子育て・ライブ

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今日は叔母の百箇日法要で、祖父母の家へ行きます。。
叔母の遺品整理を手伝ったり、仲の良かった方から話を聞いたりしていると、亡くなってからの方が叔母の事を知れたような気がします。
もっと色々話しておけば良かったのかな?後悔はないけど、ちょっと惜しい気分…。


そして今日は、3月11日。
特に東北の方々には忘れたくても忘れられない日だろうと思います。
私は一年前妊婦で、赤ちゃんに影響があるといけない、と動揺しないように心掛けて。
でも、とてもじゃないけどテレビから流れる映像を冷静に見る事なんて出来なくて。

福岡は地震も津波も避難も停電も関係なくてこんなの不公平だと思ったし、後ろめたい気分になりました。

妊娠中や授乳中は献血もできなくて、子どもを置いてボランティアに行くガッツもなくて、自分を情けなく思ったりもしました。

今もまだ34万人の方が避難生活を送っているとか。
震災で生活や住む場所や仕事が変わってしまった方、そして家族を亡くされた方が早く元気になりますように。
…いや、ゆっくりでもいいからしっかり乗り越えられますように。


叔母と、震災で亡くなった方々のご冥福をお祈りします。


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前回の日記を読み返してみると…忙しいだの、叔母が亡なっただの、店を閉めてるだの、ちょっと暗いですね汗

私としては、カフェスペースも前向きに検討中だし、明るい気持ちで書いたんですけどね(^_^)



先月、母の妹が癌のため59歳で亡くなりました。
悲しみの中でも心がほっこりする出来事があったので叔母の葬儀について少し書かせて下さい。

叔母はずっと結婚せずに小学校教諭をやってきて、趣味は読書、スキー、旅行。
それ以外は贅沢もせず、古~い机や本棚をまだ使えるから、と使い続ける倹約家でした。
そして自分の事より人の事を考える優しい人でした。

自分には子どもがいないからと、私や姉、従兄弟達にお小遣いにしては多すぎる額の生前贈与をしてくれ、私はそのおかげでお店のオーブンを買えたようなものです。
冗談にも真顔で答える(笑)とても真面目な人でした。

私は叔母のそんな面しか知らず、葬儀に参列してくださった方々から、色んな叔母がいた事を教えてもらった気がします。

私は今まで関わってきた先生で葬儀に参列したいと思える人に出会っていないため、教え子や元教え子が沢山来ていた事にビックリしました。

そして手紙も沢山書いてきてくれました。
死というものに初めて直面したであろう低学年の子が一生懸命書いてくれた手紙や、「叔母がいたから小学校教諭を目指した」と書いてある元教え子であり現在教諭の方からの手紙など、すごく慕われていたんだと涙を堪えきれませんでした。

友人も多かったんだな、頼れる人だったんだな、真面目なだけじゃなく楽しい面も沢山あったんだろうな、先生としての叔母も見てみたかったな、と思える式でした。

そして斎場がとてもいい所でした。
口コミなどは一切知らず、場所だけを考えて母と叔父(母の弟)が決めた所。
スタッフの細やかな心遣いが気持ち良かった。
本当にこちらの事を考えて接してくれているのが分かりました。
葬儀中の音楽がピアノ生演奏だったので曲もボリュームも場面ごとに合わせてくれ、すごく良かったです。

会葬御礼も、叔母について母と叔父に聞いた斎場の方が考えたもので、今読んでも泣けます。叔母の人柄や人生が伝わってくる素敵な挨拶文でした。

年末には社長直筆の手紙と花束を、スタッフ自らがわざわざ自宅まで持ってきてくれたそうです。[叔父談]

うちの父の葬儀は久留米市内のS苑で執り行い、600人近い参列者があったため一番広いホールを使わせていただきましたが、このホールにはもっと大きい祭壇じゃないとおかしい、会葬御礼の品はもっと豪華じゃないと格好がつかないなど何かとグレードを上げようとされ、金儲け臭がプンプンして(笑)嫌な思いをいっぱいしました。

今回の事で葬儀社のイメージが変わりました!
http://www.sansuisha.jp/
春日市の山水社の皆様、本当にお世話になりました。ありがとうございました。

おめでとうございますキラキラ

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去年は春から秋にかけてお休みをいただき、お客様にはご迷惑をおかけしました。

夏には乳腺炎の切開手術をし、子どもを抱く事もお風呂に入る事もできず、家族にも随分迷惑をかけました。

今年は健康に気を使い仕事を頑張って、素敵な働く嫁&母を目指しますドキドキ

今年もどうぞよろしくお願いします。