これまでamebloにて三国志に関する記事を投稿してきましたが、諸事情によりhatena blogへ移行します。

リンクは以下の通りです。

 

もしよければブックマークお願いします!

https://kyoudan.hatenablog.jp/

 

ドラマ三国志旧版(通称:旧ドラ三国)の英文のタイトルを和訳する。今回もソースはwikipediaを参考した。

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第一部:群雄逐鹿
Part One: Heroes compete for power

【第1話】
〔日〕:桃園三結義
〔中〕:桃园三结义
〔英〕:Oath of the Peach Garden
訳:桃園の誓い

【第2話】
〔日〕:十常侍乱政
〔中〕:十常侍乱政
〔英〕:The Ten Attendants cause political turmoil
訳:10人の側近が政治に混乱を起こす

【第3話】
〔日〕:董卓覇京師
〔中〕:董卓霸京师
〔英〕:Dong Zhuo takes control of the capital
訳:董卓が首都を支配する

【第4話】
〔日〕:孟徳献刀
〔中〕:孟德献刀
〔英〕:Cao Cao presents a sword
訳:孟徳が剣を贈る

【第5話】
〔日〕:三英戦呂布
〔中〕:三英战吕布
〔英〕:The three heroes fight Lü Bu
訳:三人の英雄が呂布と戦う

【第6話】
〔日〕:連環計
〔中〕:连环计
〔英〕:The Chain-links Strategy
訳:鎖で繋ぐ計略

【第7話】
〔日〕:鳳儀亭
〔中〕:凤仪亭
〔英〕:Fengyi Pavilion
訳:別館鳳儀

【第8話】
〔日〕:三譲徐州
〔中〕:三让徐州
〔英〕:Offering Xu Province thrice
訳:三度徐州を提供する

【第9話】
〔日〕:孫策立業
〔中〕:孙策立业
〔英〕:Sun Ce builds a dynasty
訳:孫策が権門を建てる

【第10話】
〔日〕:轅門射戟
〔中〕:辕门射戟
〔英〕:Shooting an arrow through a halberd
訳:弓で鉾を射つ

【第11話】
〔日〕:宛城之戦
〔中〕:宛城之战
〔英〕:Battle of Wancheng
訳:宛城の戦い

【第12話】
〔日〕:白門楼 上
〔中〕:白门楼 (上)
〔英〕:White Gate Tower (part 1)
訳:白い門塔 第1

【第13話】
〔日〕:白門楼 下
〔中〕:白门楼 (下)
〔英〕:White Gate Tower (part 2)
訳:白い門塔 第2

【第14話】
〔日〕:煮酒論英雄
〔中〕:煮酒论英雄
〔英〕:Discussing about heroes over drinks
訳:酒を通して英雄について論じる

【第15話】
〔日〕:袁曹起兵
〔中〕:袁曹起兵
〔英〕:Yuan Shao and Cao Cao mobilise their armies
訳:袁紹と曹操が兵を準備する

【第16話】
〔日〕:関羽約三事
〔中〕:关羽约三事
〔英〕:Guan Yu lists three conditions
訳:関羽が三つの条件を望む

【第17話】
〔日〕:掛印封金
〔中〕:挂印封金
〔英〕:Returning riches and a seal
訳:大金を返還し封をする

【第18話】
〔日〕:千里走単騎
〔中〕:千里走单骑
〔英〕:A lone journey over a thousandli
訳:独りで千里以上を旅する

【第19話】
〔日〕:古城相会
〔中〕:古城相会
〔英〕:Reunion in Gucheng
訳:古城で再開する

【第20話】
〔日〕:孫策之死
〔中〕:孙策之死
〔英〕:Sun Ce's death
訳:孫策の死

【第21話】
〔日〕:官渡之戦 上
〔中〕:官渡之战 (上)
〔英〕:Battle of Guandu (part 1)
訳:官渡の戦い 第1

【第22話】
〔日〕:Battle of Guandu (part 2)
〔中〕:官渡之戦 下 
〔英〕:官渡之战 (下)
訳:官渡の戦い 第2

【第23話】
〔日〕:大破袁紹
〔中〕:大破袁绍
〔英〕:Yuan Shao is defeated
訳:袁紹が打ち負かされる

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第二部:赤壁鏖战
Part Two: The Battle of Red Cliffs

【第24話】
〔日〕:跳馬檀渓
〔中〕:跃马檀溪
〔英〕:Leaping across the Tan Stream on horseback
訳:馬に乗り檀渓を飛び越える

【第25話】
〔日〕:劉備求賢
〔中〕:刘备求贤
〔英〕:Liu Bei seeks the wise
訳:劉備が賢者を探す

【第26話】
〔日〕:回馬荐諸葛
〔中〕:回马荐诸葛
〔英〕:Turning back to recommend Zhuge Liang
訳:諸葛を推薦するため引き返す

【第27話】
〔日〕:三顧矛盧
〔中〕:三顾茅庐
〔英〕:Three visits to the thatched cottage
訳:草葺きの小屋に三度訪れる

【第28話】
〔日〕:火焼博望坡
〔中〕:火烧博望坡
〔英〕:Inferno at Bowang Slope
訳:博望坂の大火災

【第29話】
〔日〕:携民渡江
〔中〕:携民渡江
〔英〕:Assisting the people across the river
訳:川を渡って人々を救援する

【第30話】
〔日〕:舌戦群儒
〔中〕:舌战群儒
〔英〕:Arguing with the scholars
訳:学者と議論する

【第31話】
〔日〕:智激周瑜
〔中〕:智激周瑜
〔英〕:Cleverly instigating Zhou Yu
訳:周瑜を賢く扇動する

【第32話】
〔日〕:周瑜空設計
〔中〕:周瑜空设计
〔英〕:Zhou Yu's plan goes to waste
訳:周瑜の計画を無駄にする

【第33話】
〔日〕:群英会
〔中〕:群英会
〔英〕:The Heroes' Gathering
訳:英雄の集会

【第34話】
〔日〕:草船借箭
〔中〕:草船借箭
〔英〕:Borrowing arrows with straw boats
訳:藁の小舟で矢を借りる

【第35話】
〔日〕:苦肉計
〔中〕:苦肉计
〔英〕:The Self-torture Ruse
訳:苦行の計略

【第36話】
〔日〕:龐統献連環
〔中〕:庞统献连环
〔英〕:Pang Tong presents the Chain-links Strategy
訳:龐統が鎖で繋ぐ計略を提示する

【第37話】
〔日〕:横槊賦詩
〔中〕:横槊赋诗
〔英〕:Thrusting a spear and composing a poem
訳:槍を突いて、詩を作る

【第38話】
〔日〕:諸葛祭風
〔中〕:诸葛祭风
〔英〕:Zhuge Liang prays for the wind
訳:諸葛が、風を祈る

【第39話】
〔日〕:火焼赤壁
〔中〕:火烧赤壁
〔英〕:Burning of the Red Cliffs
訳:赤壁の燃焼

【第40話】
〔日〕:智取南郡
〔中〕:智取南郡
〔英〕:Seizing Nan Commandery by wit
訳:知恵によって南郡を掴む

【第41話】
〔日〕:力奪四郡
〔中〕:力夺四郡
〔英〕:Conquering the four commanderies
訳:4つの郡を征服する

【第42話】
〔日〕:美人計
〔中〕:美人计
〔英〕:The Beauty Scheme
訳:美人の計画

【第43話】
〔日〕:甘露寺
〔中〕:甘露寺
〔英〕:Ganlu Temple
訳:甘露寺

【第44話】
〔日〕:回荆州
〔中〕:回荆州
〔英〕:Return to Jing Province
訳:荊州へ帰還する

【第45話】
〔日〕:三気周瑜
〔中〕:三气周瑜
〔英〕:Zhou Yu is infuriated thrice
訳:周瑜が三度激怒する

【第46話】
〔日〕:臥龍吊孝
〔中〕:卧龙吊孝
〔英〕:The Crouching Dragon attends a funeral
訳:屈する竜が葬式に参列する

