濃密ナチュラル、そんなオシャレマガジン

🔴大谷翔平と水原一平

シーズンオフを追いかけるほど大好きってわけでもないのに大谷翔平のニュースを通年見てる。去年のシーズン中どころか終わってからも、MVP受賞、ドジャース移籍、結婚、オープン戦の異常な成績で、ずっとニュースにいて、さらに通訳の違法賭博、翔平よりも一平がニュースの的か。20年後くらいにあの時の真相や大谷と通訳の人間ドラマに迫る実話をもとにした映画でも出れば「ああ、あの時の事件のことか!」ってドキドキしながら映画館にで直行しそうだ。個人的にはひたすら正義のスーパースターよりもダークサイドに転がり落ちそうになりながらも大活躍してた、って大きな谷ありながら翔んで平穏に辿り着くスーパースター、大谷翔平の方が応援したくなる。

 

 

🔴違法と合法

アメリカの州の法律って面白いね。この州では合法で、こっちは違法ってのがあるのは面白い。

サウジアラビアやイランなどイスラム教の色が強い国ではアルコールが違法だけど、他の国でOKって。良い悪いは、文化によるんだね。その中で自分の倫理ではOKかNGか、自分の倫理でOKだけど違法な場所でもやるかやらないか。バレちゃった時の周囲への迷惑、欲、自分の倫理が入り混じって行動していくのは面白い。サウジアラビアの冷房の効いていないところでビール出されてしまったらバレても国外追放くらいの刑だったらビール飲んじゃおうかな、とか思っちゃダメなんだろうか。

 

 

🔴ギャンブル的な投資、分散20社のみのインデックス

レバレッジかけるFXの短期売買はギャンブル、500社とか3000社に分散してる投資信託でコツコツと積立するのはギャンブルではないらしい。

最近のお気に入り銘柄はアメリカのテクノロジー系上位20社のインデックス。AIが作る便利な世の中を応援したい、政治もAIにやってほしい、利権排除してほしい。もちろん私服も肥やしたい。

テクノロジー銘柄、先日はドル高+株価高のダブルパンチで陶酔するほど金額が跳ね上がった。今年はずっとアゲアゲして気持ちがいい。でも業種の分散がないからコケる時は大きくコケるだろう。どっちかっていうと勝つ可能性が高いと思ってるけど、これはギャンブル?

 

 

🔴ギャンブルのイメージ

パチンコや競馬にギャンブルに悪いイメージを持っている人でも、生涯年収3億円の大企業を辞めて起業しますっていうギャンブルには良いイメージがあったりするのも興味深い。

 

 

🔴大きな選択=ギャンブル

一般の賭博の他、人生の大きな選択も「えいやっ」って決断するギャンブルだ。みんなドキドキして進む。

 

🔴最初のギャンブル

多くの人にとって最初のギャンブルって中学後の進路な気がする。大抵、志望校選び、自分の成績ならほぼ受かる高校を受験するか、ダメ元でもっと行きたい高校を受験するか。

 

 

🔴選択の後が大事

簡単なA高校に受験しないで、難しいB高校に受験して落ちた。「A高校を受験しとけば勝ちだったか、ギャンブルし過ぎで失敗だ」って、そうでもない。選択が重要というよりも、選択した後の過ごし方でどうともでなる。志望校ではない滑り止めの高校で友達たくさん楽しいです、ってね。AとBの選択をどっちにしたかの問題じゃない。選択して一見うまくいかなかったように思えるけど、そこでどう生きるか。

 

 

🔴大谷翔平の元通訳の今後

違法賭博をするという選択をして、今、とんでもない状況で、その誤ってそうな選択をした後、何を思いどう行動するかが大事なんだと思う。

でも違法賭博をするという選択自体が本能的に喜んでいるのかもしれない、真のギャンブラーなのかもしれない。先に述べたけど、そんな彼の思想と半生が映画になったら震える。

 

好きな野菜は? って聞かれたら大抵、「ほうれん草」って答えてた。苦々しくて葉緑体の塊(かたまり)を食べているような主張のある味が好き。

 

去年、ほうれん草にはシュウ酸という尿管結石を引き起こす成分が多く含まれていて、そのため茹でて、その茹で汁を捨ててシュウ酸を取り除かないといけない、というのを始めて知った。それを知るまでは蕎麦とかにそのまま突っ込んで、温かい汁で茹で過ぎない程度のレアな火加減のほうれん草を食べていた。シュウ酸を摂りまくっていた。

 

結石になりやすくなる知識がついた以上、茹でるよ、そりゃ。そしたらちょっとめんどくさいんだよ。水で刺さっと洗って調理バサミでパサパサ切ってお湯やソバの汁に沈めて食べるだけだったのに、茹でてお湯捨てて絞るプロセスが入ってさあ。

