本業はプロカメラマン
人物専門で雑誌、広告、ファッション、CDジャケット、
映画ジャケットなどいろいろやってます。2010年には、
若手俳優の写真集「TOKYO DAY TRIP」が発売。
新宿から徒歩7分のスタジオにて、
「アートフォト認定講座 」監修・講師
(このブログから、体験にお申し込みの方は、体験申し込み時にお名前の前に「0110」と
お書き添えください。)
テレビ東京「極嬢ヂカラプレミアム」働く女の決意のヌード企画で、カメラマンとして参加。
現在ニコ動スターチャンネル「生男ch」「内藤大希の秘密の会議室 」にて、MCとして出演中。
他にもイベントMCなどなどやってます。
どのジャンルでもお仕事問い合わせありましたら、メッセにてご連絡下さい。
ツイッターやってます! 【waka_sc】です。
ブログを書いておこうと思うときは、
長時間PCの前に座って考えている作業が一段落し、なおちょっと力が余ってるとき、が多いです。
そう、それが今です。
こないだ、
「なんでカメラマンになったの?」
って質問をされました。
これってよく聞かれる質問。
そして毎回困惑してしまう質問。
いつも聞かれるのにその時だけどうもなんというか、
歯切れが悪いというか改めてこのことについて考えてみたくなりました。
カメラマンになったこと自体、今自分がカメラマンでいること自体が今でも
抱えきれないというか、不思議というか、ピンとこないというか、
20年もカメラマンやってて何いってんだか、と思われるでしょうが、
「なんでカメラマンなのか」
って質問に対する明確な答えが未だに用意できていません。
一応わかりやすく(尺もあるし)楽しいからというんですが、
それも正解。1つ。
だけど、その奥のことを話すとなんかその時は違うなと思って話さないので、
今日はここで整理しようと。
写真は楽しい。
だけど、多分楽しいよりも苦しいとか難しいとか、ああ、まだ果てしないなって思うことの方が断然多いように思う。
つかめない感じかな。
なんかよくわからないもの。
確かに、昔から「ものづくりの人」になりたかったし、
それしか周りにあんまりサンプルが無かったので、自然とそうなった感じかな。
父もいわるゆる「サラリーマン」じゃなかったし、母は主婦だったし、
近くに住んでいたおじちゃんも「不動産」だったからずっと家にいたし、
なんか、毎日どこかに行って、みたいなモデルケースがあんまりなかったように思います。
(多分あったあったんだろうけど)
カメラマンのなり方が世間ではよくわからないように、
私にはサラリーマンとかOLとか、一般企業に務めるやり方が全然わからなかったという一言につきます。
で、ものづくり。
その後に来るのは、
「なにつくるのか」
ってこと。
今となっては、世間にあるものはかならず誰かが作ってるわけなので、
「作る職業」の数は膨大で、本当に選べるんだ、
ってわかるけど、
地味に海を超えた九州にはそんな仕事は身近になくて、
「花火職人」か「小説家」かなあとぼんやり当たりを決めていました。
(花火は毎年見るし、本も読むから)
きっとどのものづくりの人になっても、苦悩とか果てしない感のほうが日々感じてると思うので、話を戻しますが、
「写真でなければいけない理由」
それすら、私は今も探し続けていると思います。
今現在、私の生活は当たり前のようにシャッターを切ってお金をもらう、という日々です。
これは、たしかに、23.4の頃の私がどうしてもたどり着きたい生活でした。
(実際今もカメラマンです、というと、即座に「大変でしょう」と言われることも少なくない。金銭面でいうと多分同い年のサラリーマンよりは稼いでると思います。フリーだし。)
で、今そんな感じになってるか、というと、なってるわけなのですが、
いまだに何も変わらないことのほうが多いです。
いまだに写真が下手だと思うし、
ヘタレだと思うし、
立ち位置は23.4の頃に「写真の世界」を見上げていたところからさほど変わってないんだなと思います。
ただ、周りの見目は変わりました
手前みそですが、「わかさんのようになりたい」とか言われることもたまにあります。
世界中で1人でも自分のようになりたいと思ってくれる人が存在するようになるとは、
と思いそれに対しては嬉しいもあるけど、くすぐったいような、なんつーか、自分では立ち位置が変わってない気分でいるので、
「えっ、なんで?」
みたいな気持ちもなくはないです。
もちろん大人なので、なんでだろうか、という理由は2.3見つけられますし、
「全然理解不能なんだけど!」ってことでもないので
いわゆる
「頭ではわかってる」ってやつですね。
多分世間で思うカメラマンの存在ってちょっと珍しいのかもしれませんが、
実際なってみるとめちゃくちゃたくさんいる、からズレにフィットしないんでしょうね。
同業者死ぬほどいます。
うまい人、死ぬほどいます。
レジェンド、まだやってます。
なので、食えてるカメラマンも死ぬほどいます。
そう思うとカメラマンで存在しているだけでは「たいしたことない」とどうしても思ってしまうのかもしれません。
じゃあ、その次、どこにいくのか。
きっと全カメラマンのたどり着く先は
「自分しか撮れない世界をつくる」
ことだと思います。
「カメラマンになんでなったのか」の端的な答えは「かっこいいから」とかそんなもんですが、
私がその質問には
「今現在、どうしてカメラマンでいるの?」
と聞こえてしまうからなのかもしれません。
さあ、「今どうしてあなたはあなたなの?」
と聞かれたらどう答えますか?
私はいつもカメラマンという言葉に一言では言えない今の自分を表現しようとしているのかな、と答えがでてきました。
カメラマン=写真に人生をかける人
だと思っています。
だから、簡単に答えづらいのでしょうか。
ではその答えは、きっと人生の最期にしか出会えないのだと思います。
選択して努力してきたはずではありますが、
根っこのところは、「なんだか流れでそうなった」感もあります。
(もちろん好きです。仕事。写真も。でも、人生の選択肢として夢として描いていた職業ではないのは確かなんです。)
きっかけがふいに訪れてそれしか自分の目の前に選べるものがなかったという言い方でもいいかもしれません。
その中で今でも続けてられるので、自分に合ってるんだなとは思います。
なんかそんな感じです。
気が付けば私の人生の半分をコレで過ごしているので、
長い付き合いであり、
コレなしで私を語ることは今はないくらい多くを占めているのですが
いまだに付き合い方がわからないところもあります。
なんで写真なんでしょう。
なんでカメラマンなんでしょう。
でも私は20歳の時に決めたことがあるんです。
「カメラを超える興味のあるものに出会うまでは、一生懸命写真をやる。写真家として生きていく。でも、
他に興味がいったら迷わずそっちにいく」
と。
いまだに写真を超える自分の表現手段はなく、
今が一番写真を楽しんで撮っている時期とも言えます。
夢を描いて一生を描いてここまで来たのではなく、
目の前の1秒をつかみ取ってきた積み重ねが今現在です。
なんでカメラマンなのか、
今はやっぱりすっと出てこないな。