【第47話】
〔日〕:割鬚棄袍
〔中〕:割须弃袍
〔英〕:Slicing off beard and discarding robe
訳:あごひげを切りローブを捨てる

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第三部:三国鼎立
Part Three: Emergence of the Three Kingdoms

【第48話】
〔日〕:張松献図
〔中〕:张松献图
〔英〕:Zhang Song presents a map
訳:張松が地図を贈る

【第49話】
〔日〕:劉備入川
〔中〕:刘备入川
〔英〕:Liu Bei enters Sichuan
訳:劉備が四川に入る

【第50話】
〔日〕:鳳雛落坡
〔中〕:凤雏落坡
〔英〕:The Phoenix falls at a slope
訳:鳳凰が斜面に落ちる

【第51話】
〔日〕:義釈厳顔
〔中〕:义释严颜
〔英〕:Righteously releasing Yan Yan
訳:厳顔を公正な態度で釈放する

【第52話】
〔日〕:奪占西川
〔中〕:夺战西川
〔英〕:Conquering western Sichuan
訳:四川の西部を征服する

【第53話】
〔日〕:単刀赴会
〔中〕:单刀赴会
〔英〕:Attending a banquet alone and armed with only a blade
訳:独りで宴会に出席し、刀だけで武装する

【第54話】
〔日〕:合肥会戦
〔中〕:合肥会战
〔英〕:Battle of Hefei
訳:合肥の戦い

【第55話】
〔日〕:立嗣之争
〔中〕:立嗣之争
〔英〕:Contention for the succession
訳:継承のための議論

【第56話】
〔日〕:定軍山
〔中〕:定军山
〔英〕:Mount Dingjun
訳:定軍山

【第57話】
〔日〕:巧取漢中
〔中〕:巧取汉中
〔英〕:Strategic capture of Hanzhong
訳:漢中の戦略的に占領する

【第58話】
〔日〕:水淹七軍
〔中〕:水淹七军
〔英〕:Drowning the seven armies
訳:7つの軍を溺死させる

【第59話】
〔日〕:走麦城
〔中〕:走麦城
〔英〕:Leaving Maicheng
訳:麦城を去る

【第60話】
〔日〕:曹操之死
〔中〕:曹操之死
〔英〕:Cao Cao's death
訳:曹操の死

【第61話】
〔日〕:曹丕簒漢
〔中〕:曹丕篡汉
〔英〕:Cao Pi usurps the Han throne
訳:曹丕が漢帝権を奪う

【第62話】
〔日〕:興兵伐呉
〔中〕:兴兵伐吴
〔英〕:Campaign against Wu
訳:呉を反対する運動

【第63話】
〔日〕:火焼連営
〔中〕:火烧连营
〔英〕:Burning of the linked camps
訳:連なる駐屯地の燃焼

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第四部:南征北战
Part Four: Battles in the south and north

【第64話】
〔日〕:安居平五路
〔中〕:安居平五路
〔英〕:Calmly holding off five enemy forces
訳:5つの敵軍を静かに控える

【第65話】
〔日〕:兵渡濾水
〔中〕:兵渡泸水
〔英〕:Troops cross the Lu River
訳:軍隊が廬川を渡る

【第66話】
〔日〕:絶路問津
〔中〕:绝路问津
〔英〕:Seeking a path out in dire straits
訳:ひどい苦境で経路を捜す

【第67話】
〔日〕:七檎孟獲
〔中〕:七擒孟获
〔英〕:Meng Huo is captured seven times
訳:孟獲は7回捕えられる

【第68話】
〔日〕:出師北伐
〔中〕:出师北伐
〔英〕:Northern Expedition
訳:北への遠征

【第69話】
〔日〕:収姜維
〔中〕:收姜维
〔英〕:Winning over Jiang Wei
訳:姜維を味方につける

【第70話】
〔日〕:司馬復出
〔中〕:司马复出
〔英〕:Sima Yi returns
訳:司馬の復帰

【第71話】
〔日〕:空城退戦
〔中〕:空城退敌
〔英〕:Empty Fort Strategy
訳:空の城砦の計略

【第72話】
〔日〕:司馬取印
〔中〕:司马取印
〔英〕:Sima Yi obtains a seal
訳:司馬を印の獲得する

【第73話】
〔日〕:祁山闘智
〔中〕:祁山斗智
〔英〕:Battle of wits at Mount Qi
訳:祁山の知力の戦い

【第74話】
〔日〕:諸葛妝神
〔中〕:诸葛妆神
〔英〕:Zhuge Liang disguises himself as a god
訳:諸葛は、神として変装する

【第75話】
〔日〕:六出祁山
〔中〕:六出祁山
〔英〕:Six campaigns on Mount Qi
訳:六度祁山で戦闘をする

【第76話】
〔日〕:火焼上方谷
〔中〕:火熄上方谷
〔英〕:The fire is extinguished in Shangfang Valley
訳:火は上方谷で消される

【第77話】
〔日〕:秋風五丈原
〔中〕:秋风五丈原
〔英〕:Autumn winds on the Wuzhang Plains
訳:五丈原の秋風

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第五部:三分归一
Part Five: Three united as one

【第78話】
〔日〕:詐病賺曹爽
〔中〕:诈病赚曹爽
〔英〕:Feigning illness to trick Cao Shuang
訳:病気と装い曹爽を騙す

【第79話】
〔日〕:呉宮干戈
〔中〕:吴宫干戈
〔英〕:Conflict in the Wu palace
訳:呉宮殿の対立

【第79話】
〔日〕:兵困鉄籠山
〔中〕:兵困铁笼山
〔英〕:Siege of Mount Tielong
訳:鉄籠山の包囲

【第80話】
〔日〕:司馬昭弑君
〔中〕:司马昭弑君
〔英〕:Sima Zhao commits regicide
訳:司馬昭が国王を殺害する

【第81話】
〔日〕:九伐中原
〔中〕:九伐中原
〔英〕:Nine campaigns on the Central Plains
訳:九度中央平野で戦闘する

【第82話】
〔日〕:倫渡陰平
〔中〕:偷渡阴平
〔英〕:Stealth march to Yinping
訳:陰平へ忍んで行進する

【第83話】
〔日〕:三分帰晋
〔中〕:三分归晋
〔英〕:Three united under Jin
訳:三国が晋の下で一体となる

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英語で表現出来ない単語は類義語を代用して表現している。そのため英文での意味が本来より大きく変わってしまっている。それと比べ日本は中国と同じ漢字を使うため、字を変える必要がなく、一切変化していない。同じ文化圏内にあり、語彙が豊富なので、三国志本質を変えることなく楽しめることが出来るのである。とてもありがたいことだ。




1/8(火)にJR大阪駅南ゲート広場にてランタンオブジェが展示公開された。今回はランタンの点灯式を見に行った。

「2013長崎ランタンフェスティバル」の知名度を広げるために長崎市とハウステンボス、JR西日本がタイアップで「光と灯 光福の街、長崎へ」と題するキャンペーンが1/8(火)よりJR大阪駅南ゲート広場にて始まった。大阪駅は1日80万人もの人に利用されているため、告知をするにはうってつけの場所であるようだ。そのため、そこで長崎ランタンフェスティバルで実際に展示されているランタンオブジェを展示することにより、その目的を遂行出来るそうだ。

