【前半】ほんとうの夢に、向かって。 | WHITE PIGEON

WHITE PIGEON

【結び】から生まれる、装い

2015年12月11日、株式会社 WHITE PIGEONを、設立させて頂きました。


ここまで、継続させて頂けた事は、
今日まで、御縁いただきました皆様の、お陰です。

――― 意匠提案を通じ、世界と日本の地場産業、
伝統伝承産業の活性化に、貢献する事業 ―――

2011年3月11日 東日本大震災を機に、開業。
目標の通り、貢献迄には今日、至りませんが、5年目を迎えました。

2014年より婦人服、そして、当方の象徴、
ストールに特化以降、ようやく法人化の運び、と成りました。

■ ■ ■

長く成り・・・、堅苦しい文章が続きますが、
私が地場産業、伝統伝承産業に、関心を持ちはじめた、きっかけを。

年末ですので ・・・ 目指す、先の方向性を、書かせて下さい。

10年前 デザイナーとしてスタートした、
当時勤務していた会社での台湾縫製工場への駐在。

駐在の経験が発端で、消費産業を支える商品、その真実の価格と、
巨大な生産背景を支える労働者の環境に対し、強い関心を寄せる、よう成ります。

今日でこそ、フェアトレードや、エシカルファッションへの関心が高まり、
最近の映画『ザ・トゥルー・コスト ~ファストファッション 真の代償~』に代表されるよう、
呼び水が、ありますが、当時は、ファストファッションが頭角した、時期でしたし、
現在ほど、中国・インドの空気汚染問題も、とりだたされて
(※実際には、労働者の健康問題は実在していた)、いませんでした。

私達の仕事は、ヨーロッパ風の衣裳デザインを、
いかに、日本市場で売れる様、量産向き、にコピーし、
多少の変化を加えるか・・・が、主たる業務。

どの技術者が、制作を担当しても品質が保たれるよう、
人の手が生み出す個性を、機械の通り、画一化し、徹底した管理。

そして、納期が間に合わない商品は、孫請け工場へ、送り出す。

果たして、一体、幾らで、その孫請け工場では、制作されているのか。
当たり前の消費社会の構図に、疑問を持ち始めた、当時です。

そんな日々の中でも、私が駐在していた台湾縫製工場は、
世界中の、フォーマルドレスを請け負って、おりましたので、
中国、インド、東南アジアの伝統技術を用いた、刺繍技術や、
テキスタイルにも、触れる機会にも、恵まれました。

(※写真下:2006年より約7年間、当時、デザイン担当したウエディングドレスは、
フランス「プラザアテネ パリ」DM 裏表紙とWEB SITE上に掲載)


その時に、『素材の持ち味、職人の個性を最大限に引き出す、
デザイナーを目指す』という、生涯のテーマに出会い、ます。

私も、こちらの写真の時には、日本のオーガンジーを、折り紙のよう、
折りたたみ、デコラティブなトレーンを生み出す、表現方法に、たどり着きました。

これは持論ですが、結局は一過性のファッション。

たったファッションのために、人命が軽んじられ、地域と繋がった産業背景が、
一時的な利益を追求する、外国資本に、荒らされては、ならないと、強く決心します。

それから、転職したり、独立したり、プライベートでも色々な事が、あったり、
健康の問題を、抱えたりと・・・
しばらく、あまり、振り返りたくない、数年間も、ありましたが、
WHITE PIGEONの取組に、たどり着く事が出来た、貴重な学習の時期でした。