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Asobo!会のみゆです☆

5月2日~6日で
福島県の復興支援施設と
仮設住宅へたこパと被災地見学に
行かせていただきました。

福島への復興支援活動は
私にとっては2回目でした。 
1日目は沿岸部北部の新地町でした。 
街の印象は全体としては賑わっており、
普通の生活があるように感じました。 

まずは、食材購入。
おんちゃまこと高橋永真さんのお店
「セイシン食品」へ行き、
相馬産のタコを買う予定でしたが、
小女子(こうなご)という小魚も
一緒に買って、
たこ焼きに入れる用として
好評の具材となりました。 
その後、近くの津神社へ行きました。 
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ここは、通称津波神社と呼ばれ、
昔から津波が来たら
上に逃げるように言い伝えがあります。
東日本大震災の時も
住民の皆さんの逃げ場になり、
多くの方が助かったそうです。
写真の通り、
津波の到達点も記されています。
津波の影響で
街の一部はなくなってしまい、
今も危険区域のため何も建てられず
原っぱのままになっていました。 
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次に1日目のたこパの会場である高齢者復興支援住宅へ行きました。 
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すごく綺麗な外観にびっくりしました。 
たこパの様子です。 
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たこ焼きを焼くのが
初めてという方も多く、
楽しんでいただきました。
タコも小女子も大好評でした。 

その後、宮城県の
中浜小学校へ行きました。 
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青のところまで 、
津波が到達したそうです。
ですが、児童たちは屋上等へ逃げて、
犠牲者が出なかったようなので、
現在も残されているそうです。 
さらに、龍昌寺に行きました。 
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ここは、津波で流されてしまった
墓石を全て集めて、観音様も祭って、
釣師観音となっていました。 
釣師浜漁港にも行きました。 
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ここも、津波が来たままの状態が
残されていました。
周りでは壊れた堤防などの
工事が進んでいました。 
最後に報徳庵に夕食を食べに行きました。
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おんちゃまの海産物の
食事を美味しくいただきました。
ここで、高橋さんが合流して
お話を伺いました。
現在漁業は試験操業が認められており、 週1回は漁業をされています。
しかし、 福島県=放射能が
高いとのイメージの強さもあり、
魚介類等が売れず
生活の難しさを聞きました。
すぐ隣の宮城県では
普通と変わりないのに、
福島県になると放射能検査等があり、
規制が厳しいそうです。
福島県の方々は私たち以上に
放射能等に詳しく、
国の不十分な検査だけでなく
自主検査等もされています。
むしろ安全なのではないでしょうか。
 
相馬の美味しい
魚おんちゃまセットは
下記で購入できますよ。
http://www.somanoonchama.com/

1日目の宿泊は
村上さん宅にお世話になりました。
奥さんは震災の紙芝居をされていたり、
会津木綿でマカロンポーチ等を
作られています。 
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2日目と3日目は沿岸部中部の南相馬市。
やや広い市であり、
原発所から 
20km 圏内~ 30km 以上とあり、
場所によって支援も違うため、
そのことで住民の間で
わだかまりもあるとお聞きしました。 
2日目は角河原仮設住宅の様子です。
美味しい山菜のワラビや
こしあぶらもいただきました。 
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3日目は牛河内第3仮設住宅の様子です。 
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20km 圏内である小高地区の方に
お話を聞きました。
津波と原発事故の影響で避難所を
転々とさせられ ( 多い方で 10 ヵ所以上移動されたそうです ) 、
生活の変わりように
悲観した時期もあったようです。
それを乗り越え、
自身も話を聞いてもらい
落ち着いた経験から、
話を聞いてもらえるそして
小高に戻ってきた時にふらっと
立ち寄れる場を作りたいとの思いで 
NPO 法人浮舟の里を
立ち上げられました。 

将来的には蚕から全てを
小高で作った織物を作り、
生活できることを目指しておられます。
写真は菜の花で染めた
蚕約 50 個分から取った糸だそうです。 
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また現在もまだ人気が少ないので、
人が居るという目印にいつも
鯉のぼりを上げられているそうです。 
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小高地区は私が
去年復興支援に来た場所で
個人的に思い入れもありました。
去年は本当に人気がないという
印象でしたが、
浮舟の里があったり、
他にもランチ営業をしている
お店などもあると聞いて、
少し復興が進んでいるのかなと
感じることが出来ました。
また、現在は避難準備区域
(日中の生活のみ可、宿泊はできない)
ですが、来年の3月には
避難解除となるそうです。 

最終日に福興浜団の
菜の花迷路に行きました。
福島ではちょうど菜の花が見頃で、
鯉のぼりも上がっていました。 
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実はここは津波で両親と娘、
息子を亡くされた方が中心に作られ、
今生きてる人が笑顔になるように、
その笑顔が天国に届くように
との思いがあるそうです。

元気に遊び回っている
子どもたちと作られた方の
思いが込められた菜の花、
鯉のぼりの姿に私の方が
元気を頂きました。 

今回の活動を通して、
まず自分の無知さを痛感しました。
津波の悲惨さ、住民の方々の思い、
原発や放射能等を少しですが
理解することができました。
皆さんにもこのことを知っていただき、
出来れば旅行でもいいので
実際に足を運んで色々と
感じて頂ければと思います。