前日の1/7(月)の深夜にTwitterにて「長崎市観光推進課(@nagasakikanko)」のツイートを偶然目にし、今回のことを知った。その内容を以下に引用する。
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【ランタンフェスティバル情報】
な、なんとJR大阪駅南ゲート広場にランタンオブジェが登場!登場は三国志の英雄関羽が愛馬赤兎馬にまたがったオブジェ「馬上関羽」!明日1/8(火)16:45~点灯式開催!「変面」披露も! #長崎 #長崎ランタン pic.twitter.com/CFKvYiaa
2013年1月7日  18:45
https://twitter.com/nagasakikanko/status/288235000837591042

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ランタンオブジェは馬上関羽、つまり赤兎馬に乗った関羽の像が展示されるそうだ。(※会場に行って分かったことであるが、馬上関羽の像しか展示はされていない。つまり他のオブジェは一切展示されていない。)それに伴い、点灯式と中国伝統芸である変面も行われるようだ。

さてキャンペーンの詳細である。

【ランタンオブジェ】
・馬上関羽(高さ3.5m)
【開催日時】
・1/8(火)16:45~17:20
【設置期間】
・1/8(火)から1/28(月)まで 21日間
【設置場所】
・JR大阪駅南ゲート広場
【点灯式出席者】(敬称略)
・長崎県観光連盟会長 野﨑元治
・長崎市市長 田上富久
・長崎商工会議所会頭 上田惠三
・関西大阪長崎県人会会長 塚本政治
・JR西日本近畿統括本部大阪支社次長 本田博己
・JR西日本大阪駅駅長 今川正和

【変面演者】
・姜鵬(キョウホウ)
※プロフィール

姜鵬 ,中国の山東省出身で、幼い頃から中国の川劇変面という演劇を学び、16歳の時にはすでに変面小天王と呼ばれ、現在は長崎領事館の中日友好関係文化交流活動に協力している。


短い期間であるが、JR大阪駅に立ち寄られる際は、一目関羽像を見てはいかがだろうか。


教団's Rot-点灯式

教団's Rot-点灯式

教団's Rot-点灯式

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教団's Rot-点灯式

教団's Rot-点灯式






--外部リンク------------------
・芸能人中国川劇変面王-姜鵬
http://profile.ameba.jp/jiangpeng/

・川劇变面-姜鵬
http://jiang1091.blog.163.com/

・鹏 姜(アップロード動画)
http://www.youtube.com/user/cnjiangpeng/videos?view=0&flow=grid

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10/27(土)に国立国会図書館 関西館で金文京 教授(京都大学人文科学研究所)による「東アジアの三国志演義 」と題した講演会が開催された。

その講演は10/18(木)~11/20(火)まで関西館の地下1階総合閲覧室にて行われている「時空をかける三国志―日本・中国における三国志演義の展開 」と題する展示会に伴い、関連イベントとして開催されたそうだ。

さて、この講演会は事前登録が必要で、必要事項を明記した上で、メールまたはFAXで応募をしないといけない。先着順で定員が70名であった。

今回のレポは、金文京先生の講演会の要約と展示会についての感想を中心にまとめ、個人的な行動の記述もする。以下はメールで送られた、当日のタイムスケジュールである。後ほど順を追っいく。

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■当日のスケジュール
13:30~ 受付け開始(1階第1地研修室前)
14:00~ 挨拶・諸注意
14:05~ 講演「東アジアの三国志演義」
15:30~ 質疑応答
16:00  講演会終了
16:05~ 見学会(スライド上映による見どころ紹介・展示の見学)
17:00  解散
(NDL関西館展示小委員会からのメールより引用)
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地元のJRの駅から近鉄けいはんな線学研奈良登美ヶ丘駅まで移動。途中3回、天王寺、鶴橋、生駒駅で乗り換えを行う。登美ヶ丘駅の南にあるバス停から「光台一丁目」まで乗車する。このバスは1時間に4本しかないため、事前に調査することをオススメする。なお駅北側にはイオンがあるので買い物などである程度時間は消化出来る。

教団's Rot-NDL


バスは一律200円ではなく区間料金なので、ご注意を。【登美ヶ丘←→光台一丁目】の運賃は230円が必要である。道が混んでいたこともあり、関西館までにはバスでは20分程で到着した。(自宅より片道2時間半・・・)

 

教団's Rot-NDL


13:00。関西館内に入る。直進する通路と、地下1階に進む階段がある。会場へは直進し突き当たりを右に曲がった所にある第一研究室で開催される。受付は13:30からとされていたが、13:05からでも受付は可能であった。
会場はとても広く、2人掛けの縦約50cm横100cm机が36台(横3列×縦12列)、椅子が72脚が並んでいた。机の上には今回の資料であるプリント数種と、小冊子、手提げ状のポリ袋、番号の印字されている名札が置いてあった。担当者曰く「席はどこでも好きな場所にお座り下さい」とのこと。どうやらスライドを使用して説明がされると読み、正面向かって右から3番目、前より2列目の席を陣取る。そしてカバンを机に置き、図書館内の散策をしに研修室を後にする。

 

 

教団's Rot-NDL


入口に入った立看板やエレベーター内など、いたるところに『時空をかける三国志』のポスターが掲載されてあった。金文京先生の講演会についての告知をするものと、展示についてのものであった。後者のポスターの内容は今後関西館に足を運ばれる方は是非参考にして頂きたいと思い、引用をする。

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「時空をかける三国志」見どころ解説
・職員が小展示の見どころを解説します
・定刻に入退館ゲート前にお越し下さい。(事前申込不要)
・時間は20分程度です。
・参加は無料です。

開催予定
11月5日(月)14:00~
11月9日(金)12:40~
11月12日(月)14:00~
11月17日(土)14:00~、16:00~
11月18日(日)10:30~、11:30~、12:30~、13:30~、14:30~、15:30~
11月19日(月)14:00~

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上記の通り来月中に複数回、展示資料について解説が行われるそうだ。遠方または学生にとっては、平日がほとんどのため参加するのは難しいと思うが、もし可能ならば土日にでも足を運んで頂きたい。

さてある程度散策が済んだところで、利用者登録をしようと思い地下1階の受付へと向かう。そこで清岡さん朝霧さん に受付を挟んで出会う。彼らは上に行くと言い4階へ移動。こちらは手続きを済ませ、1階の研修室に書類を置きに戻り(中略)4階へと向かった。※4階に上がる際は、地下1階のエレベーターからしか移動出来ず、利用者登録または一時利用のカードが必要。

4階へ向かったが飲み物を飲み終わったお二人と一緒に、即刻地下1階へと引き返すのであった。そして1階研修室に移動し時間まで少しの間、twitterでNPO三国志フォーラム の発信した『ケロケロエース12月号 』についての情報を起床してスグ目にした教団が、関西館に来る前に購入したことや、朝霧さんが出張で関西にいらっしゃったことなど談話する。いつもKOBE三国志ガーデン でお世話になっているあきさんふじやんさん 、サカイ(R・F)さんが会場へ到着されたりもした。

