Stanisław Skrowaczewski
スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ 究極のブルックナー
Bruckner Symphony No.8 in C minor
January21,23 ,2016 in Tokyo
東京芸術劇場コンサートホール(21th)
東京オペラシティコンサートホール(23th)
読売日本交響楽団(Yomiuri Nippon Symphony Orchestra)
来日される度に、「無事来てくださるだろうか。」と心配をし、コンサートを聴いているうちに「あと数年は絶対に大丈夫!」と思わせてくださる、マエストロ スクロヴァチェフスキ。日本でたった二回の演奏会でしたが、両日無事に聴くことができました。
両日ともにSold Out となり、満場の聴衆で埋め尽くされた会場では、スクロヴァチェフスキ登場に破れんばかりの拍手が起こります。ほとんど毎年来日されており、足取りは例年通り慎重ですが、指揮台には椅子などはなく、立ち通しで80分以上の演奏を指揮されました。
一楽章は両日ともにゆったりとしたスタートで、今まで聴いてきた演奏会に比べると抑制力があまり強くない印象を受けました。これまでの演奏会では、スクロヴァチェフスキのコントロールにオケが追いつかないこともたびたびあったように思いますが、今回は読響に自由を与え、金管が鳴り響く箇所などは、あまり手を加えないという姿勢が見えました。
他の指揮者やオケでこの曲を聴くときには、がっちりコントロールしすぎて面白味に欠けるか、途中で間延びするような運びになる演奏も多く、正直感動する8番に出会ったことがありません。
スクロヴァチェフスキがいつもの抑制力を強く掛けなかったのは、読響の能力によってこの曲の本質を表現するために必要だったのではないかと、私は思いました。
初日の池袋では全体を聴くことに集中しており、三楽章の美しさに感動しながらも、スクロヴァチェフスキに感じるいつもの興味深さというところに留まりました。
ところが、本日のオペラシティでは、三楽章のあまりの高揚に涙腺が崩壊し、そこから涙が止まらなくなってしまったのです。
私がスクロヴァチェフスキの実演を聴き始めたのは遅く、晩年のマエストロの演奏しか聴いていません。それでも、「ああ本当に出会えてよかった。今日、この場に居られて本当に幸せだった。」と心の中で噛み締めながら、涙を止められずにいました。シューボックス型のオペラシティでは、やはり音の聴こえ方が親密でダイレクトなのです。そして、読響の演奏もすばらしかった。確かに金管の揃い方は池袋の方が決まっていたけれど、アダージョの美しさと強さはこのオケでなければ聴けない。今日のブルックナー8番のアダージョは、私にとって今まで一番だったマーラー9番のアダージョを超える感銘を与え、深く深く説得されるものがありました。
池袋のラストではフライング拍手が起こり、「今日はヤメてよ~」と思っていましたが、やはり数は減ったものの拍手が起こり、マエストロもちょっとよろけてしまったので、なんとなくタイミングが悪くなったのですが、笑顔でタクトを降ろされました。
初日の後はまったく言葉を発することができませんでした。今日は、どう処理したらいいのかわからない感動がこみ上げてしまい、マエストロに一目会いたいと楽屋口で出待ちをしてしまいました。
この時にもおもしろいことが起こったのですが、若き友人の先導で、他の出入り口に向かわれたマエストロをお見送りすることができました。
唯一知っているポーランド語の「ありがとう!dziękuję!!」を何度も連呼していました。ただただこのような演奏を聴かせてくださったことに対して、心からの感謝しかありません。
もう日本では聴くことはできないのでしょうか。
いや、まだ数年は大丈夫のように思うのです。