お正月が明けると受験シーズンですねー。


お正月いつもより時間があったので

Amazonプライムで色々映画を観ていました。


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今更ですがwその1つがビリギャル。

もはや親に感情移入してしまいそうな世代です。笑

ギャルが慶応を目指す話とだけ知ってたけど

周りに支えられながら自分の殻を破って

目標を達成する成長ストーリーでした。

ただでさえ多感な時期に

目標を目指して頑張るってなかなか大変。

死ぬほど頑張って

成果が出る時もあれば出ないときもあって

とことん自分に絶望して。

でもそれを乗り越えた人はやはり強いんだろうな。

大人になって周りを見ても思う。


少なくともわたしはその最初の経験が受験でした。

冬の模試で確かD判定だったけど

1ヶ月18時間勉強したら

もうどこも落ちる気がしない、と思った。

それがわたしが「自信」を自覚した瞬間でした。

それでも結局第一志望の慶応文学部は

ビリギャルと同じく落ちたのですが笑

やるだけやったからもう悔いはない、と思えました。

(別の学部には受かりましたが結局第2志望の早稲田に進学)


今わたしが「いざというときの自分の力」を

なんとなくずっと信じることができているのは

その時が原体験になっています。


でもきっと人それぞれそんな脱皮のタイミングはあって。

部活かもしれないし仕事かもしれないし趣味かもしれない。

その脱皮の数で、人としての逞しさみたいなものは

培われていくんだろうなーと思います。

でも大人になると、無理してまで脱皮しなくなっちゃいますよね。

今までの自分だって生きていくのに困らないし。

でもそこで成長を止めた人と

成長し続けた人とで

人生の満足度や達成感は違うのかもしれないな、と思います。



そして映画で慶応、慶応と聞きすぎたせいか

受験生に感化されたのか

なんとなく福沢諭吉の「学問のススメ」も

読んでみました。笑

多分高校生くらいの時に読んだとは思うけど

今読み返すと沁みます。


"天は人の上に人を造らずと云へり"

人は生まれながら平等であると言われているが、

現実には大きな差がある。それはなぜか。

その理由は、学んだか学ばなかったかによるものである。

学問を身につけ、自分の役割を果たし独立すべきだ。


自由とわがままは異なる。学問とはその分限を知ることである。


衣食住の安定を求めるのは、自立した個人としては当然のことであり、

それだけで満足してはならない。

社会の一員としての立場を自覚し、社会の発展に尽くさなければならない。

ただ他人に迷惑をかけないだけでは、

世の中の役に立つことにはならない。



我々の責務は、現代社会に生きた痕跡を残し、

これを後世に伝えることである。



全文は青空文庫で読めます。


今ワガママに自由に生きることとか

自分らしく豊かになるとかが流行っていますが

それは時々勘違いを呼ぶし

自分のゴールではないと思う。

自分だけの豊かさを目指すだけじゃなくて

社会に何を残せるか、が

自分がもっと問い続けていかなきゃいけないことだと思いました。

もう自分は十分満たされてるし恵まれているのに

そのくせいつまでも自分のことの範疇を出ない自分に

飽き飽きしてがっかりしているんです。笑

もうそろそろ、そこを超えていかないといけないなーって。

そのためにももうちょっとちゃんと勉強しよう…笑

古典はやっぱり普遍的な真理が直球に書かれていていいですね。


最近のどんなマインド本を読むより

自己啓発セミナーを受けるより

お勧めかもしれません。