14:00。司会のツカダさんにより簡単な挨拶が行われた。用意されていた席はほとんど埋まり、空席は4席しかなかった。

14:01。館長の石川さんの挨拶が続く。国会図書館関西館の2002年からの経歴や活動についての紹介が行われた。小展示は年に3回しか開催されておらず、関西館の10周年とイベントとして初の小展示と関連した講演が今回行うそうだ。小展示『時空をかける三国志』に伴い、金文京先生の『東アジアの三国志演義』が初めてということである。つまり初めては三国志。これは嬉しい限りだ。さて話は金文京先生の紹介へと変わり、今回の講演内容の趣旨が話された。

14:08。再び司会にマイクが移る。手元の資料についての確認が行われた。資料は全部で7種類あり、①講演会のプログラム×1枚、②『東アジアの三国志演義』のレジュメ×3枚、③講師紹介×1枚、④講演会のアンケート×1枚、⑤バス停留所の案内×1枚、⑥『時空をかける三国志』展示資料リスト×1部、⑦国際シンポジウムの案内×1枚、計8枚と1部であると説明される。資料は全てA4サイズであった。そしてアンケートの回収と携帯電話の設定、また録音や撮影は関係者以外禁止とのことが伝えられた。

 

 

教団's Rot-NDL

 


14:10。いよいよ金文京先生の公演が始まる。以下がレジュメの見出しである。

一.元代の『三国志平話』
・建安虞氏刊『三国志平(評)話』
・建安書堂刊『至元新刊全相三分事略』
二.明代の『三国志演義』
・嘉靖本『三国志通俗演義』24巻
・葉逢春刊『新刊通俗演義三国志史伝』10巻
・成化本説唱詞話『花関索伝』
・南京万巻楼周曰校刊『新刻後世古本音釈三国志通俗演義』12巻
・福建系統の『三国志伝』20巻繁本
・福建系統の『三国志伝』20巻簡本
・明台における『三国志演義』の性格
・満州語訳『三国志演義』
三.朝鮮の『三国志演義』
四.日本の『三国志演義』

三国志演義は「どのように生まれ、どのように広まったか、どの様な特色があるのか」が今回の講演の軸であり、「今まで講演した中で今日が一番専門的な内容である。」と金先生。三国志演義は世界各国で翻訳され好まれて読まれているが、特に東アジア(日本や朝鮮半島、ベトナム)などの漢字文化では古くから関係が深い。中国以上に三国志の文献が現存するそうだ。

 

 

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まずは羅貫中についてである。彼が三国志演義を"書いた"とされているが、その証拠がないそうだ。また"書いていない"とする証拠もないので、演義に「羅貫中」と記述があったので、取り敢えず作者とされている。また彼は14世紀末に作成したが、それ以前に元となる『至治新刊全相平話三国志』(※至治・・・1321年~1323年)という歴史小説が残っている。元が国を治めていた時に出来たこの小説が一番古いものである。ちなみに「全相」とは「全:全部、相:絵がある」ということで全てのページの上半分には精巧な絵であり、下半分が文章となっている。これは「連環画」の原形であるそうだ。「平話」とは「評」の言偏が省略されて「平」と記述されている。つまり「へいわ」ではなく「ひょうわ」が本来の形とのことだ。さて「平(評)話」の意味は「歴史事実に対し評論をしたり話をする」ということであろうと考えられている。

また今の三国志の原形であっても大きくと異なる部分があるそうだ。
①物語の始まりが違う。現在広く読まれている三国志は後漢末の「黄巾の乱」から始まり桃園結義へと続く。一方平話は「冥土の裁判」つまり劉邦や韓信、彭越と英布が死後、冥土で裁判を受け劉備や曹操、孫堅、献帝へと転生するところから始まるのである。平話はシリーズものであるのが理由だそうだ。そもそも平話は三国志だけではなく、周や秦、前漢など各時代ごとに平話があるそうで、それらは内容が繋がっており前漢平話で活躍した劉封が、死んで生まれ変わり三国志平話の冒頭に登場するのである。

②物語の終わりが違う。現代の三国志は蜀、魏、呉が順に滅び「晋」が三国を統一して終わるが、平話では晋王朝を匈奴の劉淵により滅ぼされ漢王朝が復興して終わる。蜀が滅んでBadEndではなく、漢王朝を復興させてHappyEndとなっている。これは蜀が好きな人にとっては嬉しい終わり方に違いないだろう。個人的にもこの終わり方を採用して欲しいものである。劉淵が漢王朝を復興させたのは歴史的事実であるが、彼は劉備と血縁関係がなくさらには漢民族ではない。匈奴の遊牧民族だそうだ。この遊牧民族は漢の時代に政略結婚をしていたので、劉姓を名乗っていたそうだ。つまり彼の復興させた漢王朝は劉備の思い願っていた漢王朝とは異なる。しかし平話には劉淵が匈奴出身であるということが書いておらず、子孫の劉淵が漢王朝を復興させたとあるらしい。このことにはどのような意味があるのか金先生は以下のことを仰った。

平話が出た元王朝はモンゴル人が中国全土を支配した。このことは漢民族には相当ショックであったので、知識人達は武力では敵わないので、文化で勝とうと考えたそうだ。モンゴル人を中国の文化で中国化させ、モンゴル王朝を歴代の中国王朝を継承しているという風に働きかけた。元が滅ぼした宋(南宋)は漢王朝を深い関わりがあったため、モンゴル人は異民族であるが、中国の正統な王朝を継承した、としたいがために、異民族の劉淵を利用して歴史的に辻褄を合せたのではないかと考えれるそうだ。民族を選ぶのか、中国の正当性を選ぶのか、ということがこの劉淵に反映されているとのことである。

なぜ劉淵による漢王朝復興ではなく、晋王朝統一で三国志の結末を大きく変えたのか。それは明王朝はモンゴル人を追い出し、漢民族が作った王朝だからである。異民族が漢民族の正統を受け継ぐ事は受け入れられないからである。匈奴の劉淵は漢王朝を興すのは受け入れられいが故に結末を変えざるを得なかったそうだ。

『至治新刊全相平話三国志』は中国にはなく日本にしかない。それも日本国立公文書館内閣文庫にしか所蔵されていないそうである。タイトルが異なるが同じ内容の本があるそうだ。それは『至元新刊全相三分事略』であり、これもまた中国にはなく日本の天理図書館にしかない。面白い事に、三国志演義以前の古い小説は日本にしか残っていないのである。それもどちらも中国には残っておらず、世界でたった1つしかない。平話の方が三分事略より絵が精巧で字が綺麗に書かれいる。逆に言うならば三分事略の絵は大雑把で、誤字が多い。つまり平話の後にそれが作成されたとされる。

中国には平話や三分事略は存在していない。どちらも日本にあるという事は先述の通りだ。しかし、それらは日本にあるものの、"読んだ"という明確な記録はまだ見つかっていないそうだ。だがそれらについて言及した最も古い記録が残っているとのこと。それも中国には残っておらず、今度は14世紀末の朝鮮の高麗の時代だそうだ。それは『老乞大』に記述がされている。当時の朝鮮は元の属国であったため、商人は元に商売を行なった。『老乞大』とは朝鮮で使用された中国語の教科書である。老とはよく知っているを意味し、乞大とは中国を意味する。すなわち『老乞大』とは中国通と意味するそうだ。その内容で北京の本屋で本を購入する場面があり「三国志評話」の名が述されているのである。また中国では『三国志通俗演義』(1522年)の序文に「三国志評話」と記述されている。
つまり最古のテキストは日本にあり、最古の記述は韓国、という奇妙な関係である。

話は人物へと移る。平話における劉備の武器は二刀流で、関羽は青龍刀を、張飛は槍を持っている。中国では二刀流は女性が扱うそうだ。京劇でも女性が使うそうだ。演義上の劉備はすぐに泣いたり慌てふためいたりと女々しい人物のように描写がされているので、それが原因なのかもしれない。市川猿之助のスーパー歌舞伎『新三国志』には劉備が女性という設定だそうだ。

