記念すべき第一回目、
テーマは
「言葉」
とさせて頂きました。
ではまず-
我々人間は、言葉を使って意志表示をしたり伝達をする。「ヒト科」以外の動物には無い特殊な能力。
その影響力は絶大で、人間を生かす事も殺す事も可能。つまり「両刃の剣」と言える。
インターネットが普及した「現代」においてその使い方は非常に重要であり、顔が見えなくてもその使い方次第で相手を惚れさせたり地獄へ突き落とす事も可能。
恐ろしい世の中だ。
特に国を越え、違う言語圏と交わる時には細心の注意が必要である。
日本語においては、まず「敬語」が存在し、「尊敬語」「謙譲語」「丁重語」「美化語」「丁寧語」等に分けられる。そして「日常語」。
特に日々の暮らしの中で「敬語」をわきまえていなければ社会から外れた存在になってしまうだろう。
そして「日常語」でも「ネットスラング」等の造語が横行し、意味が解らない事も少なくない。
日本語は幾らでも造語を生み出す事が可能な面倒臭い言語なので、その時代時代で造られた言葉を理解し順応して行かなければ周りとの距離が出来てしまう。
故に「死語」も数多く存在し、世代の違いを計る1つの材料となる。
意味を持った言葉の形成により、人間は思考を言葉で行うようになった。
意志・感情を言葉で表現することによって複雑な心理を明確にする。
そして、このことによって自己理解が深まり、知能を発達させたと考えられている。
全ての言葉には対応する概念が少なくとも一つ存在する。一方、概念の中には対応する言葉のないものがある。
人は言葉によって認識を共有する事が容易となる。反対に、言葉に出来ない思考・概念は伝達する事が困難である。
言葉に出来ない感情。
生きていれば、誰もが一度は経験する場面かと思う。
伝えたいのに伝えられない。
言葉が出ない。
それは語彙力に乏しいのではなく
感情が言葉を超越しているから。
怒り、悲しみ、嬉しさ、傷み……
全ての感情を「言葉」にするのは、言語が何であろうと不可能である。
人間は瞬時にその瞬間のベストな言葉を選び、伝えようとする。
勿論その選択が間違っている場合もあり、誰かを傷付ける事もあるだろう。
今回、テーマを言葉にした理由、それは
例え傷付いたとしても、思いを伝える勇気を持って欲しい。
例え傷付いたとしても、事実を受けとめる強さを持って欲しい。
自分の言葉を偽らないで欲しい。
自分の言葉に責任を持ち、逃げずに貫いて欲しい。
弱さを隠さず、隠したい事ほど、言葉にしてみて欲しい。
そんな思いからでした。
過去の自分に、一番言いたい事。
こちらの→名言集は
なるほど、と思う言葉が沢山。
今回の記事が、誰かの人生の1ページの片隅に載る事を祈ります(^_-)☆
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