8月15日は75回目の終戦記念日です。75年前、北の大地では戦争が続いていました。

 

ポツダム宣言を受諾し、太平洋戦争が停戦した8月15日。

 

その直前の8月9日に参戦してきたソ連。日ソ中立条約が有効な中での宣戦布告でした。ソ連は8月15日以降も攻撃を続けてきました。

 

ソ連軍は満州に進出。

 

うちの父方の祖父はここで捕虜となり、シベリアの収容所で亡くなりました。

 

そして樺太(現サハリン)・千島方面に進軍。

 

 

 

 

 

米英ソが戦後の利害を調整したヤルタ条約の中に、南樺太をソ連の物とすることが盛り込まれていた。しかし、スターリンは北海道北部まで軍事占領しようとしていました。

 

当時の樺太には約40万人の日本人が暮らしていた。

 

日本軍守備隊は民間人を避難させながらソ連軍と戦いましたが、約4000人もの市民も犠牲になったそうです。

 

子供や女性を乗せた引き揚げ船が、ソ連の潜水艦に攻撃された三船殉難事件などもありました。

 

日本は何度も停戦交渉を持ちかけるが、ことごとく拒否され、時には交渉に行った人を処刑する事もあったそうです。

 

ソ連兵は傍若無人で短機関銃を構えて民家に押し入っては時計や万年筆、鏡など貴重品を手当たり次第に略奪し、強姦も日常茶飯事だったそうです。

 

若い女性は髪を短く切り、作業服姿で男のふりをして日中を過ごし、押し入れか屋根裏で就寝した。ソ連兵が家に押し入ると押し入れで息を潜めた。

 

そこで若い女性が選んだのは、朝鮮人との結婚だった。女性が「強姦されるよりも嫁に行った方が良い」と思っていたからだ。

 

真岡(現ホルムスク)という町にソ連が進軍してきた時は、電信局の女性職員が集団自決する真岡郵便電信局事件などもあったそうです。

 

この戦いは1週間ほど続き、北海道の占領を引き留めることができましたが、この戦いが無かったら。。。

 

今の日本領土は変わっていたと思います。多くの犠牲の上で、今の日本がある事を忘れてはいけない。

 

ソ連がどさくさ紛れに占領した北方領土は日本の領土であることは疑いようがありません。

 

そして、 日本は南樺太の領有権を放棄したが、旧ソ連はそれに締約しなかったため、国際法上帰属未定の地となっています。

 

北緯50度以南の南樺太の領有権も旧ソ連がサンフランシスコ平和条約に署名していない以上、当時は領有権を放棄したが日本の領土です。

 

 

 

かくすれば かくなるものと知りながら 已に己れぬ 大和魂