『嘉靖本』について。挿絵が一切なく、声点がある。声点とは四声を表し『種』に声点があれば名詞の種なのか動詞の植えるか意味が変化するそうだ。声点が付いている書物の多くは宮廷で出した多く、嘉靖本は明の宮廷が出した本がもとになっている可能性があるそうだ。

 

 

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※赤○が声点

1548年に出版されたであろう葉逢春刊『新刊通俗演義三国志史伝』。こちらは嘉靖本と異なり、挿絵がある。この本はスペインのエスコリアル王立修道院図書館に収蔵されているそうだ。おそらく大航海時代のお土産に商人が国王へ献上したもので、異国の文化を絵を通して知ることが出来るので以外にも重要視されたとか。この本は今で言う絵本と扱われ、子どもが読むものであると軽視されていたため、これも中国国内には残っていないそうだ。

『花関索伝』について。1967年に上海の墓より出土する。まずページ構造は平話と同様で、上に挿絵があり下が文章となっている。この花関索伝は三国志を考える上で重要な物語である。関索は三国志演義を翻訳した小説でしか登場しておらず、謎の多い人物である。彼は南蛮遠征の際に急に登場し、そしてスグに作中より姿を消すのである。金先生曰く、「関索が登場するとお分かりの方は相当の三国志ファンである。」ご存知の通り彼は架空の人物である。しかし彼を主人公とした物語『新編全相説唱足本花関索認父傅』が存在する。こちらも全相と言うことで挿絵が上半分にある。「説唱」とは語り物(セリフと歌)で浄瑠璃の様なものである。ちなみに内容は桃太郎や金太郎といった勧善懲悪で盗賊や敵討ちを行う英雄叙事詩。途中までは三国志とは全く関係のない話であるが、後半からは三国志絡みとなるため、関索伝が三国志演義と何らかの関係があるとされ、研究が進展したそうだ。

明末期では三国志平話や演義以降に様々な類似した小説が多く広まる。本屋が特色のある三国志演義をそれぞれ出版したことに競争が激化する。そこで余象斗という本屋は『按鑑比点演義全像三国志』と「自分の店が出した三国志が一番いいぞ!!」と宣伝文句を表紙に記し、他店の三国志演義との差別化を図ったりしたそうだ。また周曰校(しゅうえつこう)が出版した右のページが文章で左のページが挿絵の入った少し高級な本も出回ったそうだ。また以下のような特色をもった本もある。

『新刻湯学士校正古本按鑑演義全像通俗三国志傅』。これは湯学士が校正したとされており、学者が分かりやすく、挿絵もあるということを宣伝にしているのである。しかしながらどうも疑うべき事があるそうだ。我々は作文を書く際は、1列目にタイトル、改行をしてして氏名、改行して見出しまたは本文を書く。この当時の中国も同様に記述をしなければならないが、湯学士本は見出しの下に「校正:湯賓尹(とうひんい)」と名前が記載されている。これは明らかに名前を後から挿入したものではないかと、見て分かる。ちなみに湯学士こと湯賓尹は科挙の成績が会試では主席、殿試では二番と非常に優秀である。つまり彼は権威がある。そのため本屋は売る方法として、勝手にその人の名を使用し、お墨付きを貰ったことにしたそうだ。

何故か北京図書館にはこの湯学士本が2種類収蔵されているそうだ。日本には国立公文書内閣文庫と天理図書館に似たような本が収蔵されているのと同様である。1つは上記の『湯学士』が校正したものであり、もう1つは湯ではなく『楊学士』と記述されている。同じ本でも単なる誤字かもしれない。しかしながら実際に楊守勤(ようしゅきん)という人物が実在していたそうである。彼は殿試を主席で合格しているため、こちらの可能性も否めない。そのためどちらが先でどちらが後なのか断言は出来ない。しかしどちらも本屋による仕業であることには変わりがない。

三国志演義以外に2種類も科挙で優秀な成績を修めた人物が監修したとされる本が現存しているそうである。三国志演義と合わせると4種類ということになる。このことにより三国志は科挙の受験生を主な読者とした受験参考書のジャンルの本であったと考えられるそうだ。この時代三国志と並んで人気のあった小説は『水滸伝』である。

しかし水滸伝は科挙のトップの合格者による批判は行われていないが、李卓吾など異端の思想者が批判をする。ところが三国志は少なくとも科挙の受験で合格した人物が監修している。さらに三国志だけが宮廷より出版も行われているので、その点を踏まえると別格である。しかし人気になるにつれ、水滸伝や最遊記と同格になっていくのである。三国志や水滸伝はどちらも人気の本である。上が水滸伝、下が三国志が印字された合刻本までもが登場するようになる。この場合は下に記述されている物語が格上扱いを受けるそうである。

さて話は1650年出版の満州語訳『三国志演義』に変わった。満州語訳の底本は嘉靖本で、おそらく明の内府本が利用されたと思われる。三国志が外国語に翻訳された初めての小説である。何故満州人が三国志を翻訳したのか。三国志が当時有名な小説であったことが1つ。もう1つが明が滅んで清を建てた時、モンゴルは中国側なのか、それとも満洲に付くのかという動向を操作するためである。モンゴルの勢力は強大である。そのためモンゴルを手懐ける策として三国志を利用。「満洲人は劉備、モンゴル人は関羽であり、義兄弟だ」という逸話賀邵会された。ただし信憑性はないそうだ。


このことにより清王朝時代は異民族でも三国志や劉備や諸葛亮の活躍は知っていたのではと推測をすることが出来る。

また満洲は中国を攻める前に朝鮮を攻め、中国に降る。そして中国は朝鮮に対して三国志の本があれば献上しろと強要するのであった。

朝鮮半島に三国志が入ったのは1569年以前だとされている。国王について記述されている『宣祖実録』に、その年の6月20日についての内容が記されているそうである。十何歳かの国王が「張飛が一喝したら一万人の兵士が全員逃げた」と臣下の命令書へ文句を書いた。臣下は「小説を読んではいけない。」と諌める。という逸話が残っている。また『周曰校本』が復刻されていたそうである。

さらに2年程前に銅活字本が朝鮮で発見されたそうだ。日本と中国は主に木版で印刷されていた。金属版もあったそうだが、漢字を彫るのが大変な労力であったために広まらなかった。なぜ活字かと分かるかというと、技術上表面を平らにするのは技術的に難しく、隙間が出来、その結果墨が均一に付かず、濃淡が出来てしまう。また枠に隙間が出来てしまうのも、見分けるポイントだそうだ。木版ではこれらのことは起こらないとのことである。巻八を上下に分けたものが、朝鮮に存在するそうだ。中国から入った時に分けられたのか、朝鮮で分けたのかは、未明とのことである。

『ハングル訳三国志演義』について。男は漢字を読み書きするが女はハングルを使用したそうだ。これは女性を対象にした本で、忠実に訳されている。もちろん漢字の表記は皆無。

また韓国には臥龍廟や多くの関帝廟がある。ソウルの東廟には関羽と関羽の妻が一緒に並べて祀られている。これは中国にも日本にもない。朝鮮だけである。なぜ朝鮮半島に多くの関帝廟があるのか。理由は豊臣秀吉が朝鮮出兵で攻めてきた時に、中国が援軍を送ったことに理由がある。中国の兵士は関羽を信仰しているがために、朝鮮に命令し、仕方なく各地に作った。