 

茹でるのが手間なので、一気に2袋分くらい茹でて冷蔵庫で保管したら1週間目でお腹すこし壊した。お腹あんまり壊さないのが自慢だったのに、自信がへし折られて悔しい。

 

毎回茹でるのも嫌で、まとめて茹でとくのも嫌で、冷凍もちょっと季節感でないし。

 

代用した。春菊、ニラ、菜の花あたりがほうれん草の代わりをしてくれている。気づいたら毎日のように食べていたほうれん草を2ヶ月くらい食べていない。好きな野菜って答えてたのに。「好き」だった野菜が一手間増えただけで食べなくなるなんて、そんなの好きって言えるのかな。

 

この野菜が好き、ってことは味とか歯応えとか舌触りとか匂いとか、そんな美食家として好きって言っていたはずなのに、不便になった途端に代わりがあればいいか、って。

 

今は速く歩くのが好きなんだけど将来的に脚が衰えてきた時に「ゆっくり進むことで見える景色があって、それがいいんだよね~」ッて言う未来の自分が見える。

 

自分が好きって思ってるものって、純粋に好きなのかどうか怪しく思えてきた。自分がいい加減なやつのように感じて、でも待てよ。好きを失った時に代替品があるってことか。

 

もし好きなコーヒーを医者から止められたら、黒豆茶(お茶のなかでは味が似てるよね)飲むし。

 

もし好きな日本が戦争になったら、まあタイにでも住むかって逃げるし。

 

好きなんだけど、手放してもいいよ、って開放感がある、その自由な状態が好きだわ。その好きである開放感がなくなってもまあいいよ、閉塞感で過ごすよ。

 

好きを仕事に、とか

好きこそものの上手なれ、とか

好きという情熱が、とか

 

強く「好き」なものがある方が、どことなく良さげなこの時代、

でも好きから自由になれるのも、負けじと良くって、

好きなものなんてないよ、って人はそれは固執しなくてもよい自由があるってことで、

「好きがある」「好きがない」には優劣がないって結論をつけた。

 

そこの好きなものがないあなた、おめでとう。何からも自由です。なんとなく良いな、と思ったものを好きだと思い込んで、その好きを続けれなくなった時に「あ、好きでなかったんだな」って軽くとらえて次にいきましょうか。

 

ここだけの話、好きって自己暗示7割なんじゃないか。ロミオとかに怒られそうだけど、なんかそんな気がする。

 

自己暗示が上手くなれば「好き」のパワーも、「好きでない」自由も両取りできるんじゃないか、とかいうとまたジュリエットとかが怒るかもしれない。

 

多少の好きはあるかもしれない。けど絶対これが好き、ってないんじゃないかと思えてくる。

究極、何も好き出なくなった時は悟りなのかどうなのか。

 

 

気づきました。好きとかそういうの無いです。

そう言って彼は食事の時間、水だけを飲む。

 

水と空気だけは代わりがない気がします。

そう言って彼は山に住み始めた。

 

晴れも雨も好きってわけではないです、ただの天気です。日差しが強ければ木陰にいきます。雨が降れば屋根の下にいきます。

 

え? そんな生活は楽しいのかって?楽しいとか楽しくないとか、そういうの忘れました。ただ、ただ、生きてます。

 

え? その思想をぜひ山から降りて広めてくれって? 広めてもいいし、広めなくてもいいです。広めるのが好きでもないですし。広めないのが好きでもないですし。そしたら広めます。

 

信者たちの欲望に巻き込まれながら稀な速さで広がる彼と伝説の宗教の物語はここから始まる。つづく。

サイヤ人&フリーザ編の真っ只中に小学校低学年だった自分にドラゴンボール(以下DB)を語らせる気か。

 

地球以外の「宇宙」という概念があることをDBで知った。球体の宇宙船に座って宇宙に行ける。

 

「生死」があることもDBで知った。死んだら頭の上に輪っかがつく。

 

魔貫光殺砲の真似をして遊び、スカウターを欲しいと願い、敬語で虐殺をするフリーザに怯え、大人になったら重い服を着て修行することを夢みていた。

 

 

好きなバトルがいっぱいある。

悟空 VS ジャッキーチュン

クリリン VS マジュニア

悟空、ご飯、クリリン、ヤジロベー VS ベジータ

ピッコロ VS 17号

ゴテンクス VS ブウ

 

 

Google検索lへの影響にも驚かされる。

孫悟空、ピッコロ、トランクス、画像検索しようものなら本家よりもDBのキャラクターが多く現れる。みんなが調べたいのは本家最遊記でもなく、楽器でもなく、下着でもない。

 

 

鳥山明の訃報にショックを受けた人数は勝手な推定1億人、20年前のローマ教皇16世の時よりも多い? 人類史上最多の人数に祈られているのではないだろうか。

 

