、こうした経験を通して、人間と自然との繋がりを深く感じました。

 

 

 

そして、やはり、人間の意識の及ぶ範囲を超え、物事は生々流転しているのだなと感じるのです。

 

 

すごく難しめな考察となってしまいましたが、それが真実だと思います。

古代の人々は自然ともって密接に暮らし、生きる方法を知っていたのではないのかなと思うのです。

 

 

ではどうやって、その宇宙のエネルギーと繋がる方法を取り戻すのか?

感じてみるのもおもしろいかもね^^

 

 

このワークの後、長っ細いエネルギーが私について来ました。

 

 

 

 

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白っぽい(黄色っぽい?)部分が光です。

 

ちょっと分かりづらいかな。

 

 

車の中でユラユラ揺れてました。

私たちのワークを喜んでくれてたみたいですちゅー

 

 

 

番外編。

友人がどうしても連れて行きたいと「調(つき)神社」に連れて行ってくれました。

狛犬ではなく、狛兎がお出迎えしてくれます。

 

浦和レッズも「ツキ」を得るため祈願する神社だそうです。

 

ここでの私の感想は「チャージ」。

 

浄化してもらった体にしっかりエネルギーを入れてもらった感じです。

 

 

こうやって神社ワークするのは、本当に久しぶり。

今日は友人に会うつもりで行っただけだったので、予想外の展開でした。

 

そしたら、誘われてた出雲神在り月の神事も参加してみようかなという気になって来ました。

 

氷川信仰の3柱はいずれも出雲ご祭神でしょ?

シンクロだなー。

 

10月にボイジャータロット講座やセッションで行くので、2ヶ月連続はどうかな〜と思ってたのだけど。

これは止められない流れですな。。

 

 

そもそも吉祥寺も龍の街。

役目は果たせば果たすほど見えて来るものがあるのです。

ちょっと楽しいおねがい

 

 

 

 

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