最後に日本の三国志についてである。『通俗三国志』が元禄5年(1692年)に満洲語訳に次いで、古い翻訳書である。江戸時代に登場し多くの人々に読まれ、その後天保7年(1836年)に葛飾戴斗により絵が付けられ『絵本通俗三国志』が登場する。さて通俗三国志の冒頭には『通俗三国志或問』という項目で、朝鮮の柳成龍の関帝廟の記述がある。冒頭に朝鮮の記述があるということで、三国志は朝鮮を経由して日本に入ったのではないかと推測が出来るそうだ。

以上の様に東アジア全体で中国の三国志が中国人以上に広く読まれている。さらに国ごとによって特徴が異なる。三国志平話は元の時代の政治情勢を、三国志演義は明の時代の政治情勢を反映している。また明末から清初頭には三国志演義を政治のツールとして利用していたりと、中国は政治的背景が強い。一方日本は政治的な意図や、現在の政治状況に照らし合わせて読むのではなく、単に中国の昔話として娯楽として読まれている。韓国では三国志は豊臣秀吉の朝鮮出兵や明軍の援軍の中から三国志を読まれ始め、現は日本と同様に娯楽として読まれている。

15:40。予定されていた時刻より10分遅れて質疑応答が始まる。
Q.ソウルの東廟で関羽夫妻が祀られているが、韓国の民間信仰や宗教が反映されている可能性はあるか?また中国に対しては表向きは関羽を祀っているが、裏では別の神を祀っている可能性があるか?

A.臥龍廟には諸葛亮だけではなく、関羽の像や劉備の像がある。表向きは諸葛亮の廟であるが、実際は韓国の巫女が来て儀式をそこで行うので、今は混合している。

16:00。講演会が終了し、16:05より展示の見学会が行われた。ネタバレを避けるためにも展示会の詳細は記述せずに、大まかな項目を紹介する。興味がある方は是非関西館まで。

第1部入門:「連環画」でたどる三国志演義
第2部中国・アジアにおける三国志演義
第3部日本における三国志演義

第1・2部は古い資料や外国の資料ばかりが並んであった。連環画のみショーケースで展示されていて、読むことは出来なかったが後は全て閲覧が可能であった。花関索傳や、平話、学会誌などなど多種多様の貴重な資料ばかりで充実していた。第3部は個人的な感想を述べると、恋姫無双はアンソロジーではなく本家を準備して頂きたかった。それ以外は本当に満足である。

予定されていた時刻通り17:00に解散となった。この後に清岡さんとサカイ(R・F)さんと張茂さん と感想や意見を述べ合った。それぞれが目標を遂行出来たようだ。その後バス停にてバスを待っていた、あきさんとふじやんさんと合流し、祝園駅から西大寺駅まで移動し、清岡さんオススメのフランス菓子ガトー・ド・ボワ さんに行くこととなった。そこで様々な話をしたが、内容が多すぎるために割愛をして、今回は終了とする。追記としてその内容に言及しようと現段階では考えている。

 

 

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※11/2(金)追記
ガトー・ド・ボワさんに入って、各々ケーキやドリンクを注文する。ケーキの名称が難しいので、見た目で注文を。注文後はテーブル席へと移動し、運ばれて来るのを待ちながら、Mini三国志フェスで3回も乾杯をしたことや、総合三国志同盟のオフ会や三国志街道の集い、またKOBE三国志ガーデンで、どのように乾杯をするかについて話をする。どこも乾杯の音頭は『生まれたときは違えども、願わくば同年同月同日に死なんことを』である。最近は一部で『短歌行』の一節を使って行われる、という情報も出た。
さてコーヒーや紅茶、ケーキが順に運ばれたところで、乾杯を。もちろん三国志を絡めて・・・といきたいところであったが、普通に乾杯を行なった。至って普通である。

まず清岡さんはノートパソコンをカバンより取り出し、以前Mini三国志フェスで発表された、「連環画」について横山光輝三国志と比較しながら説明をされた。あきよんさんとふじやんさんは横山光輝三国志が好きなので、真剣にきよおかさんの話に耳を傾けていた。Mini三国志フェスでは時間の都合上、巻いて3分で発表されたいたので、改めてゆっくりとパワーポイントの図像を見て、お話を聞くことが出来たので勉強になった。

 

 

 

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次いで上記でも述べたように、関西館へ来る前に地元の本屋で購入した『ケロケロエース12月号』について、話題が移行する。朝起きてスグにNPO三国志フォーラム(@sangokushiforum)がtwitterで発信した以下のツイートを読んだ教団が、何の躊躇いもなく購入する。もちろん三国志に関する特集が掲載されているからである。
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10/26発売『ケロケロエース』12月号に「超特別大ふろく!/ケロケロエースだけの特別仕様。諸葛亮を含む50枚フルデッキ!」「三国志の世界を紹介/三国志大戦TCGの元ネタの三国志を知れば、もっとゲームが面白く!」 )
【https://twitter.com/sangokushiforum/status/261955481701068800】

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三国志大戦TCGスターターセット50枚が付録としてあり、本誌には三国志対戦について巻頭カラーで19ページも三国志大戦の特集がされていた。諸葛亮を軸に構成された蜀のみのバランスのとれたデッキであるそうだ。(※三国志大戦はカードを1枚も所有していないし、やったことすらない。)また「発見!こんなところに三国志!!」とコラムがあり、日本各地にある三国志のゆかりの場所がいくつか挙げられていた。主に関帝廟ばかりであることに、突っ込みが入る。また長崎には2ヶ所ある関帝廟をまとめて紹介されているが、大阪に2ヶ所あるそれは1つしか記されていなかったりして残念である。また兵庫県の『KOBE三国志ガーデン』や山口県の『三国志城博物館』の名もあり、話が一気に盛り上がる。これで三国志ガーデンの名前が1人でも多くの読者に知られるといいが・・・(読者層はおそらく子供なので親子での来場など淡い期待はする。)

 

 

 

 

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また「三国志原作の作品に注目!!」というコラムには、「入門書に最適!横山光輝『三国志』」、「赤壁の激戦を実写で再現!『レッドクリフ』」、「人気キャラとのコラボ!『SDガンダム三国伝BraveBattleWarrios』」が挙げられていた。ここで「三国志原作の作品に注目!!」の『原作』が意味を履き違えているのではないかと思い、ネット検索で意味を調べる。

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派生作品を生み出した元の作品を指す。
【wikipediaより引用】

翻訳・改作・脚色などをする前の、もとの作品。
【デジタル大辞泉より引用】

翻訳・脚色・改作などをする前の、もとになった作品。
【大辞林 第三版より引用】

翻訳・脚色・改作などをする前の、もとになった作品。
【新明解国語辞典初版より引用】

翻訳・脚色・改作などをする前の、もととなる作品。
【明鏡国語辞典より引用】

翻訳・脚色・改作・訂正などをする前のもとの作品。
【Wiktionary日本語版より引用】

元となった作品のこと。
【はてなキーワードより引用】

もとの著作または製作。翻訳・改作・脚色などを行う前のもとの作品。
【広辞苑第六版より引用】

派生作品を生み出した際の元となる作品のことである。
【ニコニコ大百科より引用】

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『横光三国志』『レッドクリフ』『SDガンダム三国伝BraveBattleWarrios』は原作として紹介されているが、各ツールでの意味を検索した結果、この場合の原作とは『正史三国志』ではなく、また五十歩譲って『三国志演義』でもない。つまり残念なことに、間違った紹介であるため、間に受け入れて欲しくない。