 

DBの主人公、悟空は地球や宇宙の運命が自分にかかった大事な時でも、楽しそうに戦う。一番強くなるために我慢して修行することはない、世界を守るためにイヤイヤ戦うこともない。

 

外国で貴重品含めた荷物を失ってしまった時に旅仲間から「よくその状況で楽しくしてられるね」と良い感じの口調で言われた。

 

別の時、職場のおじさんに「働きにきてるのに楽しそうにしてんじゃねーよ」と悪い感じの口調で言われた。

 

少し世の中にかぶれてしまったのか、最近、悟空の「いつでも楽しむ精神」が薄くなっていた。DBに触れるたびにまた思い出していければいいかな。歯を食いしばらないでワクワクしようとする精神は大人を理由にしぼませることなく、より育てていきたくなります。

 

ジョンレノンが亡くなってもイマジンを聴きながら世界の平和を願う人がいるように

鳥山明が亡くなったあともDBを読んでそこから何かを受け取る人がこの先も後を経たないと思います。僕のように「いつでも楽しく」を受けとる人がいるかもしれません。別の何かを学ぶ人がいるかもしれません。

 

 

小さい頃、親戚の集まりにいって大人で漫画の話をしている人なんていませんでした。30年経った今、姉や妹と会うと漫画の話で盛り上がることが多々あります。小さな島国の子供の楽しみでしかなかった漫画が世界中の老若男女に愛される文化の1つまで昇華されたことへのDBの功績は相当大きいのではないでしょうか。

 

DBの漫画の中でこんなシーンがあります。

クリリン「いいよな。悟空はあの世じゃトシをくわねえんだもんな」

悟空「まあな。クリリンも死んでみるか?」

 

悟空はあの世で楽しく過ごしている、死を悲観的にとらえない独特な死生観に魅せられてきました。僕たちDB読者も鳥山先生の死を悲しいものととらえず、黄色い輪っかを頭につけながら骨付き肉をムシャムシャ食べて楽しんでいる鳥山明を想像しても良いのかな、なんて思います。

 

文章を書いているうちに、ワクワクしてページをめくった当時を思い出しながら鳥山先生への感謝が溢れてきて、途中から文章が敬語になっていました笑泣笑

 

晩冬に高尾山を瞑想しながら登りました、の話。

 

今日は朝早くからゆっくり歩く瞑想しながら登りました。

 

頂上につきました。

 

下山しはじめました。

 

途中の水辺で座りました。

 

水の音を聴きます。目を閉じます。水の音チョボ。チョボ、ゴポ、ゴポって音を聴きつづけてます。心が無になっていきます。。。無になりすぎて変なスイッチが入った。

 

 

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高尾山にはいくつかの登山コースがあって、そのうちの1つ、6号路は小川に沿っていて、登山道と小川が合流するような場所がいくつかかある。そこで登山道から少し外れて小川の近くまで行き、座り、流れる水の音を聴く、これが好き過ぎて、山道に戻らず小川を下り始める。たくさんの水流の音が聴くために。

 

完全防水のミドルカットの登山靴で小川の浅井箇所はそのままズカズカと入ってく。

少し深くなると、

川の水面から顔を出している石の上をピョンピョンって飛んだり、

ツルとか木の枝に掴まりながら、水の深い場所に足を落とさないように、

調子よく下りていく。

 

「冷たっ」

 

集中力が切れた。足が滑って川の深みに左足をふくらはぎまでズボって突っ込んでしまった。1時間くらい川を下って遊んでた。足冷たくて、もう今日は帰るかな、って小川下りを中止し、普通のみんなが通っている山道に戻った。

 

 

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小川を下り、道になってない道を進むのは楽しかった。

 

ここ、進んで安全な道に戻ってくれるの?

 

この先を進み続けて何になるんだろう?

 

山でない場所、町で似たようなことを考えている。物理的な道じゃないんだけど、人生にはいくつもの選択肢が用意されている。~~を始める道、とか~~を続ける道とか、~~をやめる道とか。

 

「この道を進んで戻ってこれる?」

 

「進み続けて何になる?」

 

そういうの考えて進んだり、進まなかったり、また進んだり。悩ましい選択肢をその都度、考えながら。自分はそんな風に生きてる。たぶん、みんなもそんな風に生きてる。

 

先日、通っている格闘技ジムの退会の申し込みをした。今のジム、楽しいし、通いやすいけど、一旦やめて別のジムでやってみよう。この流れ、合ってるよな? そのまま進んでいいよな?