今度は主にオフ会について。今までどんなオフ会に参加されているのか、Mini三国志フェスの報告、来年に開催される三国志フェスやそこでのブース出展について、各々開催しているイベントについてである。オフ会の目的や情報発信、今後の問題、年齢層の拡大など、どれも共通する悩みである。20代後半が主な参加者の年齢層なので、大学1回生以上の若年層や新規加入者を吸収・増加していきたいものだ。個人的には清岡さんが以前主催をしていた『東呉華亭関西プチオフ会 「通称:関プチ」(2002/4/28(日)~2003/7/27(日)』を10周年記念として復活させて頂きたいです。中学生であった頃の憧れのイベントでした。

最後にtwitter上で一部の三国志が好きな人達の間で話題となった大津祭の『孔明祈水山』について5人の中で唯一大津まで足を運ばれた清岡さんの三国志ニュース で書かれた内容 以外の報告と、張茂さんの解説があった。まず『孔明祈水山』とは山車のことである。大津祭曳山連盟のサイトによると「諸葛亮が曹操率いる魏と対峙した時に、「敵の大軍を押し流す大水を与えてほしい」と川へ祈ったところ、大洪水が起こり敵を押し流した」という旨の説明が記述されている。祈って洪水を起こさせる、という点では『三国志平話』の様な気もするが。

曹操と対峙したという点から考えると、諸葛亮が劉備に仕えた207年から曹操が没する220年までの間に行われた、しかも諸葛亮と曹操が対峙する戦いを絞る。すると『赤壁の戦い』と『定軍山の戦い』しかない。前者は河上での戦であり、諸葛亮は祈る。しかし水にではなく天に祈っており、洪水ではなく東南の風を発生させ火計を持って曹操軍を撃退している。また後者は漢水や渭水の南、長江の北にある場所である。当時は川が流れていたと仮定しても、祈って洪水を発生させた話は聞いた事がない。そのためどちらも該当はしない。また水と諸葛亮が関係するのが、南蛮征伐の凱旋途中で反乱した川を饅頭で治めたり、新野を焼いた時である。曹仁が新野に押し寄せた時にそこを燃やし、川まで逃げた曹仁軍を上流の関羽が堰きを切り、増水させて押し流すのである。これは似ているが直接諸葛亮と曹操が対峙した訳ではないし、祈ってもいないし、趙雲さえ登場しない。

さて張茂さんの話によると、
大津市役所資料によれば元々は『福聚山』と名であったが、いつの間にか『孔明祈水山』と名を変えたという。さらに人物もある段階ですり替わったそうだ。張茂さんのブログ で言及されているので、そちらを参照して頂ければと思う。

また孔明祈水山は誤字が酷いことでも話題のネタである。個人的に把握しているだけでも3つある。
・趙雲→超雲
・曹操→曹撰
・曹操→曽操

張茂さんも解説の際には『超雲』のことを「スーパークラウド」と呼び、趙雲を混合しないよう気を遣って頂いた。何度も「スーパークラウド」と聞くとつい口元が緩んでしまう。
最後に清岡さんのお持ちであった大津祭について紹介されているポスターの明祈水山の部分を写真を撮らせて頂いた。

閉店時間が迫ったため、会計をしにレジ前へ。自分が頼んだ飲み物とケーキの料金の支払いをするのだが、自分が何を頼んだのか分からず(カタカナ表記であったため、誰も覚えていない)、『黒くて長方形』『生姜』などとケーキの形容を店員さんに伝える。店を出てから1人1品ずつ焼き菓子を手渡された。
そして西円寺駅まで移動し、京都方面の清岡さんと張茂さんに、大阪、神戸方面のあきさん、ふじやんさん、教団に分かれ、別れの挨拶をして帰路についた。

追記終了※

最後に張茂さんがありがたいことにTogetterで今回の一連のツイートをまとめて下さった。
NDL関西館講演会「東アジアの三国志演義」&小展示「時空をかける三国志」


国会図書館関西館のアクセス方法を記述する。

【アクセス】
電車で来館の場合
・JR学研都市線「祝園(ほうその)駅」近鉄京都線「新祝園駅」から奈良交通バス36番系統「光台循環」41・47番系統「学研奈良登美ヶ丘駅」行「国立国会図書館」下車(約10分)

・近鉄けいはんな線「学研奈良登美ヶ丘駅」から奈良交通バス41・47番系統「新祝園駅」行「光台一丁目」下車(約15分)

車で来館の場合
・京都方面より:京都→城陽I.C.(京奈和自動車道)→精華学研I.C→精華大通りを西へ

・大阪方面より:国道163号→府道52号(奈良精華線)を北へ

・奈良方面より:国道24号→国道163号→府道52号(奈良精華線)を北へ



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外部リンク
国立国会図書館
関西館小展示「時空をかける三国志」
講演会「東アジアの三国志演義」
金文京 教授
「孫氏三代」 (清岡さんのサイト)
参謀本部電網課 (朝霧さんのサイト)
NPO三国志フォーラム
ケロケロエース
KOBE三国志ガーデン
あきよん
ふじやん家 (ふじやんさんのサイト)
孫呉秘書省在建業 (張茂さんのサイト)
孔明祈水山 (上記サイト内ページ)
フランス菓子ガトー・ド・ボワ
東呉華亭関西プチオフ会
三国志ニュース
大津祭 孔明祈水山 (上記サイトページ)
NDL関西館講演会「東アジアの三国志演義」&小展示「時空をかける三国志」
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10/13(土)に東京国立博物館(以下トー博)で10(水)より開催されている、『日中国交正常化40周年、東京国立博物館140周年特別展「中国王朝の至宝」』にMini三国志フェスが開催されるまでの時間を使い観覧してきた。

今回はゆるく募集したが、ありがたいことに3人も参加して頂いた。メンバーは
・はっちゃん
氷咲梨奈さん
ROCKERさん
教団 (五十音順) 以上の4名である。

10/2(火)に掲載したブログ記事の通り、10:45分にJR上野駅にある『翼の像(1人タイタニック)』前で集合して、トー博へ向かうようプログラムを組んだ。

トー博まではそこからとても行きやすく、JR上野駅山下口から出て北へ約250mほど北上し、東京文化会館を左折し200mほど西へ進む。交番を右折し300mほど北へ歩くと到着する。所要時間は10分も掛からなかった。

教団's Rot-東博

教団's Rot-東博


博物館に入ると、正面に2階へと続く階段とエスカレーターが視界に入る。その少し手前に受付が設けられており、チケットの確認がそこでされていた。さて博物館1階で警備員より、手荷物はコインロッカー(100円コインバック方式)に預けるよう、指示される。※ここで財布を預けてしまうと、2階の物販コーナーで買い物をすることが出来ないので注意。そして軽度の持ち物チェックが行われる。この検査の実施も貸し出しの条件に入ってどうだ。そして、2階へ。

展示室はエスカレーターを挟んで左右に別れており、右手の第2会場から時計回りに第1会場へと順路が設けられていた。各会場には3つごとのテーマに分けられていた。後ほど順を追って記述する。


今回の『王朝の至宝』展にはその名の通り、各時代中国の国宝が168種類も展示されており、そのうち6割が一級文物で占めている。

そもそも中国は多中心の文化であり、各時代に多元的な文化が存在した。その異なる文化と文化が衝突したり融合・調和したりした結果、歴史の上に、中国文化が形成された、と言う考えが根本にある。特に北に流れている黄河流域と、南に流れている長江流域の文化の違いが、ひとつの軸としてある。同じ時代でもここまで文化や思想が違うのか、と視覚的に捉えることが出来る。