 

他の人から見ればジムを移るなんてどうでもよい。

そんな取るに足らないことも、当の本人の中では大事な問題。どうでも良いわけでないから、分かれ道の迷路ができて、それで進んで。

 

みな、それぞれの何かの迷路の中にいる。無数の選択を続け、道なきオリジナルな道ができていき、そこで現状の道を進み続け、たまに迷って別の道を進んだりしてるんだろう。

 

 

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小川下りをしていて「ここは下に下りても行き止まりっぽいな」って思いながら進むのを躊躇している時に、そんな思考が頭に入ってきた。

 

 

小川から上がり山道に出るとスイスイ歩ける。山道出口まですぐ着き、早歩きで舗装された道路を駅に向かって歩く。途中、折れたばかりか? 折れて横たわってる満開の梅の木があった。なんな色っぽく感じた。あっという間に通り過ぎる。作られた道は早い。あの艶やかな寝転がっている梅の木、ちょっと戻ってもう一度、見ようか? いや、靴の中が水びたしで心地よくないから、もうこのまま帰ろうか? とか小さな迷いのある自分がいた。誰にもないオリジナルな迷い道を脳内で作り出している自分がいた。

 

戻ることにした。梅の木を見て20秒くらいで飽きた。飽きたけど、梅を眺めてて、冬の終わりを感じた。

 

これから、春、夏が来るぞ、って思うと、なんかワクワクするね。

 

「〇〇税務署ですが。」

電話をがかかってきた。

 

何だ、何だ? 後ろめたいことは何もないはずなのに、何か悪いことをしていた気分になってきた。早く用を言ってくれ、潔白を証明しないと・・・

 

「今年も確定申告してください」

 

なんじゃそりゃ、言われんでもやるわっ。ビックリさせやがって。

 

なんでビックリしたかって言うと、

X(旧twitter)のトレンドワード入りしていた「確定申告ボイコット」のニュースが面白くて、それに関連する税理士動画を見ていた。「確定申告ボイコットすると、税務調査は必ずきます 追徴課税は高いです」って正義の脅し動画を見て、税務調査が自分のところに来た妄想をしていた矢先のことだった。

 

議員裏金問題、裏金は納税なし、みたいな政治家の圧倒的有利な税金のニュースの真っ只中で、こんなリマインド電話をかけなきゃいけない税務署職員かこの時期の臨時バイトかわからんけど、汲み取って、「はい、やりま~す」って答えた。

 

ホントはオイオイ、インボイス含め言いたいことはいっぱいあるわ。癪(しゃく)だけど、そしてめんどくさいけど、確定申告ボイコットは自分に不利益を被(こうむ)りそうだから従順な市民になりますよ。

 

従順っちゃ従順だけど、癪っちゃ癪だから、政治の支配層がダメダメなこの世界で、どうすればより良い人生になるか考えてみた。

 

①支配層になる、政治家になって世界を変える。

友人・知人で政治の世界に入門して活躍している人たちがいて、めっちゃすごいな。Not for me だけど アツいアナタにはその道が合っているかもしれない。

 

②過去と比べればマシ

200年前の江戸時代に、政治支配層の悪口を言おうものなら叩き切られていた。坂本龍馬が主人公の漫画「お~い竜馬」はトラウマ、上には逆らっちゃいかんぜよ、な世の中と比べると進歩してるよね、きっとそうだよね。

 

③政治のニュースは無視する

友達から聞かれた。「バカな質問かもしれないけど政治家のパーティーって、どんなパーティーなの? パリピなの?」

いや、オレも知らんけど。

「バカな質問かも」ってとこに引っかかった。「政治のことを知らないとバカ」みたいな風潮がある気がするけど、最近思うのは、政治のニュースを見ないのは賢い選択だ。政治のニュースを知っても選挙にいっても自分の生活が変わる可能性が低い。というより政治のニュースからもらえる感情は落胆、憤慨、幻滅、こんなニュース見ても幸せにならんわ。あ、経済のニュースは知っていると生活を有利に持っていけるから政治は無視して経済見とけ、もしくはお笑い番組見て腹抱えて笑って腹筋鍛えよう。

 

 

政治のニュースを見ないのが日本人のスマートな時間の使い方、と考え始めたけど、今年11月のアメリカ大統領選はモダンリベラル民主党とクラシックレトロな共和党と気になる。思想がわかりやすいし、どっちが勝つかわからないし、地球の運命とも言えなくもない。

 

なんてこと言ってる場合じゃなくて今年から手間が増えた確定申告やらねば。わざとめんどくさいやり方にさせて税理士協会とかから賄賂、じゃなかったパーティーチケット代もらってないよな、って疑ってます。

 

P.S. 毎年この時期、前年のクレジットカードの履歴ながめて、これ経費だっけ、みたいなのを見つめ懐かしむ、そして脳内投票が行われる。自分が選ぶ去年買ったベスト商品は骨盤矯正器具「骨盤職人」に決定した。