先に感想を述べると中国について勉強されている方は観に行くべきだと考える。どの様な文化が存在していたのか、また中華外の文化を如何にして取り込み、独自の文化として発展させていったのかなど、教科書だけでは分からない様な事が肌で感じることが出来るからである。

館内は『撮影・携帯電話の使用・接触・筆記・飲食』が禁止されている。

第2会場

第1章--------------------
王朝の曙「蜀」と「夏・殷」
蜀(四川の金)vs夏・殷(中原の青銅)

まずは夏から西周(紀元前2000~紀元前750年前後)の時代である。日本ではまだ縄文時代。ここでは金で作られた仮面や尊や爵をはじめとする青銅器、動物をかたどった作品が主に展示されてあった。特に儀礼具や祭器やの展示が多かったと感じる。

中でも蜀独特の文化が反映されている『突目仮面』が強い印象を持った。他にも器や剣、玉璋などの玉で出来たものや、トルコ石が一面に埋め込まれた青銅板、卜骨も展示されている。蜀の『金沙遺跡』と殷の『殷墟遺跡』の遺跡解説も行われている。
(1章の展示品は30種類)

第2章--------------------
群雄の輝き「楚」と「斉・魯」
楚(南方の神秘)vs斉・魯(中原の伝統)

時代は春秋から戦国末(紀元前750年前後~紀元前200年前後)までである。当時の日本は何の進展もしておらず縄文時代のままである。1章と異なりこの章では無機質なものから有機質へと変化する。つまり、青銅や金、石や玉などで出来た冷たいと感じるものから、動物や植物で出来た温かみのあるへと移り変わった。

また猿や鳥などの動物や人をかたどったものが増え、金属や瑪瑙、水晶などの鉱石類の加工の技術が向上し細かい細工が施されている。さらに仙人である羽人が登場する。このことにより、この当時は技術的にも文化的にも急速な成長を遂げたことが分かる。楚の『天星観二号楚墓』と魯の『魯国胡城跡』の遺跡解説が行われている。
(2章の展示品は27種類)

第3章--------------------
初めての統一王朝「秦」と「漢」
秦(絶対権力が生んだ破格の美)vs漢(安帝と洗練が生んだ様式の美)

ようやく時代は嬴政が中華を統一し秦が建国してから漢王朝が滅ぶ(紀元前221年~220年)までである。日本はようやく弥生時代へ移った。天下を統一してわずか15年滅んだ秦王朝と、新を挟むが400年近く続いた漢王朝の対比。

この対比は不公平な様な気もするが。さて秦は万里の長城や阿房宮、始皇帝陵の建築事業を行なった。その始皇帝陵の兵馬俑が2体が日本にいらっしゃった。リアリティのある等身大の人形を見て、こいつらがサッカーをしたら面白いだろうな、と某アニメの影響でつい思ってしまった。

秦はリアルと完璧を追及する一方で、漢は等身大ではないものの、色彩が鮮やかな男女俑が2体。当時の頭髪や服飾を知るビジュアル的資料は見る価値がある。また蓋付きで「これを買えば出世する」と刻まれた円状の硯もある。この硯は、現在の悪徳商法で幸運になれる壷に通じるような気もするが。

取り敢えず秦と漢は、既存の文化を統一した秦と、漢徳有の文化の成立したかの比較であった。遺跡解説は秦はもちろん『始皇帝陵』、漢は『陽陵』であった。
(3章の展示品は15種類)


第1会場

第4章--------------------
南北の拮抗「北朝」と「南朝」 北朝(清新な北方文化)vs南朝(爛熟の伝統文化)

この章で折り返しである。漢王朝が滅んび『魏・蜀・呉』の三国が鼎立してから南北朝までの時代(220年前後~600年前後)までがこの章の内容である。日本はまだ古墳時代、飛鳥時代。待ちに待った三国志の時代である。

三国志の時代のものはなんと3点も展示されている。しかも全て呉である。残念ながら魏と蜀は皆無であった。それは『弾琴俑』『仙人仏像文盤口壷』『楼閣人物神亭壷』の3点であった。個人的にオススメしたいのが楼閣人物神亭壷』である。

この壷には「鳳凰元年立位長沙太守友作浹使宜孫子(ほうおうがんねん りつい ちょうさたいしゅ ゆうさくしょうしぎ そんし)」と銘文がある。製作時期が明確なので、貴重な資料であろう。そしてこの壷の側面にある『カニ』が可愛いのも見どころである。

あともう1点だけ三国志が好きであるならば観るべきものがある。後漢末に魏王となった曹操が親切した爵位の1つである『関中候印』の金印(1辺2.4cm高さ2.1cm重さ118g)である。曹操も触ったのでは、という淡い期待を持ち眺める。

南北朝のは鼎や指輪、冠飾、耳掻き兼簪など煌びやかなものが多かった(適当)。この時代はササン朝ペルシャ帝国(現イラン)やクシャーナ朝(中央アジアから北インド一帯)、ローマなど異国から入ってきた文化が著しい。さらに王羲之や王建氏が活躍する時代もあり、グローバルな文化を持ったと推測する。北朝は『雲崗石窟』、南朝は『棲霞寺石窟』の遺跡解説が。
(4章の展示品は24種類)

第5章-------------------_
世界帝国の出現「唐」-長安と洛陽 長安(絢爛の国際都市)vs洛陽(聖なる宗教都市)

随が滅んで唐の時代(618年~907年)へ。日本では飛鳥、奈良、平安時代である。唐の時代の首都長安は宗教間を越えて諸外国との貿易が盛んに行われており、常時1万人の外国人が暮らしていたとされる。この時に三蔵法師(玄奘三蔵)によるインドへの旅行も行われた。一方副首都の洛陽は文化面で発展する。そして仏教や道教の信仰が盛んとなり、造寺造仏が行われる。

そんな背景を持つこの時代の展示品は、故服の人物俑や金剛像、如来像など多様である。煉瓦や陶器には蓮華の花の模様がほどこされていた。唐は長安の『法門寺地宮』と洛陽の『龍門石窟』の遺跡解説がされていた。
(5章の展示品は19種類)

第6章--------------------
近世の胎動「遼」と「宋」
遼(奔放な北方民族文化)vs宋正申生の漢民族文化)

最後の章は遼と宋(900年前後~1300年前後)までである。日本では歴史の折り返しをした平安時代と鎌倉時代にあたる。今までの様々な文化が集結し、調和をしたかのようなで、陶器や青銅器をはじめとするものから仏像や経文なども多種多様の展示品があった。そして一番最後に、『中国王朝の至宝』の最大の目玉とする本邦初展示の『阿育王塔』が待ち構えている。最後はスゴいとしか表現出来ない。遼の『紅帽子遼塔地宮』と宋の『慧光塔』の遺跡解説がされていた。
(6章の展示品は圧倒的に多く57種類)



特別点のガチャガチャ

教団's Rot




最後に、この特別展は1人で観に行っても楽しめるが、知人と一緒に観るのも実に楽しいものである。
百聞不如一見、百見不如一考、百考不如一行。「百聞は一見にしかず、百見は一考にしかず、百考は一行にしかず。」(漢書・趙充国)

気になったり、少しでも中国の歴史や文化に興味のある方には観に行くことを強くオススメをする。中国王朝の至宝を見ると、もれなく無料で出雲展も観覧することが出来るのもポイントである。
また来年に神戸で展示されるので、もう一度観に行きたいと考える。


なおこの後に千代田区神田駿河台のレキシズルへ、『Mini三国志フェス』に参加するために移動するのであった。